原理主義者とガチンコ勝負、本土と本格の融合とは即ち本陣也!
林斯諺氏の「尼羅河魅影之謎」や既晴氏の「獻給愛情的犯罪」といった傑作をリリースしている小知堂文化から出た新作がこれ。ベタなタイトルもアレですけど、ジャケ帶に添えられた煽り文句からして完全にノックアウトですよ。「全民皆神探、大家來破案(全國民が名探偵。さあ、皆でこの謎を解いてみよう!)」「國内首部以Cosplay為題材的推理強打!(國内ミステリでも初めてコスプレをテーマにした最強打がこれ!)」ですから。
「大家來破案」なんて何だか古典原理主義のボクら派が随喜の涙を流して喜びそうな煽り文句乍らその實、本作は日本ミステリの懐古趣味とはまったく趣を異にするものでありまして、台湾ミステリと日本ミステリの相違を考察する上でも非常に興味深いところです。まあ、これについて後述するとして次にネタがコスプレですよ。
もっともコスプレといっても何も長澤まさみみたいな可愛こちゃんが綾波レイの恰好で怪人を追いかけ回したり、杉本彩みたいなセクシー姐さんがラムちゃんの恰好で宇宙からやってきたエリマキトカゲの殺人鬼を撃退するようなお話では決してありません。
本作、作者の陳嘉振の言葉や、林斯諺氏、呉哲硯氏の推薦文からも分かる通り、「本格」であるとともに「本土」という言葉を強調しておりまして、「本土」とは即ち、簡單にいってしまえば台湾的である、ということです。この「本土」という言葉の意味について、呉氏の文章では、台湾人の手になる、台湾人による、台湾という小島を舞台にした推理小説、なんてかんじで述べられているんですけど、コスプレという言葉も要するにこの「本土」的なものをビンビンに感じさせるものでなければならない、という譯で、登場いただいたのが台湾の誇る傳統的な人形劇である布袋戲。
日本ではコスプレといえば、漫画やアニメといった印象があるんですけど、台湾ではこの布袋戲の登場人物をテーマにしたものも一般的のようで、本作に登場する犯人はこの布袋戲のキャラの一人、藏鏡人に扮して殺人を犯していく譯です。
物語の結構は非常にシンプルで、ビル管理人のオヤジが監視カメラに寫った怪しげな影を捕捉するシーンから始まるんですけど、この怪しい輩がこの後殺人ショーの主役となる藏鏡人。
この事件の背景にはどうやら視聽率至上主義のテレビ局の内紛が絡んでいるらしく、布袋戲の番組縮小を目論んでいた女子アナがまずビルの暗闇に出没した藏鏡人に刺殺されます。で、悲鳴を聞いて駆けつけた連中を嘲笑うように、藏鏡人は煙のように消えてしまう。
第二の殺人は、雜誌社に送られてきた予告状の通りに藏鏡人が夜のビルに出没、密室状態にあった部屋をすり拔けると弓矢を使って今度は社長を見事に殺害、これまた衆人環視のところで犯人である藏鏡人は姿をくらましてしまう。
藏鏡人が殺人をし果せた場面を撮影していた雜誌社はこれをオマケCDとして雜誌に添付、で「全民皆神探、大家來破案」とあおり立てる中、マヌケな警察はビルの中にコスプレの恰好をしてクタバっていた男を逮捕したり、布袋戲の番組縮小に怒ってネットの掲示板にイタい書き込みをしていたサークルの人間を容疑者としたり、或いは犯行現場である密室から出てきたコスプレ衣裝からこの事件は自殺であるブチあげたりともうメチャクチャ。
前半は警察の視點やビル管理人、さらには雜誌社の暴走ぶりを多視點で描いていく為、非常にバタついている印象があるものの、後半に入るとようやく本作の謎を解く名探偵が登場します。しかし名探偵といっても奇天烈なハンサムボーイを期待してはダメで、これが兩親にタンギーと巫女を持つ檳榔好きの爺さん。
靈現象の眞相を暴く、みたいな番組でメインをはっているこの爺さんが、無能な警察からヘルプを求められ、番組では助手を務める男女を取材に走らせる、という安楽椅子探偵のスタイルで後半は進みます。
ここからは助手や爺さん探偵の視點で再び事件が丁寧に考察され、助手たちが布袋戲の衣裝や劇の内容などにさりげなく言及しながら少しづつ物語は核心に近づいていくのですけど、ちょっとこの提示の仕方はあからさまに過ぎて、もう絶對にこいつが犯人だろ、と思っていた輩が本當に犯人だったんですけど(爆)、フェアプレイを希求する作者の心意氣は素晴らしく、全ての手掛かりを讀者の前に明らかにしたあと、嗚呼懷かしやの「讀者への挑戰状」が登場。
ここでも作者は「本土化」という言葉をかなり意識的に使っていて、ヴァン・ダインや横溝正史の名前を挙げているところに注目でしょうか。
このあと、名探偵の策略によってついに犯人は捕まり、この爺さんの番組形式で謎解きがなされるという趣向乍ら、この推理の部分は非常に丁寧で感心しました。特に現場に手掛かりとして残されていた兇器や、監視カメラに寫っていた藏鏡人と實際に犯行を爲したと思われる藏鏡人の衣裝のちょっとした違いから密室の謎解きへと移行していくところなどが素晴らしい。
本作では推薦文なども含めて、「本土化」を目指した密室トリックというところから、正史の「本陣殺人事件」が挙げられているのですけど、自分は第一の殺人でまず正史の別の作品を思い浮かべて眞相に辿り着くことが出來ましたよ(爆)。とはいいつつ、第二の殺人で本作のキモでもある密室トリックはサッパリ分かりませんでした。
伏線として用意されていた數々のものが、探偵の推理の中で次々と繋がっていくところはスリリングで、最後に明かされたこの密室トリックも日本人だったらまず島田御大のアレを思い浮かべてニヤニヤしてしまうところでしょう。
という譯で、ミステリとしては非常に古典的でオーソドックスな構成の本作、フェアプレイを標榜する作者の心意氣や丁寧な謎解きの展開も含めて普通に愉しめると思います。もっとも名探偵が檳榔をクチャクチャやりながら口を真っ赤に染めている爺さんとあってはかなりアレなんですけど、當に台湾的なキャラという點では非常に印象に残る造詣ではあるでしょう。
で、本作を評價するには、本格ミステリの視點とともに、作者が唱える「本土化」といところも外せないと思うんですよやはり。台湾人の手になる、台湾人の、台湾という小島を舞台にしたミステリ、そして推薦文で呉氏が述べているような、人物やその事件の舞台は置換不可能、當に台湾という土地でしか起こりえないような物語、という點では、布袋戲という當に台湾的なものをガジェットに据えているところからも本作の「本土化」は非常に明確なかたちで成果を収めているということが出來るのではないでしょうか。
ただこれはあくまで台湾人から見た一側面であって、以下は一日本人のキワモノマニアから見た視點から、台湾ミステリにおける「本土化」というものを語ってみたいと思います。
日本人が上に書いたようなあらすじを讀んだら、まずは乱歩の怪人ものなどを思い浮かべるのではないでしょうか。また近作でいえば芦辺氏の「怪人対名探偵」などを挙げてもいいと思います(ここでは某氏の作品を取り上げるべきなんでしょうけど無視します)。新本格から見たら、懷かしいあの時代の探偵小説、ということになるのでしょうけど、ここで着目すべきは、現在から見た台湾ミステリの歴史においては乱歩のような、懷古すべき対象が存在しないということで、……って、もっとも自分は未だ台湾ミステリの歴史に關してはまったくのド素人なので、ここのところに誤りがあれば修正してもらいたいところなんですけど、とりあえず話を續けます。
つまり本作は芦辺氏の一部の作品に見られるような、復古懷古的な作品ではなく、ヴァン・ダインやクイーン、そして正史の精神を台湾ミステリに結実させるべく生み出されたものであり、ガジェット満載の作風は日本の新本格的な風格との相似を見せつつ、その目指しているところは大きく異なるというところが興味深いなアと感じた次第。
とはいいつつ、本土化、本土化と意識せずとも、台湾人ではない自分のような人間が讀んでも十分に台湾的、「本土化」が横溢した作品もある譯で、このあたりは台湾人だから「こそ」氣がつかないのかもしれないのでシッカリ書いておく必要があるかと思うんですけど、例えば既晴氏の「別進地下道」は、あの納莉颱風を背景にした作品ですけど、あの仕掛けと物語は納莉颱風によって甚大な被害を受けた台湾だからこそ生まれた物語であると思うのですが如何でしょう。
これを例えば、洞爺丸事件を目の当たりにしたあの時代の中井英夫がものにした「虚無への供物」や、大震災から復興に到るまでの経過と酒鬼薔薇事件を同時代に体驗した谺健二だからこそ書くことが出來た「赫い月照」といった作品と比較してみることも出來るのではないでしょうか。勿論既晴氏の「別進地下道」と上に挙げた二作では現代という怪物に對峙しようとするその志の重みこそ異なるものの、「本土化」という視點で見た場合には、それほど差があるとは思えないんですよ。
さらに物語の舞台や登場人物が置換出來ない、台湾でしか起こりえない物語、という點に關していえば、例えば寵物先生の傑作短篇「名為殺意的觀察報告」を挙げてみたいと思います。この作品は台湾のとある外資系企業を舞台にしているのですけど、この登場人物を安易に日本人に置き換えてもこの仕掛けは成立しない。何故なら、……って仕掛けに絡んでくるのでハッキリと書くことは出來ないんですけど、この作品こそは「十角館の殺人」のトリックを見事に台湾に「本土化」させたものなのではないかなア、なんて自分は考えてしまうのですが如何。
またミステリ作品がその書かれた時代を軸にして事件が構成されている以上、そこに描かれたものがはからずも歴史の重みを現出させてしまうこともある。例えば冷言氏のこれまた大傑作長編「上帝禁區」では、梁羽冰たちが事件の發生する雙子村に向かうところで、道行く村人に台湾語で言葉を交わす場面があります。
で、會話が終わったあと、連れの若者の一人が「僕、台語が分からないんだ」といって、いかにも農夫との會話を分かった様子で聞いていた彼を羽冰が「えっ、台語がダメだったの!」と呆れてみせるシーンを、冷言氏はいかにもユーモアっぽい雰圍氣で描いているのですけど、ここなどは、まず舞台を日本に置き換えては成立しないシーンではないでしょうか。
つまり台湾人が台湾を舞台にして描く以上、その物語は格別「本土化」を意識せずとも台湾的なものにならざるをえないのではないかなア、というのが自分の思うところでありまして。
このあたりをもっと台湾のミステリファンが議論を深めていけば、台湾版「虚無への供物」や「赫い月照」が生まれる土壤が出來上がるのではないか、なんて期待してしまうんですけど、こういう方向からこの作品を評價しているところがあまり見受けられないないのがちょっと不思議なところですよ、……というか、自分が見ていないだけでしょうか。
本作は今年の台湾ミステリの大きな収穫であるとともに、明確な「本土化」を標榜したという點でも重要な作品として位置づけられるべき作品でしょう。しかし本作をきっかけに台湾で「コスプレミステリ」とかいうジャンルが生まれたら凄いな、とか妙なことを考えてしまいました(爆)。
作者の第二作長は、SARSをとりあげた「非典型暴風雨山荘」形式の作品とのこと。これも早く讀んでみたいですよ。