セカチュー讀者を狙い撃ち。
もう大昔に讀んだきりスッカリ頭の中からは小峰元という作者の名前さえ忘れてしまっていた故、現代風というかセカチュー風に刷新されたジャケを本屋で見かけてついつい手にとってしまいました。
どうにも和田誠ジャケの惚けたイメージが強かった本作なんですけど、あらためて再讀して、今回のセカチュー風ジャケは意外や本作のテーマをうまくすくい取っているのではないかな、と思いましたよ。特にセーラー服の女の子というのがポイントでしょうか。
物語はとある女子高生の葬儀のシーンから始まるのですけど、何でも彼女は中絶手術に失敗して亡くなったという噂。不純異性交遊はケシカランという世間樣の痛い視線に肩身の狭い土建屋親父は強請にやってきたゲス野郎を手懷けて、彼女を孕ませた男を探り出すという作戰を敢行。
一方、學校では彼女と友達であった男が弁当に入っていた毒にアタって殺されかかり、水子の父親探しで進んでいた物語はこの毒殺未遂事件をきっかけに、刑事も交えたミステリへと急展開。さらにはこの毒を飲まされた男子生徒には姉がいて、彼女の不倫相手の男が失踪してしまう。で、御約束通り、男は後で死体となって見つかります。
父親探しと毒殺未遂事件、さらには不倫男の殺人など、畳みかけるように發生する事件の連關も・拙めないまま刑事たちは不倫男殺人事件の捜査に大奔走、やっぱり男子生徒が怪しいということになって男子生徒のアリバイ崩しに氣合いを入れるものの、今度は件の姉が密室状態で死体となって發見される。
大量にセメントを買い込んでいたところを目撃された男子生徒の母親は、ここで自宅の床下に隱していた不倫男の死体を前に私がやったとカミングアウト、果たして事件はこれで解決かと思いきや、……。
本作のポイントはやはりタイトルにもなっているアルキメデスの意味するところも含めて、水子の父親は誰なのかという謎から始まった展開が毒殺未遂事件をきっかけに錯綜を極めていくところにあって、作中では讀者に事件の筋道を容易に辿らせないよう樣々な工夫が凝らされています。
中盤で程なく母親が逮捕されてアッサリと犯行を告白したからこれで終わりかと思いきや、それでも男子生徒も十二分に怪しい譯で、お互いがお互いを庇っている樣子を見拔いた刑事が二人の自白の間隙を突いてネチネチと眞相を探っていく展開もいい。
密室殺人もあるといえばあるし、アリバイ崩しもあるといえばあるのですけど、恐らく當事の作者がやりたかったことというのは、まったく關連性のないように見えるいくつかの事件の背後にある眞相をいかにして讀者の目から逸らしていくか、……ここににあったのではないかな、なんて今讀み返して見ると思うのですけどどうだったんでしょう。
未だ乱歩賞といえばトリックという時代にしてみれば、なおざりながら密室だのアリバイだのといった趣向を凝らしておかないとやはりマトモに評價されなかったのかな、なんて考えてしまいましたよ。
ただ現代ミステリだと、ひとつひとつのトリック云々よりもいかに物語の全体に作者が仕掛けを凝らすかというところが大きなポイントとなる譯で、そういった現在形の讀み方を適用すれば、本作にはまた違った新鮮な驚きも感じられ、これは今回再讀することによって得られた大きな収穫でありました。乱歩賞、そして少し古め、とはいえ、現代ミステリとしての讀み方も可能にする鷹揚さは本作の魅力でしょう。
確かにこの作品に描かれている大人への對抗心剥き出しみたいな若さと無謀さはまさにあの當事の学生群像を感じさせるし、解説にもある田中角栄と連合赤軍云々については中年のオジさんオバさんじゃないとちょっとわかりにくいんじゃないかな、という氣もしますけど、物語の内容を理解しがいものにするほどではありません。若い人でも當事の若者ってこんなだったんだ、なんて感じながら若者たちのトンガリ具合を堪能出來ると思います。
個人的には一人の女子生徒の死によって始まり、事件が集束したエピローグ風のラストで、かなり重要な役回りを受け持っていたもう一人の女性のシーンで終わる構成が非常にうまいと感じました。ビターテイストの青春小説としても愉しめるし、若者特有の殘酷さが最後の推理と當事者の告白によって炙り出されていくところは壓卷です。
ミステリ的な大技には缺けるものの、青春小説の風格を巧みに利用して、個々の事件というよりはその事件の背後にある物語を描こうとした構成、さらには現代ミステリ的な讀み方でも愉しめるところなど、普通の本讀みにも、叉ミステリマニアにとっても十分に魅力的でしょう。
昔はかなり賣れたとのことですけど、セカチュー風のジャケ、そして東野圭吾のオススメ文まで添えたジャケ帶など、パッケージとしての完成度は相當のもので、本屋に平積みになっていればついつい手にとってしまうのではないでしょうか。このあたりもうまいなアと思いましたよ。
派手さはないものの、時代に流されない強い力が込められた作品ということでミステリ好きのみならず、普通の本讀みの方にも讀んでもらいたい作品といえるのではないでしょうか。
taipeiさんこんにちは。
ぼくは、この本、乱歩賞受賞時にリアルタイムで読みました。まだ読み手としては未熟だったのと、乱歩賞を異常なほど有難がっていたころの話ですから、次々に起こる事件に、あれよあれよの想いで翻弄されながら読んだ記憶があります。
実は小峰さんがお亡くなりになったとき、懐かしくて読み返してみたんですが。
父親探しと毒殺未遂事件と不倫男の殺人という三つの事件の関係。なにも考えずに読んでいたころは全く気付きませんでしたが、これって拙作『ギブソン』に通じる(って、もちろん、『ギブソン』の方がずっと後に出てますが)ものがありますね。そして、こうした点を面白がるか、瑕疵ととるか。確か、『推理日記』では佐野洋氏が、この三つの事件の関連性に触れて、批判的なことを書いていたように記憶しています。
ときに、ぼくがリアルタイムで読んだとき(既に大学生でしたが)、ここに登場する高校生の言動(弁当のオークションとか)、ずいぶん不自然に思えたんですけどね。
藤岡先生、こんにちは。
自分の場合、恐らくこの前に「シャドウ」を讀んでいたこともあって、本作における三つの事件の連關の趣向についてはかなり愉しむことが出來ました。ただ、佐野御大がこの點を瑕疵ととるのも分かるような氣がします。事件と謎解きの展開に、何とも軸足が定まらないような感覺を持たれたのではないかと。
「ギブソン」との共通點については成る程、今氣がつきました。本作と比較すると、「ギブソン」の方がこの趣向についてはかなり意識的で、やはり現代の本格です。
今の自分にはミステリ的な仕掛けが小説的な技巧にまで昇華された作品とか、高度な小説的技巧を必要とする仕掛けがあるミステリがツボのようで、アレ系の作品はその典型ともいえる譯ですけど、こういう目で見ると自分にとってはアレ系も「シャドウ」も先生の諸作も、さらには泡坂氏や東野氏の作品なども同じなのかもしれません。このあたりはまだまだ自分の頭の中で整理する必要がありそうです。
それと本作とは全然關係ないんですけど、昨日の先生の日記の「シャドウ」評の中の一文、
>> ただ、おれならこう書いて犯人を隠蔽するのだがという思いの「こう」がそのまま目に飛び込んできたのだ。
こうしてミステリの技巧はさらに洗練されていくのだと思います。という譯で、「アルキメデス」からさりげなく「シャドウ」と「ギブソン」を繋げてみました(笑)。