本格ムラから遠く離れて、蘊蓄まみれの脱力文士劇。
シリーズ第三彈とはいえ、前二作を讀んだのはもうずっと昔の話。今回はシリーズものというのは頭から取り拂って挑みました。
結論からいうと、……何というか、終盤での謎解きを堪能するというよりは、脱線と迷走を繰り返す途中経過のハジケっぷりを愉しめるか、とこれに尽きると思います。作中で繰り出される謎解きにミステリの結構を期待するのは野暮というもの、また最後に暴かれる眞相の脱力ぶりに腹をたてるのも御法度でしょう。本作はミステリにあらず、ミステロイドであるということさえ頭に入れておけば、作者の惡のりぶりを大いに愉しむことが出來るのではないでしょうか。
物語は語り手の竹本健治が南雲堂の南雲氏から漫画の執筆を依頼されるところから始まります。語り手の竹本が南雲氏の邸宅にスタジオをしつらえると、そこへ文壇仲間が續々と參集してきます。
秘密の圖書室があったり、わきが女のメイドがいたり、さらにはゴリ男の使用人がいたりと、この屋敷には浮世離れした雰圍氣も滿點で、こんななかミステリに一家言あるマニアが集まれば殺人事件の一つも起こらない筈はないとばかりに、わきがメイドにウヒャウヒャとニヤついていた福井氏がまず煙突に頭を突っ込んだ恰好で御臨終。
動機の面からは千街氏がアヤしいということになるものの、各はやれモルグ街の見立てだ何だのと勝手な推理を開陳するばかりで謎はますます深まるばかり。そんななか、さらに第二の殺人が發生し、……。
綾辻、京極、東といった人氣キャラは良い役で、いうなればいいとこどり。その一方、自分が敬愛する千街氏は最高のイヤキャラぶりを発揮して、福井氏に對しては完全に「奴」扱い。こんな千街氏、見たことない!なんて驚いている暇もなく、第二の殺人では喜国の奧さんが「まだらの紐」の見立てで死体となって發見される。
さらに事件の真相に近づいたと思われた某氏が犬神家の大股開きで發見されたりと、この見立て殺人における犯人の意図は、……というところも見所のひとつ。ただ殺人の謎解きに關しては、ニヤけた顔で死んでいた福井氏の事件にほとんどの頁がさかれていて、ここでも最有力容疑者である千街氏は屋根に登ってトンチンカンな推理を開陳したりと、完全なダメキャラぶりを発揮。
本作では、玲瓏館という名のこの屋敷が黒死館のモデルとなっているというところがキモで、屋敷の各所に鏤められたアイテムに對して、一家言ある登場人物たちが得意の蘊蓄を開陳していくという展開が見所です。
しかし黒死館と違ってどうにもそれぞれの衒學が散漫に感じられてしまうのは、やはり法水というキ印キャラとの格の違いか、はたまた繰り出されるトンデモ知識にツッコミを入れる役回りであるボンクラ檢事が不在の故か、圍碁からヨハネの默示録まで濃厚な蘊蓄が怒濤のごとくに展開される中盤は大變に讀ませるものの、黒死館に比較すると物足りない。まあ、このあたりは人それぞれ、でしょうか。
黒死館より優れているのは、何よりも竹本氏の讀みやすい文体で、それら眩暈のするような衒學が綴られているところも、狐に馬鹿されたような法水の戲れ言に比べれば、蘊蓄の内容のそのものを大いに愉しめるところが素晴らしい。
で、ミステリの謎解きに關してなんですけど、中盤でシツコイくらいに體臭メイドのことが語られるゆえ、この腋臭が絶對に謎解きの鍵だろう、なんてキワモノマニアなりにキワモノな推理をしながら讀み進めていったんですけど、まあ、眞相の方は當たらずとも遠からず、といったところでしょうか。
大団圓ともいえる最後の謎解きのシーンはもうハチャメチャ。陰陽師の末裔が突然「臨、兵闘・者、皆・陣・列――在前!」なんて呪文を唱え始めるものですから、京極堂というよりは、そのあまりに唐突さにこちらは「呪われたジャイアンツファン」のお父さんですかッ!とかツッコミを入れそうになってしまいましたよ。
第一の殺人への執拗なこだわりについては、最後に眞相が明かされるのですけど、ミステロイドとはいいつつ、「原點回歸」ともいえるこの犯人の姿は相當に脱力。かなり評價が分かれるところかと思いますけど、キワモノマニアとしては勿論アリ、でしょう。
全体としてはこれでもかッというくらいに繰り出される衒學など、物語を讀むことの愉悦は大いに堪能出來たものの、ミステリとして見た場合は正直、微妙、でしょうか。というのも、このレベルの重厚な蘊蓄とミステリの技の高度な融合を見せた京極夏彦の作品を体驗をしてしまったあととなっては、やはり眩暈のするような衒學のさらに上、その知識の集積を体現した世界観やミステリとしての技巧も期待してしまうんですよねえ。ミステロイドの作品にそういうものを求めるのは間違いだっていうのは分かってはいるんですけどねえ。
それともうひとつの理由というのは非常にクダらないことなんですけど、文壇の事件を描いたものとはいえ、小説というバーチャル世界の殺人よりも、件の容疑者X騒動で迷走しまくる「困ったちゃん」をリアルでウォッチしていたほうが數倍面白い、という。
「CRITICA」に掲載されている千野論文を讀んでしまった方には、作中で展開される文士劇がどうにもうら寒く感じられてしまうところがアレなんですけど、黒死館なみの衒學の應酬に醉ってみたいという方、或いは本作ではいい役を受け持っている綾辻氏や京極氏のファンであればキャラ小説としても大いに愉しめると思います。自分のような千街ファンは、……ちょっと微妙、でしょうか。
[2006/09/26 追記]
本エントリにおいて、本作からの一部引用において篠田真由美氏からその引用方法が不本意であるとの指摘があった為、該当箇所については削除いたしました。尚、該当箇所が削除に至った経緯につきまして、本エントリのコメントを參照いただければと思います。
野暮を承知でひとことコメントさせてください。
『ウロボロス』作中の私はまったくもって架空のキャラです。
おっしゃる通り年甲斐がない人間ではあるかも知れませんが、竹本さんの前でテーブルを叩いた覚えもなければ、初対面の彼に無礼を働いたわけでもなく、それを引用までされてしまうのはいささか不本意です。「大丈夫でしょうか」などといいながら、そのような読みを誘導しているようにしか感じられません。
まあ、別にタレントでも無し、文章以外のものを売っているわけでもないので、いまさらどんな誤解を受けようとしったことではありませんが。
篠田先生、コメントありがとうございます。
大變申しわけありません。上記コメントの趣旨が理解出來ない故、確認させてください。
>> 「大丈夫でしょうか」などといいながら、そのような読みを誘導しているようにしか感じられません。
自分としては上の文章において「そのような読みを誘導し」ようという意図はまったくないのですが、引用個所にて言及されている篠田先生本人からの指摘ゆえ、もし本エントリにおける引用或いはこのエントリそのものを「不本意」と感じられたということであれば、自分はしかるべき對處をとるべきだと思います。さしあたり、自分が思いつくものは以下のようなものなのですが、
1)「大丈夫でしょうか」を含む文章の削除(delタグを用いず、文章そのものの削除)及び篠田氏の指摘により文章が削除された旨の追記を本文に明記する。
2) 引用部分のみの削除。
3) 1)における文書の削除及び2)における引用部分の削除。
4) このエントリそのものの全文削除、及び篠田氏から指摘があった為全文削除に至った経緯の説明を本文に追記として残しておく。
5)何もしない。
2)については引用個所は小説文からのそのままの引用である故、當該引用文章「そのもの」に問題があるとは思えません。従って、問題となるのはa)「意図的な引用を行った」という行為と、b)「引用につけたコメント」にあると思うですが如何でしょう。この自分の認識に誤りがありました場合には御指摘下さい。
まずb)からは1)が、またa)からは3)が對處方法として考えられるかと思いますが、篠田先生の御意見をお聞かせ下さい。また、4)を行うべきということであれば、上記コメントを本文に移して、當該エントリが削除に至った経緯を記すことにしたいと思います。また上記、1)から5)とは別の対應を要求されているとのことであれば、是非ともコメントをいただければと思います。
以上、よろしくお願いいたします。
迅速なお返事と、当方の意図を汲もうと努めて下さる誠実さに、まずは心から感謝申し上げます。
無論小説はどのような読み方をしようと読者の自由なのであり、たとえば書き手がそれに対して「誤読だ」というようなクレームをつけることは滑稽以外のなにものでもありません。私もこれが自分の小説に対する感想であれば、自分としてはどれほど同意しかねる感想なり読みであっても、それについてどうこういうような無様は、プロのプライドからしてもしなかったと思います。
また、竹本さんの『ウロボロス』シリーズが一種のギャグ小説であり、作家などを実名でキャラクター化するお遊びを意図しているものである以上、素材にされた作家が竹本さんにクレームをつけるのも馬鹿な話です。「出していいですか」と聞かれて「お好きに」と答えた記憶もありますし。
しかしやはり本になってみると、「現実と混同される危険はあるな」「されるのは嫌だな」という気持ちも強く覚えたのです。黒死館的な枠を使って虚構化をほどこしてはあるものの、作家の性格やしゃべりかたがこの通りだと思われるかも知れない。そしてあなたのブログの感想は、まさしく私のそうした危惧を裏付けているように思われたのでした。篠田真由美は50過ぎのおばはんのくせに、年甲斐もないだだをこねるようなキモイ女である、と。
書き手の意図はどうであれ、読み手は勝手に読みたいように読みます。小説がそうであるのと同じように、あなたのブログも当然。唯一引用された箇所が篠田の弾けっぷりであれば、そこはあなたが真面目に「大丈夫だろうか」と心配してくださる意味で引用されたのだとしても、いわば太ゴチックで強調されたようなものであり、ひいては『ウロボロス』を読まない人にさえ、その部分が印象づけられることになりはすまいか。自意識過剰だと笑われるかもしれませんが、私の感覚ではそうです。
どのような対処をとるべきか、私から指図しようとは思いません。それはあなたがお決めになるべきことだと思います。こんなことでしゃかりきになるのは、確かに年甲斐もないかも知れません。忸怩たるものがあります。失礼を。
篠田先生、コメントありがとうございます。
ただ、大變申しわけありません。未だ先生の意図するところが理解出來ていない故、以下の件、確認させてください。
> 書き手の意図はどうであれ、読み手は勝手に読みたいように読みます。小説がそうであるのと同じように、あなたのブログも当然。
だとすれば自分としてもまず第一に先生の指摘が「誤讀」に基づくものであることを弁明する必要があるかと思います。
まず、「黒死館的な枠を使って虚構化をほどこしてはあるものの、作家の性格やしゃべりかたがこの通りだと思われるかも知れない。そしてあなたのブログの感想は、まさしく私のそうした危惧を裏付けているように思われたのでした。」と述べられている點でありますが、これについては上記エントリにおいて引用を行う前にも、「キモ役を見事に演じているのが」と書いています。ここでは「演じている」と記述することによって、下記に引用された内容については、実在の「作家の性格やしゃべりかたがこの通り」ではないということをこの文章を読まれる方に對して仄めかしたつもりです。
勿論讀み手によってはこの「演じている」という部分を無視して下記引用部分のみから、先生の危惧されるような讀み方をされる方もいるであろうことは否定出來ません。しかし自分が上記エントリにてそのような安易な誤讀がなされることのないよう一應の配慮はしておいたという點については御理解いただければと思います。
それと以下は本内容においてもっとも重要なところなのですが、
> どのような対処をとるべきか、私から指図しようとは思いません。それはあなたがお決めになるべきことだと思います。
大變申しわけありませんが、これについて自分は承服出來かねます。
自分がここで決めた對處方法が先生の意を尽くしたものではないという可能性も十分に考えられるわけですし、先生が自らのサイトで本ブログの内容について何かしらのコメントを行ったのとは大きく異なり、本ブログのエントリにコメントを残していること、竝びにその内容について「不本意である」と述べられている以上、ここには先生が自分に對してその意に添った(不本意ではない)対應を行うよう期待している、とみなされるべきでしょう。
だとすれば、「どのような対処をとるべきか」について先生自らが指図を行わず、「あなたがお決めになるべきことだ」として、その判断を本ブログの管理人である自分に委ねるというのは間違っていると思うのですが如何でしょう。
勿論、この先生のコメントに對して自分に所謂「大人の対應」のようなものを求めていると解することも可能ではありますが、既に上記エントリ及びコメントに對して「誤讀の可能性」という問題が大きく示唆されている以上、雙方のやりとりにおいてあらぬ「誤讀の可能性」を回避すべく、理解出來ていないところについては確認を行い、仄めかしを排した直截的な表現で意見の交換を行うべきであると思います。またこの點につきましては、實際の會話とは大きく異なるウェブ上でのやりとり故、どうか御理解のほど、よろしくお願いいたします。
ウェブ上に公開された内容について、その書き手はしっかりと責任を負うべきだと自分も理解しておりますし、それは本ブログに残された先生のコメントにつきましても同樣であると思います。
以上、やや長くなってしまいましたが、、自分は本ブログの管理人として、篠田先生の本意に添った對處を行いたく思いますので、是非とも先のコメントに記しました對處案1)から5)項の内容よりその方法をお選びいただくか、或いは別案を具体的に提示いただくよう、重ねてお願い申し上げます。
私はあなたが、『ウロボロス』の実名キャラの性格=実在の作家らの性格、と誤読しているとは思っておりませんし、おっしゃるように文章のニュアンスとして、そのように読めてしまうことに対する配慮がなされていることも、理解しております。ですが売文の徒として十年以上生活してまいりますと、「文章が書き手の意図したとおりに読まれない」ということがどれだけざらにあるか、ということもよくわかってきます。ですからあなたの意図は意図として、「弾けた篠田の年甲斐もないふるまい」が、中でも面白い場面であるとプログ読者に印象を与えるようなことになったら、嫌だなあと思ったのです。いかに作られたキャラではあっても、名前や経歴が同じだと気持ちが引きずられますね。
私は基本的にネットで自分の本の書評などはいっさい見ません。なにを書こうが好きにしろ、と思っています。ですから、ここでもしゃしゃり出るべきではなかったと、いまさらのように後悔しています。自分の気に入らないコメントにいちいち抗議して、取り消せなどといってまわるのは愚の骨頂ですから。
それでも、一度文句をつけておいてそれきりでは失礼だといわれるのでしたら、あくまで私の希望としてですが、ウロボロス登場人物篠田に関連する引用と文章は、削っていただけたらと思います。それが篠田からのクレームの結果であった、ということは明記していただいてなんら差し支えありません。
ですが、ご自分の書かれた文章を他人からのクレームで削ったり、変更したりすることにあなたがいくらかでも不本意な思いを覚えられるのでしたら、「こういうクレームがあったが、自分はなんら問題はないと思うので、このままにしておく」という意見を書き加えられて終わりにしても、私はこれ以上どうこういうつもりはありません。自らの意志を自らの責任において貫きうるというのが、こうしたネット上の最大の利点だろうと思いますので。
篠田先生、コメントありがとうございます。
> それでも、一度文句をつけておいてそれきりでは失礼だといわれるのでしたら、あくまで私の希望としてですが、ウロボロス登場人物篠田に関連する引用と文章は、削っていただけたらと思います。それが篠田からのクレームの結果であった、ということは明記していただいてなんら差し支えありません。
上の件、了解致しました。自分が上記コメントにて提示いたしました對處方法3)として対應したいと思います。
> ですが、ご自分の書かれた文章を他人からのクレームで削ったり、変更したりすることにあなたがいくらかでも不本意な思いを覚えられるのでしたら、「こういうクレームがあったが、自分はなんら問題はないと思うので、このままにしておく」という意見を書き加えられて終わりにしても、私はこれ以上どうこういうつもりはありません。自らの意志を自らの責任において貫きうるというのが、こうしたネット上の最大の利点だろうと思いますので。
この點につきまして、自分としては「篠田先生の「不本意である」という指摘によって、該当文章の削除が行われた」ということを明確な事實として残しておく必要があること、及び篠田先生が發表された文章内容について不本意であると感じた第三者が將來、その該当文章の削除の要請を先生に行う際、本エントリに記された経緯をその論拠とされる可能性も考慮して、上に述べたような対應と致したく思います。
尚、本日中には上の對處を行い、その経緯を本エントリに記述する予定ではありますが、この内容について問題がある場合にはまたコメントをいただければと思います。ありがとうございました。