ミステリのデジタル処理。デバッグ未了。
これは非常に評価に困ってしまう作品ですよ。讀んでいる間はもう頭がグルグルしっぱなしだったんですけど、讀了した後もやはり頭はグルグルしたままという、何というか、キワモノミステリを守備範囲とする自分でも頭を抱えてしまう問題作、ですかねえ。
物語は大きく鳴瀬君雄という賣れない作家のボンヤリ君と、県警捜査一課の鈴木惇一という名のさびしんぼ刑事のシーンからなっていて、あらすじの解讀を甚だ困難にしているのがこのボンヤリ君のパート。ぼくという一人称の語り乍ら、そもそも自分のことを解離性障害を持った病人だと宣言しているものですから、この語りそのものもまったく信用出來ない譯です。
で、そんなボンヤリ君がゴミ捨て場で老人とポーの「大鴉」の話をしたり、家で自分の父親の死体を見つけたりするんですけど、妻の顔もハッキリと思い出せなければ、時折ビスクドールだのブルゴーニュ産の赤ワインが云々だのと妙な一人語りが不意に頭にひらめいたりするものですから、讀者にしてみればこのボンヤリ君の思考を追い掛けていくのは至難の業。
さらにはそこへ不意打ちのように「ケイゾク」の中谷美紀が「あのー犯人わかっちゃったんですけど」と頭の中で呟いたり、さらには仲間由紀恵が「おまえのやったことは全部お見通しだ!」と啖呵を切ったりするものだからもう大變。
記憶障害が絡んでいることは物語の冒頭から仄めかされているゆえ、ここに何か仕掛けがあるのだろうと思いつつこのボンヤリ君の語りに付き合っていくと、今度はさびしんぼ刑事への視點から、このボンヤリ君は事故に遭遇して何者かに建物から突き落とされたらしいことが明らかにされていく。
で、この刑事がボンヤリ君の家に訪ねていったりするんですけど、ここでも頭を抱えてしまうような不可解なシーンが大展開。生首が出現したり、女探偵が唐突にボンヤリ君の妻のことを語り出したりと、話の筋を追い掛けるのはスッカリ抛擲して、もうボンヤリ君の語るがままにまかせていると、やがてボンヤリ君と刑事君のパートが繋がっていき、最後に公安警察の恐るべき謀略が明らかになる、……という話。
「サイコトパス」もミステリとして見た場合、相當な問題作だったと思うんですけど、本作はそれ以上。まずもってこの作品が創元クライムクラブからリリースされたということが驚きです。
正直ボンヤリ君の語りがあまりにアレな故、物語の展開から構成から異樣に調子の外れた一人語りも含めて、何だか先鋭的な純文學を讀まされているような雰圍氣、とでもいえばいいか、少なくとも自分の中ではミステリの範疇で語ることはちょっと躊躇してしまうような作品、……ですかねえ。
壯絶な失敗作か、それとも從來のミステリの枠組みを超えた意欲作なのかという評価は、今の自分にはつけられません。少なくともこの酩酊感と迷宮のような物語世界は完全に自分の好みで、ミステリとして見なければ素晴らしい作品だと思うんですけど、創元クライムクラブの一册としてリリースされた以上、やはりミステリ作品としての評価は決して避けられない譯で、そうなると自分としてはやはり微妙、……でしょうか。
幻想ミステリとして評価するという「逃げ」もあるんですけど、何しろ脳内一人語りにも近いネタ故に、幻想というよりは妄想に近く、この點でも自分としては何と答えたら良いのか困ってしまう。
じゃあ、ミステリとしてでなければどんなかんじなの、ということになるんですけど、氏の「サイコトパス」に非常に近い作風ながら、あの作品の後半の展開をそのまま引き延ばしたようなかんじ、といえばいいでしょうか。「サイコトパス」を讀まれた方ならこれだけでお分かりだと思うんですけど、そうなるとやはりミステリではない、ですよねえ。
ミステリ以外で自分が思い浮かべた作品はというと、安部公房の「燃えつきた地図」、或いはスティーブ・エリクソン。或いはアドルフォ・ビオイ=カサーレス「脱獄計画」のプロットを「モレルの発明」の語りで描き出したような雰圍氣とでもいうか。
物語世界が判然としないところからたちのぼってくる不安感などはカサーレスの風格に近く、呪縛力はエリクソンを髣髴とさせ、……とまあそんなかんじで、小説の舞台は日本、さらには日本人が演じているものの、どうにも日本の小説っぽいかんじがしないところが個性的。という譯でどちらかというと洋モノの先鋭的な作品を讀み慣れている人の方がこの作品の世界観を堪能出來るのではないかなアと思った次第です。
映画でいえば、もしかしたら元ネタかもしれないんで文字反転して監督名だけ表示すると
クリストファー・ノーランのアレとか、黒沢清監督のいくつかの作品が思い浮かんだものの、これだという作品を擧げることはちょっと出來ません。
まあ、それだけ個性的な作品であることは確かなんですけど、讀者の讀みを拒絶するかのごときボンヤリ君の一人語りが大半を占めるゆえ、ミステリ小説の結構を期待する方はどうか御覺悟のほどを、ということで。
ただその一方で、山田氏は自分のようなミステリの讀み手を試しているのかな、という氣もするんですよ。後書きを讀むと「どうしても困難を解決することができずにちょっとズルをしたところもあります」と書いてあるゆえ、本作は山田氏の意図を完全に纏めたかたちではないのかもしれませんが(そういう意味では失敗作なのカモ……)、ただこの主題と構成でミステリを書こうとしたその企図は評價をする上でも十分にくみ取らなければいけないと思います。
ただまア、そんな氏の目論見を自分は完全に讀み取ることが出來なかったところはちょっと悔しい。という譯で自分の本作に對する評価は現在のところ、保留ということで。ミステリ以上に先鋭的な純文學やSF小説を讀みこなしている方の評価と解讀を期待したいと思います。