寿行節電波曼荼羅。
こうも蒸し暑い日ばかりが續くと頭を使う本格ミステリを讀むのを躊躇ってしまうのも致し方なく、……といいわけはこれくらいにして、今日は思考力ゼロでも十分に愉しめる寿行センセの手になる奇天烈伝奇小説「地獄」を紹介してみようと思います。
そもそもが河豚毒にアタって死亡した寿行センセほか各社の編集部の人間や銀行マンが、釈迦陰謀説をブチあげて閻魔と釈迦の謀殺を企てるというあらすじを目にしただけではいったい何が何だかな譯ですが、地獄とは釈迦がつくりだした異次元世界に過ぎぬという電波な陰謀説、さらには寿行センセの地藏菩薩とチー子に對する思いが暴走して繰り出される物語は、正直普通の本讀みには完全に理解不能、ですかねえ。
とはいえ、いつもの奇天烈な展開は控えめで、ユーモアテイストを前面に押し出した作風は、寿行センセの電波にシッカリとチューニングしてしまえばこちらのもの、あとは一切の思考を放棄して、寿行センセと日和見編集者たちが脱線しまくるドタバタ喜劇にドップリと浸かって愉しめること受け合いです。
そもそも冒頭の「一尾のトラ河豚が仏教を破壊した。釈迦は黄泉国の諜報機関である」という出だしからして頭を抱えてしまう譯ですが、實は冥界では釈迦の統治する独裁ワールドと基督國が對立しておりまして、基督國は仏教冥界に内亂を引き起こすため、人間世界から「科学には弱いが妄想は人一倍強い人物」である寿行センセをセレクト、センセ御一考には件のトラ河豚にアタって死んでもらい、地獄で大暴れしてもらおうというあまりに無謀過ぎる計畫を実行。
河豚毒に当たって御臨終の寿行センセは三途の川を渡ってからいきなり惡鬼と邂逅するものの、何故かここで地蔵に化けるという超能力が發動、無神論者であり乍らも庭先に地蔵を拵えて毎日秘かな祈りを捧げていた寿行センセはここで地蔵菩薩の存在を確信、「お地蔵さま!お地蔵さま!お地蔵さま!」と絶叫する名場面のあと、同じく河豚毒に当たって三途の川を渡ってきた編集部の連中が續々と參集して、どうにかこの地獄を脱出する方法に思いを凝らすものの、いいかげんな日和見主義の編集者連中は女や酒のことを考えてばかりで一向に埒があきません。
出版社ごとの派閥に分かれてバラバラに行動する編集者連中に呆れた寿行センセは一人ボッチで地獄をトボトボ歩いていたところ、交通事故で亡くなった愛犬ちー子と再會、釈迦を殺すという本來の目的に覚醒した寿行センセを中心に編集者連中は再び結束して、釈迦と閻魔に宣戦布告、亡者たちの解放戦争を企圖するのだが、……。
物語の舞台は地獄といっても、まずこの世界そのものが釈迦の創造した異次元世界ということになっておりますから、森もあったり食べ物もあったりと、鬼や奪衣婆といった地獄の住人の姿こそあれ、我々が一般にイメージする地獄とは少し違うところがキモ。
編集者の一人が草木から毒酒をつくったり、神器のごとき梓弓を手にした寿行センセが鬼や刺客を撃退したりと、現実世界とそう大きく變わらないゆえ、コ難しいことを考えなくても普通にスラスラと讀めてしまうところがいい。
とはいえ、冥界ゆえここにジーパン姿の人妻を探すのは無理な話で、このあたりが普通の寿行ワールドとは大きく異なるところでしょうか。編集者の一人が途中で亡者の元人妻と愛欲生活を送るところなどそれなりの濡れ場は用意されているもののあくまで控えめ。
何しろ本作の寿行センセは異樣なほどにストイックで、女、女と三途の川を渡ってくる亡者の人妻を凌辱したくてウズウズしている編集者連中を必死に制止させるという役回りです。それでも普段の作風から推し量れば菜食主義を貫きながらもこと女に關しては禁欲に徹しきれる筈もなく、
亡者の女を辱めていけないなどと西村は思っているわけでは絶体ない。白無垢の經帷子の尻をめくり上げ、河原に四つん這いにさせて徹底的に凌辱したい。その光景が脳裡を占めているのである。真白い尻、豐かな尻、尻、尻、尻――ああ、お尻。
と時にはいつもの尻妄想が炸裂。それでも結局亡者の人妻を全員横に並べて後ろから、なんて寿行マニアであれば期待と昂奮にウズウズしてしまうような見せ場もなく、このあとは迷走しながら閻魔のアジトに鬼どもを從えてなだれ込むというユルい冒険物語が大展開。
飛蝗や鼠の大群が冥界をムチャクチャにするわけでもなく、叉潛水艦を生け捕りにするような奇想もないまま物語は最後までドタバタな風格を維持して幕となるゆえ、シリアスな寿行センセの作風も期待していると肩すかしを喰らってしまうかもしれません。しかしこれだけの脱力ユーモアをいつもの寿行節で描ききったというところは本作の最大の見所でありましょう。
この作風でまず思い浮かべてしまうのは半村良の「亜空間要塞」だったりするんですけど、そういえばあちらも脱力ユーモアの風格を押し出した極上の冒険譚でありました。
ただ本作の大きな違いは個性的、というかあまりに濃過ぎる登場人物たちにありまして、即興で拵えた十字架で鬼を退散させようとするクリスチャン男、また人妻亡者に溺れる者あり、日和見を極めて裏切りばかりに明け暮れる者ありと、とにかく物語の中での登場人物の書き分けも見事。そして下卷の巻末座談會に掲載されているそれぞれのモデルの写真がまた凄いんですよ。
何というか當に男、男、男と濃厚な男節を効かせまくって「昭和」を主張するその容貌は、リアルな点描を凝らした似顔絵で親父ビジネス本の表紙を飾ったレオ澤鬼のそれに近い、といえば何となく分かってもらえるでしょうかねえ。
寿行センセの仏教理念と妄想が爆発した電波ワールドは當に孤高。SFでも伝奇でもない、とにかく妄想小説としか呼ぶしかない個性的な作風は、寿行マニアの中でも人妻ジーパンの凌辱シーンが少ないゆえに意見の分かれるところでしょうけど、個人的にはイチオシですよ。
奇想と妄想こそが物語の原動力である、というあたりまえのことを教えてくれる本作、キワモノマニアにはマストでしょう。怪作として、おすすめしたいと思います。