イケメンボーイの怨念ダンディズム。
本格の鬼、紀田センセなんかも、「戦後創成期ミステリ日記」で、作者の作品においてはAランクの傑作としてTO BUYとお薦めしている本作、しかしこうして讀みかえしてみると、やはり鬼向けの本格推理というよりは、本格推理フウの社会派小説という風格が濃厚です。
物語は廢水やら何やらを垂れ流す工場が奇病の原因だ、お上は何をしているんだいッ、と奮起した地元住民たちの緊迫した樣子を背景に、そこへ東京から訪ねてきた男の失踪事件を探っていくという話。
冒頭、少女が猫踊り病という奇病に罹るところから始まるんですけど、とにかくこの病の描写が強烈で、手足をガクガク震わせ紫色の唇から涎を垂れ流して悶絶するという狂氣のシーンは完全にホラー。
そのほかにもこの病に罹った鴉の群に食い散らされた鳥葬死体が、鬱屈とした樹林の平坦地で發見されたり、工場排水にまみれた海のドンヨリとした描写など、ホラーっぽいシーンを要所要所に挟み込んでいるあたりが自分的にはかなりツボ。
探偵役を務めるのは地元の外科医と彼の碁仇の警部補の二人で、この奇病の調査の為に東京からやってきた男が失踪、その行方を探っていくとやがて男は死体となって見つかります。
殺された男が会っていたという怪しい二人組、更には伽羅の香のする土産物など、それらしいアイテムを鏤めながら仕掛けらしい仕掛けも開陳せずに、物語は終盤、東京からやってきた刑事が事件の経緯をバッサリと語ってジ・エンド、……とは勿論いかず、件の奇病と工場、さらには悪徳代議士の暗躍など、いかにも社会派フウの動機を背景にして事件の眞相を語ってみせた東京組の謎解きに、地元の二人はどうにも納得がいきません。
で、最後の最後にある人物の手記が明かされ、そこで初めてこの事件のゲスい動機が判明するという趣向は、社会派を気どってみせながらも結局殺人の動機といえばあれでしょ、ホラ、男と女。なんてイケメンボーイの作者にいわれているようでちょっと鬱、ですかねえ。
作者の代表作であり歴史的傑作でもある「飢餓海峡」に比較すると、キャラ立ちが些か弱いかなあ、という氣もします。「飢餓海峡」では執拗に犯人を追いつめていく刑事と、犯人に恩義を感じて最後までその志を貫こうとする女の、一途な美しさが際だっていた譯ですけど、本作の探偵役はというと碁仇の二人で、特に醫者男はいくら地元で奇病が發生し、それが件の殺人事件に絡んでいるとはいえ、警部補と一緒に深夜の山道をバイクで暴走するなどハリキリ過ぎ。
寿行センセみたいに全編に男節が鳴り響くハードロマンの作風に比べればおとなしすぎるし、社会派推理としてみると島田御大のように拳を振り上げてアジテートするシャカリキぶりも見られないというおとなしさで、これがイケメンボーイである作者一流のダンディズムであるといわれれば確かにその通りなんですけど、それでもすべてにおいてちょっと弱いかなあ、という氣もします。
もっともこれは逆に推理ものや社会派といったひとつの枠組みに偏らないバランス感覚と見ることも出來る譯で、この端正な結構が日本推理作家協会賞を獲得した所以かなア、なんて考えてみたりしましたよ。
とはいえ、作者獨特の、鬱屈したクラーい文体から醸し出されるおどろおどろしい風格は雰圍氣滿點で、本格推理だの社会派だの、そうした杓子定規ではからなくとも、この圧倒的な物語の強迫性だけで、本作は十分に傑作たりえているといえるでしょう。
特に冒頭少女が発病して苦しむ場面と、中盤、死体となって見つかった男が残していたノートの内容が綴られ、この病氣の凄まじさが延々と語られるところは壓卷で、殺人事件が解決して事件の真相が明かされたあとも公害事件は終わっていない、という餘韻を持たせた幕引きは水上ダークワールドらしくて素晴らしい。
それと當時、本格の鬼がこの作品をTO BUYとして推薦していたところが自分としては興味深く、本格の鬼といえばトリック偏重、伏線偏重、謎解き偏重と何でもカンでも偏重偏向みたいな印象を持っていたんですけど、物語の結構とその作品の意義についてもシッカリと着目、作品の評価を怠らないところなどやはり凄いと思った次第です。
ところで作者の水上勉というと、その甘いマスクから文壇のモテモテボーイという印象が強いんですけど、山村正夫の解説を讀んで、性格の方はトンデモない粘着君だったということが書かれていて吃驚ですよ。作者のインタビューからの引用がされているんですけど、こんなかんじ。
人間というものは、年を取って五十、六十過ぎになると、ウラミツラミを抱き合う人間同士でさえも、一緒に墓参りをしたり、あの時はどうも失礼なことをして、などと笑って流せるものらしいが、僕はそうはなりたくない。ひとたび抱いた憎悪や怒りは、どんなに年を取っても燃やしつづけるのが、芸術家ではないかと思います。だから僕の人生で僕を裏切った人間に、徹底的に復讐してやります。
恐らくは半分冗談、半分本氣だと思うんですけど、こうした怨念が作者の鬼気迫る作品を生み出す原動力になっていたとはいえ、こんな台詞をさらりとインタビューで述べてしまうところも、イケメンボーイだからこそ、ですかねえ。