狂氣淫亂幻想語り。
時々思いついたように取り上げている我らがキワモノスリラーの女王、戸川昌子センセの作品なんですけど、今回は以前紹介した「嬬恋木乃伊」に勝るとも劣らない、狂氣と痴情、そして理解不能な昭和エロスが炸裂する傑作短編集。
勿論、戸川センセ初心者の方であれば、今でも容易に手に入りやすいふしぎ文学館シリーズの「黄色い吸血鬼」から入るのがベストである譯で、上に挙げた「嬬恋木乃伊」は勿論のこと、代表作ともいえる「透明女」や「私がふたりいる」も盡く絶版というこの状況を鑑みれば、本作を手に入れようとするならば、あとはもう古本屋での一期一會に頼るしかありません。
しかしサイコだの何だのといわれる以前から戸川センセは、スリラーの中に精神医学とエロス、さらには狂氣、キワモノ、トンデモを容赦なくブチこんで、一流とか三流とか、そういう陳腐な價値觀を超越した作品を書き上げていたわけで、例えば本作に収録されている「プールサイドの二重奏」における性別の転倒と、語り手の奇妙な独白が最後には幻想へと回歸していくところなど、綾辻センセの作風にも通じるものもあったりして、現代でも十分に通用するように思われるんですけど、……っていってもまあ、「びっくり館の殺人」のキワモノっぷりが大多數の讀者からダメ出しされてしまう現状では、戸川センセの素晴らしさもとうてい理解はされない、ということになりますかねえやはり。
……何て愚癡をいっていると暗くなってしまうばかりなので、氣をとりなおして本題に戻りますと、本作に収録されている作品は、火葬場の近くに引っ越してきたドンファンパイロットとのヤバ過ぎる夜の生活と狂氣を、妻の妄執溢れる筆致で描いた「怨煙嚥下」、以前「黄色い吸血鬼」を紹介した時に取り上げた「人魚姦図」、そして自殺名所となってしまった斷崖で展開される上質のミステリ「呪詛断崖」、家政婦のイキまくった妄想が垂れ流される狂氣のスリラー「蜘蛛の巣の中で」、異國でナンパ師となったシスターボーイならぬブラザーガールが犯罪に巻き込まれる幻想ミステリの佳作「プールサイドの二重奏」、ブルーフィルムを髣髴とさせる、というかマンマエロ小説の展開が最後に都市伝説フウのオチへと繋がって讀者の思考を完全停止させる表題作「ブラック・ハネムーン」の全六編。
いずれも精神医学やサイコと狂氣をテーマに据えた作品ながら、戸川センセにとっての精神云々というのは要するにエロ。冒頭を飾る「怨煙嚥下」は、夫の態度が変わったことに氣がついた語り手が精神科医を相手に独白を行うという構成ながら、時折挿入される夫の手記によって、小説内部の眞實が次第に歪んでいくという展開が面白い。
勿論戸川センセの作品を讀みなれているマニアにしてみれば、こういう場合、まずほぼ例外なく女の方がキ印という法則に氣がつかれるに違いありません。しかし本作の場合そこに、夫の過去の犯罪を絡めて、この男の妄想が次第に語り手の狂氣に取り込まれていくところが凝っています。
この妻の独白によれば、夫はパイロットで、フライト前夜はシッカリと睡眠をとらないといけないいう譯で、このときばかりは多淫な妻もお樂しみはおあずけ、かと思うとさにあらず、夫がスッカリ寢入ってしまったところで自分も裸になって、彼の体をいじりまわすという愉しみを見つけてしまったからもうとまらない。
いつもは眠っていながらも下の方は元気マンマン、という夫の体がどうにも少し前からおかしいという。で、流石はパイロットの妻でありますから、そのテの話を告白する時の譬喩がまた素晴らしく、軽く引用してみますとこんなかんじ。
この時間の逞しいセックスは、私にとっても、自由に空をあまがけることの出来るセックスの翼でございました。
それが、まるで、太陽に近づいて蝋が溶けてしまったギリシャ神話のイカルスの翼のように、力を失ってしまったのでございます。
私は長いこと夫の体を、自分でも執拗と思われるまでに愛撫いたしましたが、結局は柔らかく死んだままでございました。
絶對、夫に何かあったに違いないッ、と確信する妻の独白が終わると、續いて夫の手記の登場となるわけですが、こちらも妄執という點では多淫妻の遙かに上を行くもので、火葬場の近くに引っ越してきたばかりに、どうにも人の体の燒ける臭いが氣になって仕方がない。
実をいうとこの男、以前イタリアで愛人を殺しているんですよ。それも自らヘリを操縱し、死体を火山口の中に落下させるという剛氣な手法で死体の処理まで行ったものの、それがどうにもトラウマとして残っている樣子。
そういえばここに引っ越そうと提案したのも妻だったし、……とそこまで考えると、妻は俺の命をとりにきた刺客に違いなと結論づけてしまいます。何でそういうふうになっちゃうのかは常人にはまったく理解できないですけど、男曰く、何でも歐米には被害者同盟というのがあって、イタリアで愛人を殺した自分に對してこの被害者同盟が放った刺客がこの妻なのだという。
で、そう確信した男は、妻と被害者同盟の關係の裏をとろうと、膿みまくった脳髄をフル回転させてあれこれと考えてはみるものの手懸かりはいっこうに見つからない。やがて妻を殺すしかないと決めた男は、乗客もろとろ自分の操縦するジャンボ機を墜落させてやろうと考えるのだが、……という話。
パイロットといえば「深い失速」でも登場した、戸川ワールドでは定番のアイテムでありますが、本作の魅力は何よりも二人の妄想と狂氣が入り亂れていくさまにありまして、最後の最後に精神科医の突き放したようなメモ書きが開陳されてジ・エンドとなる幕引きは、いったい騙されてていたのは誰だったのか、被害者、犯人といった構図が崩れていく後半の展開がミステリ風に集束されているところが素晴らしい傑作です。
「呪詛断崖」は、キワモノテイストこそ薄味ながら、これまた戸川作品ではお馴染みの入れかわりに趣向を凝らしたミステリ作品です。譯ありっぽい金持ちから、失踪したモデルを探してもらいたいという依頼を受けた私は、自殺の名所であり日本人が集団自決をはかった曰くありの断崖の周囲を探してみるのだが、やがて事件は關係者の過去を暴きたてていき、……という話。
ミステリ的な展開を見せながらも、中盤では、貞子っぽい女幽霊に私が輪姦されてしまったりと、エロっぽい見せ場もしっかり用意されていてキワモノマニアも大滿足。この幽霊の眞相や、關係者の錯綜した過去が次第に解きほぐれていく後半も相當に讀ませます。
「蜘蛛の巣の中で」は、もともと殺人嗜好のあった家政婦が、仕事先の御主人と肉体関係を持ちながら完全犯罪を爲し遂げていくという話。これをまた家政婦のキ印丸だしの独白で語られていくのですが、「怨煙嚥下」と比較すると家政婦一人の妄想のみで淡々と進む故、物語自体は些か単調ですかねえ。時折話を聞いてもらっている担当検事にチラリチラリと話を振るところがいい味を出していて、これまた物語はこの担当検事の報告書でキ印女を突き放しかたちでしめくくります。
「プールサイドの二重奏」は、女なのに男の恰好をしながら、リゾート地で日本人の女性を拐かすナンパ師が主人公。この語り手が自分のことを「オレ」というところなど、好き者には堪らないかもしれませんよ。
で、高級ホテルのプールサイドで見つけた日本人女をナンパするんですけど、この女というのが、日本の有名ヤクザの娘だったというからさあ大變、実はこの女も一計を案じていて、オレはそのヤクザ娘の犯罪に巻き込まれてしまう。果たして、……という話。このヤクザ娘の正体が後半に明かされ、語り手との陰陽めいた關係をいかした幕引きが活きています。オレが最後に呟く妄想が強力な幻視力を喚起して讀者を眩惑させる手法も素晴らしい。
最後の表題作「ブラック・ハネムーン」は新婚初夜に突然部屋を襲撃してきた男たちに凌辱され、……という話をこれまた妻の一人語りで描いた作品。地味過ぎるタイピストの私はイケメン男と結婚したものの、男の方は女が何も知らない初心な女だと勘違いしている。で、新婚初夜の前に生本番モザイクなしの洋モノポルノを觀賞したりと倒錯しまくった性的嗜好を淡々と語る女の独白が強烈。
賊の亂入を受けてからはもエロ小説も眞っ青というかんじのシーンが連續するんですけど、これが実は伏線になっているというところはやはりミステリ作家、最後に作者が登場してこの手記の曰くを推理するという趣向です。短いながらも本來であれば都市伝説に回歸するホラ話を大眞面目に語ってしまう幕引きがいい。
妄想と狂氣を基軸にして事件が錯綜を極めていくところなど、上質の幻想ミステリといえる作品が竝ぶ本作、しかし「嬬恋木乃伊」などキワモノスリラーの傑作集に比較すると、より眞っ當なミステリに近いような氣がします。眞相に到る伏線や巧みなどんでん返しがどこが捩れた歸結を見せるところなど、昭和ミステリとはいえ十分現代でも魅力的だと思うんですけど如何でしょう。
特に「怨煙嚥下」は作者のあとがきによれば、五十五年度の推理作家協会賞短篇部門の候補作に選ばれたと作品とのことで、ミステリとしても非常にうまい。とりあえずキワモノということであれば、徳間文庫のものをイの一番におすすめしたいところなんですけど、一般の方には本作のような、より普通のミステリに近い作品の方が愉しめるかもしれません。興味を持たれた方は頑張って古本屋をまわっていただければと思いますよ。