以下の文章、F氏のサイトを讀まれていない方にはチンプンカンプンだと思うんですけど、まあ、余興、ということで。個人的にはもうこのネタ、どうでもいいんですけど、こうも正論でコテンパンにツッコミを入れられてはN氏があまりに可愛そう……、という譯で、ここはひとつ、絶對に反論は出來ない、というか正論故に出來る譯がないF氏の主張に對し、自分がN氏にかわって反論を試みてみよう、と思った次第です。以下、會話調でいきますよ。
「誤解をしているかもしれないので念を押しておきますけど、私は東野圭吾氏や『X』を批難しているわけではないですから」
「またそれですか。誰もそんな低レベルの話はしていません」
「『誰も』、というのは間違っていますよ。この業界で少なくとも『私ひとりは』その低レベルの話をしているわけですからね」
「……」
「では誰を批判しているかというとですね、空疎な標語で褒め称し、その根拠も示さずに読者を惑わした本格系評論家の言動を批判しているわけです」
「具体的に誰のどの原稿ですか」
「私に不利な質問をする前に、Fさん、まずはあなたの本格の定義を明らかにしてください」
「……」
「何人もの作家と評論家がこの問題に関して論考を発表したわけですが、それらをすべて読んだ人は、大雑把に言って、作家対評論家の様相を呈しているのを発見したに違い在りません。作家陣営で言うと……」
「あなたが否定的見解を示している笠井はどっち側ですか。というかこの分類はネタですか」
「笠井氏は作家にして評論家なわけですから、作家とか評論家という定義を超えた存在であるとここでは御理解下さい。それとこの分類はネタか、という点ですが、まず私の發言以前に私の存在自体がネタであるという点をお忘れなきようお願いします」
「……」
「それと境界線あたりでウロチョロしているような作品を、わざわざ手を貸して本格領域へ引き込む必要性などまったくないと、私は考えるわけです」
「これは見解の相違だけど、排他性は衰亡に繋がると思います」
「本格推理小説が衰亡しなければそれで構いません。またそれが衰亡しているのか、発展しているのかを判断する基準は常に本格原理主義者である私にありますので、この点御留意願います」
「……」
「で、これが、貴志祐介氏の『硝子のハンマー』のように、本格を標榜した上で挑戦してきたものなら、大いに歓迎すべきでしょうけど……」
「あなたが本格と称するかどうかでジャンルが変わるんですか。それが貴方の執着する”定義”ですか」
「はい。その作品を本格とするかどうかは私が決めています。何故なら本格推理小説のジャンルは私を中心に回っていると信じているからです。また私の定義を批判するのであれば、まずはFさんの考える本格の定義を明らかにしてください」
「……」
「杉江松恋氏の文章を都合の良いように幾重にも誤読している点についてですが」
「私が誤読を十八番としていることについてはすでにあなたもご存じの筈です。また、この点については私が「メフィスト」に掲載された巽氏の論考を激しく誤読していたことからもすでに『証明』されていると理解していますが」
「……」
「この作品には、読者サイドと物語サイドがあるわけですが、その両者の真相の度合いが不等です。本当に『X』が本格であれば、その両方が最終的に等しく一致して、決定的な証拠を基に、絶対的な真相が客観的に立証されるべきでしょう」
「それって、巽氏をはじめとした複数の人間が矛盾を指摘したにも関わらず、それには答えずに同じ難癖を繰り返しているに過ぎないような氣がするのですが」
「巽氏の意見は尊重します。しかし巽氏への反論に對しては、まず氏が自らの信じる本格の定義を語っていただかないと。すべてはそこからです」
「では、その条件を満たした作品を古典的名作、あなたの作品、そしてあなたのアンソロジーの採用作から挙げてもらえませんかね」
「ここは私の代表作である「人狼城の恐怖」を挙げたいと思います。何故か日本では絶版ではありますが、最近台湾から中国語版がリリースされましたので、そちらを讀んでいただければと思います」
「……」
「本格的な要素があるから本格だと主張する者もいるでしょうが、しかし、その場合には、やはり笠井氏や小森氏が主張するとおり、「難易度の低い本格」という判断が妥当でしょう」
「要するに本格なんですか? 本格じゃないんですか?」
「お察し下さい」
「……。彼らが作家だから折衷案ですか? そもそも「作家陣営」は同朋じゃなかったんですか?」
「お察し下さい。あなたが大人なら、今の私の気持ちを分かってくださる筈です」
「……」
「とにかくこの論争がさらに広がり、別の議論を生むなどして、本格推理小説のさらなる発展に繋がってほしいと思います」
「……」
「Fさん、とにかくこの件ついては今年の冬、一緒にスキーをした時にまたゆっくりと語り合いましょう(笑)」
これが誌上対決だったりするので、N氏は完敗だったりする譯ですが、こんな調子で顔を付き合わせてみれば、いくら正論をブチあげようとも最後は「一緒にスキーをしたときに……」の一言で論争相手が丸め込まれてしまうのは必定でしょう。
という譯で、N氏も「あの件」についてはこれくらいにして次作の執筆にとりかかってほしいと思うのでありました。それと、千街氏とともに敬愛しているF氏も正論だけで相手を追いつめていくのはアンマリだと思います。これが巽氏のような正論をシッカリと受け止めてくれる相手であれば納得出來るのですが、ここはやはりネットリとしたまなざしで生暖かく見守ってあげるというのが「大人の対應」だと思うんですけど、その一方でF氏が杞憂している「これが「大学教授の書いた本がおかしいわけがない」という”トンデモ本効果”によるビリーバーを生む危険性」については自分も前々から氣になってはいる譯で。ただ、この件のみについていえば、ミステリの專門誌を讀むような讀者はマニアに違いなく、マニアはおしなべてN氏がどういう人物であるかは十分に分かっていると思いますよ。
ただ、「評論家を批判するのは常に正しいと信じる中二病のHMM読者の存在」というのはちょっと吃驚ですよ。自分はHMMをマトモに讀んでいるわけではないのでよく分からないんですけど。
思うに現在のミステリ「業界」には大御所が不在であるところがマズいのかなあ、とか思ったりするのですが如何。もし今、鮎川御大が健在だったら「N君、評論家たちが君の作品を評価していなくてそれが許せないという氣持も分かるが、他人の作品をネタにしてこういう論争を始めるのは如何なものだろう。寧ろここは自作である『聖域の殺戮』などを取り上げるべきではないだろうかね」みたいなかんじで、仕掛け人のN氏自らが炎上させる前にうまく收めてくれたと思うんですけどねえ。