倒錯倒叙推理小説。
記念すべき「台湾ミステリを知る」第十回は一番のお氣に入り作家、既晴の最新作ですよ。で、本作ですが、探偵張鈞見シリーズに特有のキワモノオカルト的要素は皆無、ある種文學的ともいえる香気を持った風格が素晴らしい連作短編集です。
収録作は、親に期待されまくっている優等生がライバルを殺そうとする「考前計劃」、周到なアリバイをたてて戀人を殺した輩に復讐する男を描いた「復仇計劃」、クリスマスの夜に殺された女性の死の眞相を巡る「鴦歌」、そしてその女性の過去を悲劇的な筆致で描いた「我的愛情與死亡」の全四作。更に後半の「復仇計劃」、「鴦歌」、「我的愛情與死亡」の三作は繋がっていまして、まずこの構成が見事。
収録作の中で、ミステリの仕掛けがもっとも効いているのが「考前計劃」で、かつては仲の良かった優等生の少年二人が學校では競争相手になり、どうしてもライバルに勝つことが出來ない主人公は彼を殺すことを思い立ち、周到な計畫を立てるのだが、……という話。
周到といっても主人公は中學生ですから稚拙なもので、英語のスピーチの練習をするからと手に入れたカセットに自分の朗読を録音して、母親がテレビを見ている間、部屋にこもってそのテープを流しておくというもの。ミステリとしてはあまりに使い古されたトリックな譯ですけど、本作が際だっているのはその構成で、前半は少年の稚拙な犯罪を倒叙ミステリの定法で描きつつ、中盤いよいよ彼が犯罪を実行する段階になって思わぬ事態が發生、さらに少年が鍵をこじ開けて建物の中に入ると件の少年は既に殺されていて、……とここから一転、少年は自分が実行する前に彼を殺した人物は誰なのかを、今度は探偵となって推理していくという趣向です。
そして彼が推理によって導きだした人物の独白へと話が進み、そこからは語りの交錯させてのどんでん返しが炸裂。この仕掛け、そして反転を繰り返す事件の実相と、初期連城三起彦の風格(特に「夜よ鼠たちのために」あたり)が濃厚で、倒叙ミステリの體裁をとりながら陳腐なトリックの仕掛けをあからさまなかたちで呈示しつつ、その実それが騙しになっているという仕掛けが冴えている一編でしょう。
續く「復仇計劃」は「考前計劃」と同樣、中盤までは倒叙ミステリの形式で話が進みます。主人公である大学生の戀人は、クリスマスパーティーの夜に不可解な死を遂げてい、警察は結局彼女の死は自殺ということで捜査を終えてしまうのですが、男にしてみれば、彼女が自殺するなんていうことは絶對にあり得ない。で、彼女につきまとっていたとある男性が犯人に違いないと確定、周到なアリバイトリックを施してその男を殺そうとするのだが、……という話。
アリバイの證人となるべき人物に睡眠薬を飲ませ、彼を部屋に眠らせている間に、トラックの荷臺に乘り込んで男のいる部屋まで行って、……という計畫を立てるのですが、物語は冒頭から彼がこのトリックを実行に移すまでの経緯と、このトラックの運轉手の場面とが併行して描かれていきます。
そしていよいよ決行當日、彼は男に睡眠藥を飲ませると、部屋を出るなり狙っていたトラックの荷臺に乗りこみます。そうしてマンマと男を殺して部屋に戻ってくるのですが、翌日、殺した男の部屋からは何と二つの死体が発見される。そして物語は倒叙ミステリの形式から離れていき、「考前計劃」にも登場した刑事の視點からいったい事件の当夜に何が起こったのか、というところを描いていくのですが、前半、トラックの運転手の場面で描かれていた怪異から事件の真相が解き明かされていく後半の謎解きは見事で、二つの場面の微妙な差違が真相に迫る伏線になっているという仕掛けが素晴らしい。
そしてもう一体の死体の眞相が明かされたあと、續く「鴦歌」では、「復仇計劃」で主人公だった男の元戀人で、クリスマスの夜に自殺をしたとされる女性の事件が描かれていきます。「鴦歌」でも登場した刑事がかつての事件を回想するというかたちで物語は始まり、事件當時の証言などが述べられていくのですが、「鴦歌」で既に「探偵」をつとめた主人公がこの事件の「眞相」を明かしている譯で、それがここで再びひっくり返される譯です。果たして彼女の死の眞相は「復仇計劃」の主人公が推理した内容とはまったく異なるものであることが最後に明かされ、これによって「復仇計劃」のなかで展開された犯罪の無意味性が強調されるというところがいい。
ミステリとしては、前二作に比較してその構成は平易で、クリスマスパーティーの夜における各人のアリバイや、學校内に噂として広まる同性愛クラブの存在などを仄めかしながら、密室状態で手首を切って殺されていたという現場の状況はもとより、死体の周囲に竝べられていた椅子の意味するところや、彼女が殺されなければいけなかったその動機が明かされていきます。
「考前計劃」や「復仇計劃」が中盤を起點にして倒叙ミステリの形式から逸脱していく特異な構成を持っていたのに對して、本編の構成は至極オーソドックスではあるものの、刑事たちが調べていけばいくほど事件の實相が曖昧模糊としてくるさまは、この物語の中で殺害される女性の内奥を暗示させていて心憎い。
結局刑事は件の眞相にたどり着くことは出來ず、物語の後半、唐突に挿入される犯人の告白によってすべては明かされるものの、殺された女性の過去の不可思議がこの犯人の告白によって呈示され、最後の「我的愛情與死亡」でいよいよこの女性の過去が語られます。
「我的愛情與死亡」は、本屋で万引きをしようしたところを、「鴦歌」で殺された彼女に見つかってしまったある女性を主人公にした物語で、この女性の心の懊悩を描きつつ、かつて學校の校舍から飛び降り自殺をした生徒の謎を絡めて進みます。
冒頭部を除けば、物語の殆どはこの女性の日記の體裁で話が流れていくのですが、前半はこの禁じられた愛に煩悶する彼女の内心がひたすら描かれていくのでちょっと苦しい。しかし図書館の本に挾んであったある紙片を彼女が見つけてから物語は俄然ミステリ的な風格を帶びてきます。彼女は自ら進んで探偵となって、愛する女性が自分に隱している秘密を暴いていくのですが、探偵小説の形式に則って彼女が告発を行う後半部は當に悲愴の一言。
そしてある事實を隱蔽する為に行われたこの「犯罪」の特異性と、初期連城を髣髴とさせる倒錯した動機の仕掛けが見事で、真相に辿り着いたが為に探偵は最後に敗れ去るというところも素晴らしい。そして物語の中盤、探偵の彼女が見つけた新聞記事と、エピローグに示される記事の内容の相似性。一讀すると非常にオーソドックスに見える構成の中に凝らされた仕掛けが光る傑作でしょう。実は非常に重い話ですよ。
本作の魅力はいくつでも挙げることが出來ると思うんですけど、まず前の短編の主題が次の作品でかたちを變えて変奏されるという構成が見事。例えば「考前計劃」で主人公が考案したアリバイトリックが、續く「復仇計劃」ではまったく違ったかたちで繰り返されるのですが、それは真相が明らかにされるまでまったく氣がつきません。
また「鴦歌」で呈示されたある主題は、「我的愛情與死亡」では真相を隱蔽する為のトリックとして使われます。勿論、「復仇計劃」と「鴦歌」を讀んでいる讀者からすれば、謎めいた女性がそういう人物ではありえないということは分かっているのですが、既に「復仇計劃」で明かされた「眞相」が次の「鴦歌」では完全に否定されている以上、讀者はこの前二作の中で描写された彼女への先入觀を棄てる必要がある譯です。三作すべてに共通して登場する彼女のイメージは常に宙づりにされたまま、謎めいた存在として讀者の前に示されているのですが、実際のところ、「我的愛情與死亡」を讀了した後も、本当の彼女はいったいどんな人物だったのかは分かりません。この女性の印象は人によってまったく違うと思うんですよ。
そして「我的愛情與死亡」の最後で探偵が彼女を告発する場面は壓卷で、彼女が「無法暸解我們之間愛情、永遠(あなたには私たちの愛を理解出來ないと思う、永遠に)」と悲痛な叫びをあげるところが印象的。同時に彼女もまた探偵が行ったあることの理由を尋ねるのですが、彼女の「何故」という問いに、探偵は「何故なら」という答えをいくつも竝べ立てる。畢竟、自分の心の内奥は他人には理解出來ない、という悲愴きわまる事實を突きつけて幕引きとなる本作、實際の讀後感は正直かなり重いです。
もう一つ注目したいのは、それぞれの短篇の中で呈示される事件の因果關係と、ミステリから心理小説へと傾斜していくその構成で、「復仇計劃」で展開される殺人の原因となった事件が「鴦歌」で語られ、「鴦歌」で語られる事件の動機となった出来事が、「我的愛情與死亡」の中で明らかにされるという具合に、本作は進むつれて過去へと遡っていく構成をとっています。
そして物語が進むにつれて、ミステリとしてのトリッキイな風格は後退し、その一方で人間の内奧へと迫っていく心理小説的な雰圍氣が濃厚になっていくという趣向も、恐らくは作者の意図するところに違いありません。それでいて人間心理を突き詰めていけばいくほど、單純な自殺事件の背後にも、人間の倒錯した動機があり、その特異な人間心理が明らかにされる最後、物語は再びミステリの風格を取り戻していくという構成が素晴らしい。
人間心理の不可解を基軸にして、倒錯した動機や倒錯倒叙ミステリといったこれまた特異な構成で連城的なミステリの風格を体現した本作、ミステリ好きのみならず、後半の心理小説風の雰圍氣から、普通の本讀みも唸らせる魅力があると思うのですが如何でしょう。
個人的にはこの無常と悲壯感溢れる風格は、ある意味孤高。何か張鈞見シリーズって、マイケル・スレイドみたいでアレだし、なんて二の足を踏んでいる普通のミステリ讀みにこそ讀んでもらいたい連作短篇の大傑作、當に愛は狂氣にして兇器という人間心理のダウナーを主題に据えた本作は、昨今の緩すぎる純愛ブームへのアンチテーゼであるッてなかんじで纏めてみたいと思いますよ。おすすめ。