前回からの續き。それとこの作品って、どういう讀者に向けてリリースされたものなんでしょうかねえ。ミステリ好き?本好き?キワモノ好き?それともあまり本を讀まない、でも店頭にキャッチコピーつきて平積みになっている小説はついつい手にとってしまうような方々でしょうか。
少なくともミステリマニアは手に取らないと思うんですよ。HMMとかミステリーズ!を讀んでいる本讀みには見向きもされないというか。まあ、自分はキワモノ好きだから買ったまでで。人柱になるの好きですし(爆)。
ミステリマニアにしてみれば、最終選考に残った多々忠正の「ツキノウラガワ」の方が俄然氣になります。別に賞とかあげなくてもこっちの方を出してくれれば良かったのに、と思うのは自分だけではないと思うのですが如何。また賞ということでいえば、本作は今回限りの特別奨励賞というのを受賞した譯ですが、その点に關して大森氏は、
この才能を世に出すのなら、選考会としてもきちんとしたかたちで賞を贈り、責任 を負うべきだろうと思ったが、侃々諤々の大議論の挙げ句、一回限りの「特別奨励賞」ということで決着した。
編集サイドとしては、授賞するしないにかかわらず、話題性を買って出版したいという意向だった。でも本にするなら賞を出さなきゃ、というのが選考会における氏の主張。
しかし別に授賞を逃してもその後に本となって歴史的作品として認められた作品もあったりする譯で、そこまで執拗に授賞にこだわらずともいいのでは、と素人の自分などは考えてしまうんですけどねえ。
これに關連して「ツキノウラガワ」選評を見てみると、
国産の本格ミステリとしては年間ベストテン級の出来だと思う。その一方、小説としての肉付けや文章の完成度に多少の不満が残るのは事実。改稿を前提としてこれに優秀賞を与えるより、捲土重来の次回作が大賞を受賞することに期待したいという多数意見に抵抗しきれなかった。
それでも讀者としてはとりあえずこの作品は讀めない譯ですよね。2004年の鮎川哲也賞で授賞を逃した(嗚呼!そういえばこの時も!)葉月みづはの「華奢の夏」も、選考委員の人間が讀めただけで、幻の作品となってしまった譯です。「本當にその作品を讀みたい人間が讀むことは出來ない」というこの状況をどうにかしてくれませんかねえ。出版社の方々は。
今回の「ツキノウラガワ」とか「華奢の夏」とか、本という形式ではなくてもいいから、この「物語」を讀んでみたいというミステリマニアの為に、電子テキストというかたちででもいいのでリリースしてくれないでしょうかねえ。
編集者がキチンと編集を加えればそれは立派な「作品」でありましょう。本にするのはコストがかかる、ということであれば、そういう方式ででもいいので、その「物語」を讀みたいと望んでいる讀者の期待にも応えていくというのが出版社の仕事だと思うんですけど、……やはり駄目ですか。原書房とか南雲堂あたりがやってくれませんかねえ、こういうこと。
こういう埋もれた作品、或いは一編集者だの選考者の好みだけで世に出ることがなかった作品の中に、自分のような人間の為に書かれた物語があったのではと思うと氣になって仕方がないのでありました。
閑話休題。まあ、話を本作に戻しますと、いろいろといい大人がグタグタと書いて參りましたが、すべては作者に、というよりはこれを本にしてしまった出版社と、大森氏への愚癡ですよ。ただ、本作には讀む價値はないのか、買う價値はないのか、というと、自分としては「ある」と思うんですよ。
というのも、これから先何十年後かに、「その昔、日本にもミステリ小説っていうジャンルはあったんだよ。しかしね……」と昔語りをする為にも、もし皆樣がミステリ好きを自認するのであれば、日本のミステリの凋落を如實に示す本作には今、是非とも目を通しておかないといけないッ!と思うのですが如何でしょう。
という譯で、二階堂氏が提起した「容疑者Xは本格か」なんていうテーマなどブッ飛んでしまうくらいの問題提起を行ったという意味で、本作には歴史的意味があると思うのでありました。笠井氏も二階堂氏も巽氏も千街氏も、「容疑者X」の本格ネタで議論している場合じゃないですよ。
今、自分たちが直面しているのは、「本格ミステリ」の危機ではなく、「ミステリそのもの」の危機であるということをシッカリ理解する必要があるのではないでしょうかねえ。恐らく二階堂氏は本作など黙殺でしょうけど、笠井氏にはうってつけの大量死ネタがテンコモリという譯で、本作を絡めて現在の日本のミステリ界(本格だけじゃなくて)が抱えている問題を論じていただきたいと思います。
まあ、日本のミステリがどんどん駄目になっていっても、日本のミステリマニアは海外ものだけ讀んでいればいい譯で。日本のミステリが進化と発展をやめたとしても自分には台湾ミステリがありますから別にどうでもいいですよ、とはいいつつ、やはり日本語で書かれた物語が讀めなくなるというのはちょっと哀しい。
……いまから十年後、水田美意子がどんな作家に成長しているかを想像するとわくわくする。奇跡のデビュー作の誕生に立ち会うことが出来た偶然を心から喜びたい。
本作を世に出してしまった大森氏は今後、作者の面倒をチャンとみていくように御願いしますよ。これから十年間、自分はこの本の作者の新作と大森氏の動向をウォッチしていこうと思います。
こんにちは。私が読まないタイプ?の本が たくさんあるので つい惹かれてやってきました。
キワモノって言うのは、なかなか興味ありです。
ところで、このキャッチに 惹かれてしまうのわかります。<12歳
確かに、この子が どう育っていくのか 見極めたいみたいな 親心を くすぐるキャッチです。10年後チャンと育っているといいですねぇ。
他人が取り上げないような本を紹介する、というのが當ブログのコンセプトの一つなので(^^;)。
ただ自分の場合、キワモノは好きだけど、駄作はちょっと、ですねえ。普通の人には受け付けられない作品でも、何かトンデモなく惹かれるものを持っていればいいんですけど、そういうのが何もない作品はやはり駄目です。
本作の場合、大森氏は「責任」という言葉をもって本作を世に出した譯ですから、今後十年間、當然作者をシッカリとサポートしていくことでしょう。まあ、次の作品も出たら多分自分は買いますよ、人柱としてですけど。
こんにちは。キワモノって僕もわりと好きです。クローズドサークル&大量殺戮なーんていったら、イケナイモノを垣間見る感覚ですね。下衆だなあ自分と思いつつも読んじゃったり。
しかし「作家のプロフィールも商品価値」っていう言い切りもすごいというか。とにかく本は売れてなんぼという思想を前面に出しててある意味清清しくはあるんですけど、言ってるのが大森望氏というとこが自分としては引っかかるんですが…
プロフィールも商品価値、という點については一應「公募新人賞が“売れる新人”を発掘するオーディションの性格を持つ以上」ということで、新人賞に限定してとは書いてあるんですけど、それでもやはり結構気になる發言ですよねえ。
まあ、書いた人間が誰かなんていうのは關係なく、本當に素晴らしい物語だけを渇望している本好きの讀者にしてみれば、本作のようなものを買わないことで意思表示をはかった方がいいのカモ、……と讀了したあとにちょっと考えてしまいました。
まあ、この作品の二番煎じで「小学生が書いたミステリ」「幼稚園が書いたミステリ」とか出てきても多分、次は手に取らないと思います、……とはいいつつ、やはりその時も人柱を買って出てしまいますかねえ、自分の場合(爆)。
個人的には好きなんですけどね、神津慶次朗。若手作家はファウスト系ばかりじゃないことを示しただけでも世に出てきた価値は十分あると思いますし(苦笑)。
野球選手でも入団後すぐに一軍のレギュラーを取って活躍する人もいれば、じっくりファームで鍛えたあと一軍に上がってくる人もいますから、今回の受賞は後者の特異的な例なのでは……。水田さんがエースとして活躍できるかどうかは別ですけれど。
川神さん、こんにちは。
何故か、この作品のエントリ、異樣な盛り上がりを見せております(^^;)。まあ、それだけ皆さんの関心が高いということでしょうか。
神津慶次朗に關しては、處女作は個人的にはアレでしたけど、作家としての力量についてはまだ自分の評価は保留、ですかねえ。何より作者は次作を早くリリースする必要があると思います。このまま一發屋で終わってしまえば、それだけの人ということになってしまうし、自分のように處女作をコテンパンに批判した(あわわわ……)讀者を見返す為にも、早く次作を出さないといけないのではないかなあ、と。
ただ鮎川賞でデビューした作家ってどうもその後がなかなか續かないような氣がするんですよねえ。新人賞たるもの勿論投稿された作品の出來具合の重要なのは勿論ですけど、その後作家としてやっていけるのか、というあたりもシッカリと見て貰いたいなあ、と思ったりするのでした。まあ、このあたりに言及すると、上に作品本意でといったことと矛盾してしまうんですけどねえ。
本作の作者に關しては、彼女をこの世界に引き込んだ大森氏が「責任を持」つと宣言していて、更に作者の十年後の姿までイメージしている譯ですから、まあ、十年は責任を持って育てていってもらいたいものですよ。
ミステリに限らず若い受賞者を量産するのは、作家が投機の対象になっているかのようで、良い気分じゃないですね。
仮に才能があっても早すぎるデビューは、その才能をただ消費させてしまうだけなんじゃないかと心配になります。
なんで若者は、若者というだけでもっと叩いていいんじゃないかと(笑)
この本を読んだ訳じゃないんですけど、この作者も受賞しなかったとしても、本当に才能があれば成人してからでも何らかの形でデビューできたでしょうし、そうなったとしたら本人も、若い頃の完成度の低い作品でデビューしなくてよかったな、なんて思うかもしれないですよね。
まあ仮定の話をしても仕方ないんですけど。
とりあえずデビューさせとこうではなく、熟成という選択肢がとれないのが今の出版事情の悲しい所なんでしょうか。
いずれにせよ賞を冠して出版するからには、いくら次が期待できたとしてもそれなりの水準には達していて欲しいですよね。
基本的には年寄りの方がハイブリッドなわけで、同じイロモノなら十代の稚拙な作品より、高齢者のイッちゃった作品が読みたいと個人的には思います。黒死館みたいなのを。
高橋克彦が編集者に「デビューしたいんだったら十年修業しろ」みたいなことをいわれて、本當に十年してからまた小説を書き出して乱歩章を授賞した後に本を出した、という話を思い出しましたよ。実際、氏がデビューしてからの活躍を今振り返ってみると、やはり十年待ったというのは正解だったのかなあ、と思ったりします。
その一方で、歌野氏とかは、デビュー当時は散々ないわれようだったものの、今の活躍を見るとやはりとりあえずデビューして、その後腕を磨いていったのは良かったのかなあ、……とも思ったりするんですけど、本作の作者の場合、何というか、歌野氏と比較するとかそういうのじゃなくて、もう……そういうレベルの話じゃないんですよ(爆)。そこが問題だと。
自分もイきまくった老人が書いたキワモノ作品っていうのは凄く興味がありますね!恍惚の人寸前スレスレ、っていうか完全にイッてしまった後に書きまくった埴谷雄高の「死霊」の後半部とか、あれ以上の奇天烈な内容とかを期待してしまいますよ。
それと、そんなに若ければ若いほどいいっていうんなら、妊娠六ヶ月とかの妊婦が「お腹の中の赤ちゃんが夜毎私に語りかける世界創生と真理を解き明かした物語を私が代筆した」とかいって、ジャケ帯には「最強!胎児が書いた小説!赤ん坊が見るこの世の恐怖とは!」みたいなかんじで刺激的な売り文句を書き連ねれば、……ってこれじゃあ自分みたいなキワモノマニアしか買いませんか(爆)。
こんにちは、あるまじろです。遅ればせながらワタクシも人柱に…
いやー久しぶりに「読書ってこんなに辛いんだ」と思わされました。
大人気ないのは承知の上で内容にあちこちツッコミを入れたい気分です。
沼の衣装ケースの話が断片的に挿入されてるので、序盤から殺人ピエロと思われてる彼は既に…とは思いますが、じゃあ誰が殺人ピエロなのかっていうことに対する興味は途中でどうでもよくなりますね。もーいいよ誰がピエロでも、さっさと終わってくれ、という感じ。
大森望氏は今週のアエラの「本屋大賞三回目にしてブーイング」の記事でも、既に充分売れてる作品に「本屋大賞」が与えられたのに対して「それが時代の流れだから」みたいなこと言ってますね。やっぱりこの人のスタンスってちょっと(かなり)疑問です。
あるまじろさん、こんにちは。
「もーいいよ誰がピエロでも、さっさと終わってくれ」に大爆笑ですよ(^^;)。本当に自分も讀んでいる間はその通りでした。でも感想を書くには何としても讀了しなければという義務感だけで自分を奮い立たせていましたから(爆)。
大森氏としては要するに「本は売れてナンボ」で、賣る為ならどんな手段も選ばないということなのでしょう。ある意味明快なんですけど、マニアとしてはそれでいいのか、という気持はありますよ。例えば一時バカ賣れして賣り切ればそれでいい、というのであれば、タレント本と一緒な譯で。それはちょっとねえ、と思ったりします。この本の一件で自分、大森氏のおすすめ本はかなり警戒してかかるようになってしまいました。
ところで本屋大賞に關しては何だか色々なブロガーの方々が盛り上がっているのを羨ましいなあ、と思いつつ見ておりました。だって自分がこのブログで熱っぽく語っている本なんていうのはどう間違ったってこういう賞にはエントリすらされませんからねえ……。「べろべろの、母ちゃんは」みたいな大傑作(個人的には)カルト本の類はおいとくてとしても 「三橋一夫ふしぎ小説集成」とか「都筑道夫少年小説コレクション」とか「外地探偵小説集」とか、こういう作品が候補に挙がるというのであれば、鼻息も荒くして應援してしまうんですけどねえ。