変態フルコース。メインディッシュはマゾ醜男の石汁煉獄風味。
サド女、マゾ男、ホモ、フィギュアマニア、ナル男、人肉大好き、スカトロ、制服フェチ、乱交マニア、去勢されたい男、デカ女嗜好、纏足奇形フェチ、……壮觀でしょ。要するに変態のフルコース、千街氏の文學的な言い回しを引用すれば「異形のエロスの万華鏡」。その何でもアリな世界で展開される変態人間ドラマをギュッと一册にブチ込んだのが本作です。
正直、本作はキワモノ好きの自分でも眩暈がしてしまう程の素晴らしさ、というか恐ろしさでありまして、これだけの作品をズラリと竝べられるともう何というか、マトモな人だったら讀了して二三日は頭がボーッとして何も出來なくなってしまうのではないか。そんな心配さえしてしまうほどの強烈な作品がテンコモリです。
まずもってタイトルに「べろべろの、母ちゃんは…」を持ってきた時點で勝負アリ、といったかんじでありますが、頭の足りない男がママ手作りの蒟蒻にムラムラとしてしまう表題作ほか、ジョージ秋山もタジタジのダウナーな展開と結末が讀者を地獄に突き落とす「菜人記」、更には不治の病に罹った変態男と健康美人の心の交流を描いた、泣けるキワモノ変態小説「石榴」、ユーモアというよりは奇天烈に過ぎるナンセンスが炸裂する「美女降霊」など、とにかく一編たりとも疎かに出來ない超絶奇怪な作品ばかりでありまして、これはもう複数のエントリに分けてでも、全ての作品をジックリ書いてみないと氣が済みませんよ。
最初を飾る「地獄の愛」は実をいえば本作に収録された作品の中では比較的おとなしい方で、猟奇と変態を幻想のオブラートに包んで讀者に提示する控えめなところが逆にいい。それでも「抱いて、いま」というポルノ小説まがいの台詞から始まり、あからさまな結合シーンも絡めて主人公の女子大生美樹、彼女が幼少の頃より秘かに憧れている中年男性梶原、そして戀人の青年田宮との際どい關係を手際よく纏めてしまう手腕は流石です。
美樹には田宮という戀人がいるのですが、彼女は父の友人梶原に憧れている。美樹の父親は彼女が幼い頃に亡くなり、美樹は梶原の世話を受けて成長したのでありますが、彼女もすでに女子大生。男に關心を持たない筈がありません。美樹女は暗い目を持つ梶原をいつからか男として意識するようになったのでありますが、彼の方は一向彼女に興味がない。
で、彼女は梶原にあてつけるように田宮と付き合い、處女を捨てるのだが、それでも梶原は自分の方を振り向いてくれません。こうなればと、戀人の田宮も交えて梶原のヨットに乘り込んだ今日、田宮とのエッチを梶原に見せつけて、……というのが冒頭のシーン。主人公が女子大生とはいえ、「あたし、……小父さんを好きになっちゃったんです」なんていう台詞は微塵もなく、物語は極めてシリアスに進みます。
やがて美樹は、梶原とナヨナヨしている田宮がエッチしているところを目撃してしまい大混乱。男としてエッチもてんで頼りない田宮を手玉にとってご滿悦だったお孃樣は「なぜなの。一体どうしてなの。男同士でなんか。何で小父さま、あたしではいけないの。田宮さんだって、何であたしだけでは……」と二人に裏切られた氣持をぶつけると、無言だった梶原があるお伽話を語り出し、……。
で、このお伽話、「南の国の、若い見習い軍医と、美しい人魚のお伽話だ」なんていっていますけど、この見習い軍医というのが梶原本人であることはバレバレ。従軍していた島でジュゴンよりも人間に似た人魚に惚れてしまった見習い軍医は、ついにこの人魚とエッチをしてしまいます。
しかし人魚はとらえられ、下級兵士のカマ掘りにしか興味がない上官はこの人魚を皆で食べよう、なんて言い出したから穩やかじゃない。見習い軍医は結局自分の臀を上官に差し出すかわりに人魚を助けてくれと懇願します。しかし、……という話。
とにかくこれで話が終わる筈もなく、このお伽話には悪魔主義的な結末が待っています。この話に出て來る人魚の正体を見拔いた美樹は梶原を指彈するのですが、結局このお伽話が美樹のいうとおりのものだったのか、それとも戀人のカマを掘ったのがバレてしまったので、その場逃れでこんな話を梶原がデッチ上げたのに過ぎないのか、その判断を讀者に委ねる幕引きが冴えています。
言い忘れていましたけど、本作に収録されている短篇は解説の千街氏によれば、作者が純文學から例のポルノ小説へと作風を転換する時期に書かれたものでありまして、なるほどこの「地獄の愛」などは文体も含めて純文學ふうの高貴な雰圍氣を感じさせます。
しかし續く「石榴」は當に作者が今まで隱していた変態節が炸裂した作品でありまして、讀者にビンビンと訴えかけてくる、この耐え難いまでの辛さと悲哀は、変態文學でありながら人の心をガクンガクンに搖り動かす迫力に滿ちています。
物語の主人公は淳司という男で、最初の一文が「淳司の母親は、快い体臭を持っていた」ですから、まあ、ここからどんな話になっていくのか、おおよそ察しがつこうというものですよねえ。で、この淳司が初めて意識した女というのが母親で、特にその体臭に對する執拗なまでの執着がネチっこく語られる前半はかなりのもの。
この無學な母親というのがまた凄くて、息子が醫者になる時に役立つだろうということで、手術で切除した自分の盲腸をアルコール漬けにして子供にプレゼントしたり、痔核の炎症を起こした患部を剥き出しにして息子に見せつけたりともう、何というか、痔核を治すのも大切だけど頭の方も、……そういってあげたくなるほどの狂いっぷりなんですよ。
こんな母親に育てられた譯ですから淳司がマトモに成長する筈がありません。やがて母親が病気で亡くなるとほどなくして淳司も進行性筋ジストロフィーに発病。ここから主人公の本當の地獄が始まります。
淳司は運動障害を持ったまま高校へと進み、そのかたわら整復教室に通うのですが、そこでアルバイトの助手としてやってきていた清子という美女と出會います。彼はパンツ一丁の恰好を清子の前に晒すことにタマラない快感を覚えるようになって、というのは御約束。で、母親の体臭にも敏感だった淳司でありますから、傍らに清子がいれば當然氣になるのはソレでありまして、清子がアノ日であることをその体臭から探り當て、「先生はいま、……そうなんだろ」なんていったりするんですけど、清子の方は滅法明るく、「ばかねえ」なんてかんじで淳司の変態言葉もさりげなく交わしてしまいます。
そんな清子にダンダン惹かれていく淳司でありましたが、それにしたがって自分の病状の方もグングンと惡化していくというのはこれまた御約束。やがて儲からない整復教室は復業としてボディビルジムを教室の傍らに併設するのですが、ムキムキマンたちの傍らで縮こまるようにして整複の指導を受ける淳司は、その一方で清子がムキムキマンと戀仲になって自分を醜いと嘲笑うところを妄想する。
……なんて書いていると、何だか淳司の変態ぶりだけが際だった、気色悪い物語だと誤解されてしまうかもしれません。しかし本作、実はムチャクチャ哀しい話なんですよ。とにかく淳司の変態ぶり以上に、清子への倒錯した思いと、病の故にどうしようもない自分の體への呪詛が際だっていて、何とも切ない。例えば淳司がこなしている整復のメニューに、アッシリア藝術のカラー寫眞のポーズを眞似るというのがあるんですけど、體の自由が効かない淳司がそれをマトモにこなせる筈がありません。それでもぎこちない恰好で清子の前に立ち、その無樣な姿を鏡に晒す彼の哀しさといったらありません。
そしてそんなどうしようもない哀しさ辛さから逃れるように、彼はますます被虐的な変態プレイへとのめり込んでゆく譯です。特に淳司のお氣に入りは言葉責めで、そのシーンを少しばかり引用しますとこんなかんじ。
「言ってくれ」と淳司は清子によく哀願した。「ぼくは醜いって。そして、向こうのボディ・ビルをやっている、美しい、逞しい青年たちの方が好きだって」
「そんなに自分をいじめることはないじゃないの」と清子は涙声になっていた。
「でも、そう言ってほしいのなら言ってあげるわよ。ほんとうのことを言うわね。あなたはみっともないから、滑稽だから、グロテスクだから、嫌いよ。あなたなんか生きている資格がないのよ。さっさと死んでしまえばいいわ。そしたらあたし……ボディ・ビルをやっているきれいな男性と、結婚するから」
この涙声の悪罵を聞いていることには、ふしぎな安心感があった。台に仰向けになり、清子のマッサージをうけながら、淳司は目を閉じて罵られていたのだが、おなじみの甘美な悲しみの感情が湧いてきて、ふと涙が頬をつたった。……
そしてどんどん惡化を極めていく病に絶望した淳司は清子にある提案をするのだが、……というラストは當に変態でありながら感涙必至。変態節で語られ乍らも実は純愛、という當に泣ける変態恋愛小説。何が「容疑者X」だ男の純愛ここにありッ、と讀後思わず叫んでしまいそうになった、……というのは嘘ですけど、とにかくそんな次第で、純愛ブームの今だからこそもっと評價されてほしい変態キワモノ小説の傑作で、多くの人に讀んでほしいと思うのは、……自分だけでしょうねえ。
ちょっとちょっと、まだ二作分しか書いていないのに、もうこんなに頁數を使ってしまいました。何だか今回は海野十三以上に難物ですよ。二つのエントリではとても無理なので、ここはキッパリ諦めて、作者の熱情に應える意味でもジックリと各の作品の紹介をしていきたいと思います。次はキリシタン変態男の執拗なストーカーぶりと、美人花魁に降りかかる受難を描いた「花魁小桜の足」、この世の悲慘をすべて背負った土俗系ヨブともいえる蓑虫太郎の地獄を描いた「菜人記」、初戀の人がアノ阿部定で、あそこを女に切り取られる妄想に憑かれた男を描いた「わが初恋の阿部お定」を予定しています。という譯で以下次號。
モナドさん、早っ(^^;)。まだ二編しか紹介していないのにもう注文ですか。実はこの後もっとハゲしいのが續くんですよ。
「妖異百物語」の芦辺氏の解説を讀む限り、ふしぎ文学館をリリースしている出版芸術社には凄い編集者がいるみたいですね。當に神、ですよ。自分はこのシリーズ、全巻讀破を狙っているんですけど、最近はほぼ毎月新作がリリースされるという嬉しい状況なので一體いつのことになるか……。
とりあえず注文しました。
それにしてもふしぎ文学館はホント不思議な品揃えですね。
この稿とは関係はないですが本サイトでも何度か取り上げられていた
二階堂黎人氏の容疑者Xへの批評について巽昌章氏が文章を寄せていましたね。
何か評論の賞を上げたくなっちゃうくらい面白かったです。
私も二階堂論には??だったので。
ジョンソンさん、こんにちは。自分も今讀みました。
巽氏の文章に關しては最後の「第一、面白い本格を求める読者の声にこたえるには、……」という言葉に尽きますね。前に千街氏の「水面の星座 水底の宝石」を取り上げた時にも書いた通り、これこそは自分が批評家の方々に期待していることな譯で。まあ、他にも頷いてしまうところはたくさんあるんですけど、長くなるのでこれくらいにしておきます(^^;)。
[読書]宇能鴻一郎「べろべろの、母ちゃんは……」
純文学から官能小説まで、芥川賞までとっている異色の作家宇能鴻一郎のなかでも更に異色の短編集。「ふしぎ文学館」本当に不思議である。 タイトルからしてキテるわけだが、内容は…