台湾のミステリ雜誌の紹介ということで前回「野葡萄」を取り上げた譯ですが、この「野葡萄」の先月號(二十八號)と今月號(二十九號)には「盲目與大膽」というタイトルで、傳博ことあの島崎博御大の批評が掲載されています。
内容はというと、二十三號に掲載された「推理小説的派別」という記事の批評でありまして、その記事内容の誤りを指摘するとともに推理小説の批評や論評を行う上での心掛けに對して興味深い考察を行っています。
これ、全文取り上げようとすると、二十三號に書かれた「推理小説的派別」の内容にまで踏み込まなければいけないし、著作權とか色々あるので、今回はこの御大の文章の中でなるほど、と思ったことを少しだけ紹介してみたいと思います。
一應、その部分だけ簡單に引用しておきますと、
篇名<推理小説的派別>本身就有問題、作者到底在内文是要「論」推理小説的派別、或是要「評」抑是要「談(介紹)」ne?「論、評、談」的寫作形式不同、作者應要有自我規定、在篇名向讀者交代清楚。
「推理小説的派別」というタイトルがそもそもの問題で、作者は一體この「推理小説的派別」を「論」じようとしているのか、「批評」しようとしているのか、或いは紹介しようとしているのか?論(論評)、評(批評)、談(紹介)の形式は異なり、それは作者自らが規定し、タイトルの中で讀者にそれを明らかにするべきだ。
ここでハタ、と氣がついた譯ですよ。最近いましたよねえ。「論評」、「批評」、そして「紹介」をゴッチャにして、本格ミステリの批評家に不可解な批判を行っていた方が、……ってもう誰だかバレバレなんですけど。
いや、何がいいたいかというと、某氏の批評家に向けた批判っていうのは、某作をしてあれを本格ミステリだ(いや、そもそも一批評家がその作品を本格ミステリだといった時に、それが某氏の定義する本格推理小説の三條件や四要素を満たした上での発言ではないことは明らかなんですけど)、というのはケシカラン、ということですよねえ。
しかしここで批評家がその作品を「本格ミステリだ」というのは、いわゆるここでいう「批評」か「紹介」という形式の上でのものであって、「論評」における発言ではない筈なんですよ。何故かっていうと、氏は最近の日記でも本格系批評家はロクに評論活動もしないと頭にキている譯ですから、「ロクに評論活動もしない」批評家が、ここでいう「論評」という形式において、そのような発言が出來る筈もありません。だって、ロクに評論活動もしないで、「論評」も発表していない、って氏自身が怒っている譯ですから。発表もしていない論評のなかで本格ミステリだ、なんていうことも出來ませんよ。
まあ、事実はどうあれ(いや、事実の檢証は重要だっていうのは分かっていますよ。島崎博御大もこのなかで事実の檢証は重要だといっていますからねえ)、もし本格系批評家がマトモな活動もしないで評論も発表していない、というのに怒るのは分かるんですよ。しかしそもそもこの騒動の発端は、批評家たちがあの作品を本格ミステリだ、といったことに某氏が意義を唱えたところにある譯で、もしこの批評家の発言が「論評」の上ではなく、作品の「紹介」や「批評」の形式の上でのものであったら別に問題ないんじゃないの、と思うんですよ自分としては。
「論評(論)」、「批評(評)」、「紹介(談)」という形式には相違がある譯で、氏のような批判は「論評」という形式においてなされた内容にのみ行われるべきではないのか。書き手の側はその内容が論、評、談にいずれのものであるのか明らかにしなければいけないのは勿論なのですが、受け手の側もそれを峻別しないで珍妙な批判を行うというのはいったいどうなのかと思う譯です。
それとも某氏はこの論、評、談という形式を認識しつつ、「批評(評)」、「紹介(談)」の中でも本格ミステリという言葉の定義を明確にせよ、と迫っているんでしょうか。
例えばミステリの評論家であれば多くの方が行っている新聞や雑誌でのブックレビュー(これが所謂「紹介(談)」という形式であるのは明らか)において、その作品の内容に言及する際にも、本格ミステリという言葉を定義しなければいけない、とそこまで言葉を縛るというのであれば、作家、編集者、批評家も含めた作品の送り手側全員の中でまずはその言葉の定義が統一されていなければいけないってことになると思うんですけど、……果たしてこんなファシズムをブチかましたとして、ミステリの未來は明るいんでしょうかねえ。自分はかなり悲觀的ですよ。
最後にもうひとつ、この「盲目與大膽」から島崎博御大の言葉を引用しておきますか。
但是大膽的嘗試與盲目的嘗試是不同的。
敢えて日本語はつけませんけど、自分は某氏のここ最近の言動は當にここでいう「盲目的嘗試」に當たるのではないかと思う譯でありました。以上、ダラダラ書きましたけど、要するに某氏の発言の數々はやっぱりよく分からない、ということです。
[01/11/06: 追記]
論考という言葉は一寸違和感があるので、論評に置き換えてみました。しかしこのブログを讀んでくれている人で、傳博こと島崎博御大の名前を知っている人ってどれくらいいるんでしょう?
すみませんが、日本語で書き込みが上手ではありません。
島崎さんは台湾ミステリに関心を持っていますから、
インターネットで自分の「推理野葡萄」の文章に関する意見も集めたいです。
だから、私は貴方のコメントを島崎さんにあげました。
勝手がましいですから、ごめんなさい。
島崎さんは嬉しくて、そしてよろしくと伝えます。
ところで、「別進地下道」のコメントも読んでいました。
本当にありがとう。
これから、もっと頑張ります。
既晴先生、こんにちは。
作者から直接コメントをいただけるとは嬉しいですね!今回は「別進地下道」でしたが、今後も順次、「魔法妄想症」、「請把門鎖好」、「網路凶鄰」、「超能殺人基因」などこのブログで取り上げていく予定です(「獻給愛情的犯罪」はまだ未購入ですが近々手に入れます)。
それと島崎博先生の「野葡萄」での御活躍、自分も非常に樂しみにしております。今後はこのブログで台湾ミステリを大々的に紹介していこうと張り切っておりまして、微力乍ら台湾ミステリの日本への普及に貢獻出來れば嬉しいですね。