トンデモ類人猿怪奇譚。
怪奇幻想といえば忘れてはならないのが「ゴジラ」で知られる香山滋な譯で、度々その名に言及し乍らもなかなか作品については取り上げる機会がなかった巨匠の作品、今回は氏の處女作にしてトンデモ類人猿の逸話を怪奇幻想ミステリに仕上げた傑作「オラン・ペンデク」シリーズを。
オラン・ペンデクのシリーズは「オラン・ペンデクの復讐」、「オラン・ペンデク後日譚」、「オラン・ペンデク射殺事件」の三つに分かれておりまして、自分が持っている現代教養文庫版、そして出版芸術社の「ミステリ名作館」ともに「復讐」、「後日譚」「射殺事件」の順番で収録されているようです。時系列としては、「射殺事件」が冒頭にくる筈なんですけど、物語の盛り上げ方としてはやはり「復讐」が最初にきて、その後に「後日譚」、そして外傳のかたちで「射殺事件」が最後に収められるというのが正しいのでしょう。
最初を飾る「オラン・ペンデクの復讐」は作者の處女作だけあって物語の構成はもうメチャクチャ。地の文を極力廢し、博士の長大な語りのみで物語を強引に進めてしまうという展開は、あの小栗虫太郎の「白蟻」にも通じるものがあり、現代の本讀みの方には少しばかり辛いところ。
物語は東京帝國大學を思わせる人類学教室で、宮川博士が何やら從來の生物進化説をひっくり返すほどのトンデモな発見を発表する、というところから始まります。緊張溢れる教室に博士がスッと入ってきていよいよ會見が始まるとあとはもう言葉通りの独演會で、改行もなく博士の発表内容の前振りだけが延々と二頁あまり續きます。
饒舌な博士の台詞を簡單に纏めますと、スマトラ島から更に東へ十五哩ほど離れたところでオラン・ペンデクなる類人猿を生きたまま捕獲した、と。すわ、この會場に類人猿が御登場か、とどよめく聽衆を餘所に博士の獨演會はなおも續きます。
曰わく、博士はオラン・ペンデクを見つけたものの大洪水に巻きこまれて、もう一つ類人猿を発見したよ、と。ペンデクの方が言葉通りの類人猿だとすると、もう一つのオラン・ペッテの方は「ペッテ」という言葉が「沼」を示す通りにこちらは兩棲類の體構造を持ったトンデモで、博士はこの水棲人の発見により、從來の進化説は完全に覆されると喝破します。
博士はこのオラン・ペッテを撲殺すると、その場で解剖を試みたものの、その夜に巨人蟻の大群に襲われてしまいます。この巨人蟻というのが刺されれば一瞬にして人間を木乃伊にしてしまうという毒液を持っていて、博士はどうにか命からがらこの場所を逃げ出してきたのですが、一體全體どうやってこの場所を逃れて日本までたどり着いたのか、そのあたりの記憶が定かでありません。
じゃあ、オラン・ペッテの御披露目はなしかよ、この話だと標本もなくしちまったみたいだし、と會場がすっかりシラケたムードに陥りつつあったその刹那、博士はオラン・ペッテ実在の証拠を示す、というや、その場で木乃伊となって絶命します。
この木乃伊化は巨人蟻の毒にやられたに違いなく、博士は如何にしてその毒効果の遅延を試みたのかという謎は勿論のこと、更にトンデモなのが、木乃伊化した博士の胸元にはオラン・ペンデクの特徴である花形の痣があり、更にその口腔内にはオラン・ペッテの特徴となる鰓があったというから大騒ぎ。
博士の死の謎とともに、博士の死体から発見されたペンデク及びペッテの身體的特徴は何を意味するのか、ということが後半の謎解きで明らかにされるのですが、もうこのオチは皆樣の予想通り、探偵小説というよりはトンデモ怪奇小説のそれでありまして、最後の最後に明かされる犯人とその動機も唐突ならその犯行方法も當に口アングリな代物です。
しかしこの犯人を巡って續く「オラン・ペンデク後日譚」では素晴らしい祕境冒険譚が展開されます。この物語の主人公は、「復讐」で木乃伊化して死んでしまった宮川博士の助手、石上の妻旗江で、物語は彼女を乘せた船がミンダナオ島を出発してマサッカル海峡へ至るところから始まります。
旗江は「復讐」で語られた宮川博士殺人事件以後失踪してしまった夫の石上を捜して、ある場所に赴く途中なのでありますが(って完全に「復讐」の犯人のネタバレですな、これは)、この船で氣に掛かるのが、この帆船の管理者であるヨハン・ヘイステル氏が皆の前にいっこうに姿を見せないことでありまして、そもそも出航する時に皆で顏合わせとかしないんですかッ、とこちらがツッコミたくなるのをぐっと抑えて頁を進めますと、やがてヨハン氏が自分の夫石上と瓜二つの容貌を持っていることが判明、旗江は、ヨハン氏はしらばっくれているけども彼こそは自分の夫、石上に違いなく、何か譯あって自分の前でもヨハンを裝っているに違いないと確信します。
で、ヨハンが何か一言話すたびに、地の文で旗江がヨハンの台詞に「本當は石上なのにしらばっくれて」みたいなツッコミを入れるところが笑えるのですが、ここで乘組員の暴動が唐突に発生。ヨハンと旗江、そしてヨハンが同乘させていた少女とともに船底の一室に閉じこめられてしまいます。果たしてヨハンがこの船を進めている目的は、そしてヨハンの正体は、更に旗江の運命や如何に、……というかんじで物語は後半に突入します。
後半の島にたどり着いた旗江が目撃する幻想的な祕境の風景は壓卷。旗江にしてみればその理不盡にして不條理な眞相はアンマリという氣がするものの、後半のサスペンスフルな展開はなかなか讀ませます。
續く「オラン・ペンデク射殺事件」は、「復讐」の発表會で宮川博士が言及していた事件の顛末を語るもので、オラン・ペンデクがまだ原住民の間で傳説として傳わっていた當時、州地方監督官であったロック・マーカーは森の中で発見したオラン・ペンデクを射殺してしまいます。この事件を好機とばかりに政敵の連中が騷ぎを起こして、オラン・ペンデクを人とみなし、その殺人の罪で彼を断罪して、監督官の椅子からひきずりおろそうと畫策するのだが、……という話。
果たしてロックはこの政敵からの攻撃を逃れるように、密林へと分け入ってオラン・ペンデクを探しに向かうのだが、……というところで、この物語の後半に彼の手記が明らかにされて幕引きとなります。
物語の整合性としては三部作の中では一番こなれているのですけど、オラン・ペンデクネタとして見た場合、本作はあくまで外傳。やはりここはトンデモミステリとして「復讐」を、そして冒險譚として「後日譚」を堪能し、最後にこの美しい類人猿オラン・ペンデクが棲む理想郷を活写した「射殺事件」を讀み通して餘韻に浸る、というのが正しい愉しみ方でありましょう。
個人的にはやはり「復讐」のトンデモテイストを推しますが、「後日譚」の、祕境ものの風格を持った雰圍氣も絶品。三作ともに短いので、「復讐」の改行なき讀みにくさを凌げば意外と短い時間で讀み通せます。
自分が持っている現代教養文庫版にはこの他、肉體は大人の女性、その実まだ處女の少女という美しき助手にムラムラしてしまう男の苦腦を描いた(半分ウソ)「美しき山猫」や、マンマ高橋葉介の世界の住人を髣髴とさせる、魔女っぽい貴婦人の魅力に虜になってしまう若夫婦の堕落を描いた秀作「蜥蜴夫人」などが収録されています。とりあえず長くなるので、このエントリはオラン・ペンデクネタだけでひとまず終わり。「美しき山猫」以降は次のエントリにて取り上げてみたいと思います。という譯で、以下次號。