二階堂黎人氏の嫉妬。
一昨日讀んだ「マヂック・オペラ」が、檢閲図書館と怪盜二十面相との虚々實々の對決を期待していた自分としては見事なまでの不完全燃焼だったので、今日は安心保証マークつきの本作を取り上げてみたいと思います。
二十面相は二人いた、という假定の元に作者がものにしたのが本作でありまして、物語は大きく前編「サーカスの怪人」と後編「青銅の魔人」に分かれています。前編では初代二十面相丈吉の活躍を活寫する一方、この前編が後編で二十面相を引き繼ぐ平吉の序章にもなっているという洒落た構成が素晴らしい。
大乱歩が創造した二十面相の世界を物語の舞台に据えているとはいえ、大乱歩のような仰々しさは皆無で、登場人物の台詞や地の文も含めて物語は淡々と進みます。それでいて作者がしっかりと前に出て登場人物の動きに解説を添える文章が巧みで讀ませるんですよねえ。
驚くべきは、このように大乱歩の文体模写をせずとも物語の世界はポプラ社ワールドを完璧に再現していることでありまして、さらには戰後、焦土と化した東京をたくましく生き拔いていく戦災孤児や市井の人々を鮮やかに描いていくところが、半村良の「晴れた空」や「産霊山秘録」の後半を髣髴とさせます。これがまたいい。
前編となる「サーカスの怪人」の冒頭は、二代目二十面相平吉の描写から始まります。彼は或る日、母に連れられてサーカスを見に行くのですが、その夜に不倫を疑った(いや、實際に不倫していたんですけど)彼の親父がブチ切れて、母親を刺してしまいます。親父はその後首吊り自殺をはかって失敗。平吉は孤兒となって淺草をさまようものの、無銭飲食がばれて御用となります。平吉は孤兒院に預けられそうになりますが、結局淺草の遠藤曲馬團に引き取られる。
そこで平吉は、サーカスを見に行った時に、母親と逢い引きをしていた男と再會するのですが、この男が初代二十面相の丈吉で、平吉はこのあと、丈吉の弟子となって樣々な曲藝を身につけていくことになります。
一方、丈吉はサーカスの觀客だけでは自分の才能を活かせないと足拔けをして、二十面相となり、……というふうに話は展開します。
初代二十面相の丈吉が出て來れば、勿論その敵方となる明智もシッカリと登場します。しかしこの作品の主人公は二十面相でありますから、大乱歩の作品ではスターだった明智もこちらでは完全なヒール役。それも超がつくほどの極惡ぶりで、後編となる「青銅の魔人」に至っては小林少年が明智の死後、その名前を襲名するのですが、この元小林少年の二代目明智の凶惡にして邪惡な樣子は完全に大乱歩の世界の住人とは思えないほどの凄まじさですよ。
初代明智にはまだ老獪ともいえる知性が殘っておりましたが、この元小林少年の二代目明智などは、二十面相がナカナカ登場しないのに痺れを切らして、自分から二十面相の署名入りで犯罪の予告状をしたためてしまうほどの狡猾ぶり。
そんな譯で、讀者の方としても、明智バーサス二十面相の對決では、二十面相頑張れッ、と声援を送ってしまう譯であります。特に後半に至っては復讐心に燃えまくる二代目明智の狡猾邪惡極惡ぶりが尋常ではない故に、いかなる明智ファンでも二十面相を應援せざるを得ません。それほどまでに凄いんですよ本當に。
前編「サーカスの怪人」の最後において、初代二十面相の丈吉は氣球とともに落下して大怪我を負ってしまいます。このとき氣球に同乘していた小林少年もまた怪我をしてしまい、それが明智を襲名した後の凄まじい復讐心となって爆発する譯でありますが、この小林少年の尋常でない狂いっぷりが現れるのが後編となる「青銅の魔人」。
前編の後半、「終章あるいは新しい序章」と題した最終章、所謂東京大空襲で焦土と化した東京の街で、平吉は戦災孤児の一人、葉子を助けます。張大元などの理解者を得た彼は的屋を始めながらも、葉子とともに泥棒長屋に居を構え、いよいよ二十面相としての仕事に取りかかろうとするのですが、一方の癌を患い余命幾ばくもない明智が平吉を訪ねてきます。彼は初代二十面相丈吉が殘していた資料を平吉に渡し、自分の後は小林少年が明智を襲名するだろう、と告げます。果たしてここに明智バーサス二十面相の第二幕が始まろうとしているのであった……。
というかんじで、後編「青銅の魔人」へと突入する譯です。後編では、的屋の家内制手工業で青銅の魔人をつくったりと樣々な仕掛けがこれすべてハンドメイドであったという舞臺裏が明かされたり、平吉とともに遠藤曲馬團にいた幸子とのほろ苦い再會があったり、或いは平吉と太宰治とのささやかな交流が描かれたりと讀みどころがテンコモリです。そして「皇帝の夜光の時計」を盜もうとする二十面相と明智の巧智を尽くした對決の結末やいかに、という後半、驚くべき眞相が明かされる仕掛けも素晴らしい。
本作を讀んでみて分かるのは、虚假威しの仰々しい文体だけでは大乱歩の世界は模倣出來ないのだなあ、ということでありまして。本作では特に前編となる「サーカスの怪人」の後半で、二代目二十面相の平吉が戦争を憎むに至ったいきさつが描かれるのですが、偏向した思想信条に偏らず、ただひとえに戦争というもののありさまを見つめようとする作者の搖るぎない視點が、そこへ十分に過ぎるほどの説得力を与えていると思うのであります。
飜って、大乱歩の小説世界を自ら構築しようとしている某氏はどうかっていうと、……まあ、ここでいうまでもないですよねえ。
とにかく娯樂讀み物としての完璧な構成、そしてギミック。ジャケ帯で、北村薫氏が「これが自分の書いた本なら、どんなに嬉しいことだろう」といってしまうのも大納得の一册です。おすすめ。