笑い殺す。
クラニーこと倉阪鬼一郎氏がまだブレイクする前、幻想文学出版局からリリースされた第二短編集がこれ。
怪奇というタイトルにしては、建石修志畫伯の手になるジャケもいつになくハジケまくっております。内容もこのジャケの雰圍氣に違わず、恐怖や怪奇というよりは、狂氣にとらわれた人生の落伍者たちが不條理にして珍妙な事件に遭遇し、魔界へと堕ちるという物語が大半を占めた、いうなれば怪奇笑説集。
とはいえ、作者の類稀なる幻視力が炸裂した掌編「夢でない夢」や、日常の中に突然襲い來る不條理が不氣味さを催す「鬼祭」、狂氣と説明の出來ない違和感がないまぜになった現実の搖らぎを描いてみせる「地球儀」など、笑いだけではない、氏の才能を見せつけてくれる作品が目白押しです。初期短篇集といえど、恐怖、狂氣、不條理、そして笑いのゴッタ煮という氏の作風はこの時點で既にシッカリと確立されていることに驚きつつも、笑いに賭けた氣合いの濃さはこの作品ならではでしょう。一作一作は短い乍らジックリと堪能していただきたい作品ばかりです。
最初を飾る「鬼祭」は、舞台の出番を待つ私の語りで始まります。果たしてこの舞台の正体が明かされるのは最後の最後で、「とりたてて特徴のない平凡な勤め人」であった私がどのようにしてこの舞台に立つことになったのか、そのいきさつが語られます。
競馬に負けた私は渋谷の裏路地をブラブラしているうちに奇妙な公衆便所を見つけます。私はその便所が異界に通じていることも知らずにその中に入って用を足すのですが、果たして、……という話で、昭和の時代の懷かしい風俗を織り交ぜつつ描かれる異世界の風景は特有の郷愁を催し、昭和ブームの今に讀み返してみるにつけ、いよいよクラニーの大ブレークが來るか!、と錯覺してしまうのは自分だけでしょうかねえ(爆)。
「絶句」はすべての會話を五七五の俳句で行うというルールで勝負を行った二人の男が体驗する恐怖を描いた作品。しかし食堂に入って、第三者を卷き込んでの會話に至っても五七五を押し通す二人のやりとりが莫迦莫迦しく、笑いがとまりませんよ。それでいてしっかりと怪奇小説らしい體裁に纏めているところは流石です。
「階段」は収録作の中では、新耳袋にも通じる恐怖を感じる作品で、「私の幽霊体験」というテーマで書かれた手記から始まり、そのあとに手記の作者が行方不明になったことが編集者の言葉によって明かされます。果たしてその手記に書かれてあった内容は、……というオチで幕引きとなるのですが、眞相を曖昧にして終わりにするというあたりの手際が怪談噺ふうでいい。
「人文字」は、印刷會社で校正を行う冴えない男が主人公の物語。この會社にはS制度というものがあり、入社五年目の社員はSと非Sという二つの區分けにいずれかに振り分けられるという。今年で入社五年目となる主人公の男はこの制度をいぶかしく思いつつ、今夜も社長の著作の校正を行っているのだが、冒頭の一文に致命的な誤字を見つけて……、ってこれだけだと何が何だかな譯ですが、實際この幕引きも當に何が何たか、ですよ。尻切れ蜻蛉というのとも違う、作者の短篇にはありがちな意味不明なラストは、それでもひばり書房系のスカムホラーやコガシン先生の名作怪作に馴染んでいるマニアにはノープロブレム。校正屋という作者ならではの登場人物に、文字と音に對する執拗なこだわりを見せた雰圍氣は「文字禍の館」を髣髴とさせますねえ。
「幻小路」は當に幻想小説の體裁をとっているものの、とにかくディテールに吹き出したくなる笑いを鏤めた好編です。留年を續けるダメ人間を主人公に据えて、その阿呆ぶりを淡々と描きつつ、徐々に風景が異世界へと變じていく様を描くところが作者らしい。さびれた商店街を拔けたところにある喫茶店のマスターが「相済みません」とお決まりの台詞を口にするあたり、作者のファンがニンマリとしてしまう描写も冴えています。
「地球儀」はこれまたダメ人間がガードマンを勤める会社で起こる怪異を描いた作品なのですが、夜のデパートに突然現れる地球儀、というシュールな情景が光っています。説明の出來ない怪異が妙な笑いを誘いつつ、冷静に主人公の体験を頭の中に思い描いてみると、その不條理さはかなり怖いかもしれません。軍隊式のやりかたを押しつける自衞隊出身の先輩など、ネジの外れた登場人物も健在で、これまた讀ませる好編でしょう。
「怪奇十三夜」は十日前に死んだ男から、映畫の上映會の知らせを受け取った人物たちが、そこに書かれているとおりの場所に參集するのだが、……という話。上映される映畫とその映畫を見る觀客の側を交互に描写していくのですが、冒頭で描かれた風景が最後の幕引きで繋がるものの、ムリヤリ感は拭えない、これまたいかにも作者らしい構成が光る作品です。上映される映畫の描写がスプラッタ映畫のオマージュに充ち滿ちているところもまたいかにも。
「夢でない夢」は、全編にノヴァーリスの幻影が見え隱れする、當に作者の幻視力を見せつける好編。夢を見ている夢を描写していくのですが、後半に行くにつれて、當に悪夢のような情景へと捩れていく展開が見事。幻視力という點では、流石に牧野修には一歩を譲るものの、あちらは狂氣に片足を突っ込んでおりますから、狂氣を描きつつその実決して常態を崩さない氏の作風ではこのあたりが限界でしょう。それでも終盤に現れる地下鐵のホームの描写はかなり強烈。個人的にはこういう詩的な作品は大好きですよ。
「人肉遁走曲」は當にこれ笑いと狂氣が入り交じった、作者の作風が最大限に発揮された爆笑の作品。バツ一の女房にも驅け落ちされた冴えない八百屋が、次第に狂氣を帶びるに至り、くだらない貼り紙を一枚店先に出したばかりにそれがトンデモないことになって、……という話。とにかくこのダメ人間の八百屋の描写が面白すぎます。
笑いという點では、續く「禿頭回旋曲」も同樣で、禿頭に惱む私の語りで進む作品。禿げの治療藥の開發に勤しむ私は、自分が禿げであることを内緒で結婚するのだが、やがて、……という話。この私の語りが狂氣を帶びていくにつれて、壞れた笑いの度合いもますます強まっていくというのは御約束。狂氣に収斂する展開と、ムリヤリ感のある幕引きがこれまた作者らしい傑作でしょう。
「七人の怪奇者」は、かつて七人の男が關わって発行されていた「怪奇者」という謎のオカルト總合誌を巡る物語で、六册をリリースしたところで廃刊となった筈のこの雜誌の七册目が古本屋で見つかります。とある雜誌の編集者が「怪奇者」のかつての編集長から”怪奇者の宴”を催すという手紙を受け取り、その場所を訪ねていくのだが、果たして……、と、これまた尻切れ蜻蛉の終わり方をするものの、オチも何もないこの幕引きがどうにも居心地の惡い違和感を殘します。何処となく、かつてのB級怪奇探偵小説の雰圍氣も感じられる掌編ですねえ。
「異界への就職」は根暗で何をやってもダメなデクノボウが主人公の物語で、男は就職雜誌で「暗い人求む」という奇妙な廣告を見つけてそこへ面接に行くのだが、……。クトゥール神話からの引用が鏤められているものの、チンプンカンな展開と破綻寸前の構成は當に作者ならではのこれまた怪作。本氣なのか、或いは何処までがお遊びなのかが分からないところが何ともですよ。
最後をしめくくる「猟奇者ふたたび」もクトゥールを題材にしているものの、こちらの方は作者の幻想小説に對するマニアックな趣向が感じられる好編です。「まぼろしの幻想作家を訪ねて」という、これまたマニアに過ぎる特集記事を組んでいる貧乏雜誌の編集者の元に、讀者から奇妙な手紙が届きます。その手紙の主は半世紀ほど前に「猟奇者」という雜誌に掲載された作品「奇を猟る者」の作者で、彼は雜誌の企畫にこの作品を取り上げてほしいという。編集者とフリーライターの男はこの手紙の主を訪ねていくのだが、……とこの結末よりも、ここでは米田三星だの氷川瓏だの、普通の本讀みは絶對に知らないでしょッ、というような作家の名前にさりげなく言及してしまう作者のマニアぶりに注目でしょう。
いずれの作品も大傑作というには躊躇いの殘るものばかりなのですが、それでもこの何ともいえないマイナーぶりが自分のような好き者には堪りません。本流にはほど遠い、作者お得意のB級ぶりに、ブレイク前、それも第二作目というところから發する妙な気迫も加わって、現在の作品には感じられないハジケッぷりが偏愛したくなる作品集。幻想小説好きよりは、「田舍の事件」や「活字狂想曲」の破壞的な笑いを嗜好する御仁におすすめしたいレアものです。