前回までのあらすじ。
テコンドーの猛者である主人公は歡樂街の風俗店で大立ち回りを演じたあと、ようやく名刺の人物、蔡に會う。彼のマンションに連れて行かれ、そこで主人公は自分の大學の學食で見かけた美女と再會する。
一方、韓国の大統領夫人は「首筋から鎖骨をなぞるようにし、まだ張りを失っていない乳房を泡立てた石鹸でやさしく包」みながらシャワーを浴び、大統領にベットへ押し倒されると熱い接吻を受け、福岡では男の死を追っている刑事が今は探偵をやっている元同僚に呼び出されていた。……
とにかく美女に日本語を教える前に主人公は、日本人嫌いの彼女と會話をしなければいけません。主人公は何故か彼女がこの本を讀了濟みであったことを知っていて(どうやって推理したんでしょう?)この本の話題を切り出すのですが、美女の方は「へえ、日本人のあなたがあの話を理解できるとでもいうの」とこれまたバッサリ。
とにかくこのヒロイン、慰安婦だったという祖母から日本人に關してはかなり酷いことを吹き込まれているらしく、いくら主人公が歩み寄ろうともまったく受け付けてくれません。例えば主人公が「ぼくも先の大戦を振り返って見れば、君とまったく同じ気持ちを抱く。それは同じ人間だから変わりはしない」と「民族違っても人間同志」といえば、「まともな神経をした人間なら」なんてシレッと切り返すという按排で、更に主人公が何か言葉を續けようとすると、それを遮るようにして、このヒロインがいった台詞がこれ。
忘れないでほしいの。あなたたち日本人はアジアを踏み躙った足でそうやって立ってる。過去は絶対に変えられないし、歴史は人間だけが持ち得る究極のコミュニケーションだわ。それを無視しないでほしいの。
それなのに、いまだに日本の政治家は失言をくり返す。つい洩らしてしまう言葉にはその人の本音がのぞくものよ。でもね、いちばん腹がたつのはあの謝罪の言葉よ。とり澄ました顏で『イカンにオモう』。馬鹿にしてるの?
歴史がコミュニケーションだったっていうのは初耳ですが、だとすると歴史觀が相容れない他人とは會話さえも出來ないということでしょうか。このヒロインのラディカル過ぎる言論に主人公が日本男兒として激しいツッコミを入れてくれるかと思いきや、彼は地の文で、
そのとおりだ。自分が当事者であったら、あんな中身のない言葉では到底納得できないだろう。
日本男兒としての矜持を見せてくれるどころか、ヒロインの言葉にウンウンと激しく頷いてしまいます。このあと再び部屋の中に蔡が入ってきて俺は実は在日だ、とカミングアウトした後、彼の辛すぎる半世紀が浪花節で延々と語られます。
その一方、事件を追う刑事は次第に蔡と主人公のいるマンションへと近づいてきます。また主人公が知らない間に、彼の家が放火されていたことが発覺。更に男が大統領に渡そうとしていた書類の存在もここで明らかにされます。本筋とは關係ないんですけど、登場人物のひとりがこの書類を「ハングルに翻訳」したとかいっているんですけど、これってどういう意味なんでしょう(おーい、誰か呉智英センセ呼んできてください)。
そしてマンションを訪ねていった刑事でありましたが、蔡に見つかり拉致されてしまうというのも御約束。
縛った刑事を部屋の隅に転がしておいて、この書類をどうすると、主人公、蔡、ヒロインの三人でああでもないこうでもないと話し合うのですが、結局「燃やそう」ということになって書類に火をつけたそのとき、刑事が「あーーーーー!」(ママ)という凄まじい雄叫びをあげたおかげでどうにか書類が焼かれるのは免れます。
ここで唐突に、蔡は靈園で死んだ男が日本に來てからのことをすべて知っていたと告白します。要するに蔡ははじめから主人公の前では知らないフリをしていたと。しかし何ですか、この身も蓋もない展開は。
で、この書類も交えて、更に大統領に關する驚愕の眞相が明かされ、いよいよ物語はサスペンスフルに展開し、……ていく筈なんですけど、このあたりがうまく転がらないんですよねえ。
韓国編でも大統領と惡玉のシーンが交錯し、一方日本編でも主人公をはじめとした登場人物の視點が目まぐるしく入れ替わるものですから、このドタバタした展開を追いかけるのに手一杯で、サスペンスを感じる暇もありません。
またサスペンスを釀し出すために工夫を凝らした文体がハジけていて、緊迫感を出す為の描写になるととたんに漫畫チックな文章に流れるところも見所のひとつでありましょう。鮮烈な蹴りに男が「でべぇっ!」と悲鳴をあげれば、プシュ、と銃が撃たれ、トラックの警笛が「ブォーーーー、ブォーーーー!」(ママ)とカギ括弧つきの台詞扱いで雄叫びをあげ、パチッ!と髮の毛がタイヤに触れたりします。これではサスペンスを感じる前に吹き出してしまいますよ。
このあと、韓国の大統領が日本にやってきて、主人公は蔡とヒロインたちとともにどうにかしてこの大統領に會おうとするものの、前の方に登場もしていた、いかにも腹に一物ありそうな韓国人が色々な妨害を企てます。
そして後半、大統領が御乱心遊ばされ、靴も履かない寝間着姿でホテルから飛び出してきたり、影武者を使ったりと色々なギミックが開陳されるものの、今ひとつドキドキしないんですよ。最後は男が死んでいた靈園に大統領、主人公たち、そして敵の一味が繰り出しての攻防へとなだれ込むのですが、主人公の持ち味、テコンドーが全然イカされていないこの場面にはガッカリ。寧ろここでは過激過ぎるほどにテコンドーの必殺技を繰り出してもらって、闇から飛び出してくる敵陣をバッタバッタと薙ぎ倒してくれた方が絶對に盛り上がったと思うんですけどねえ。
要するに、「シュリュッ!」と蹴りが放たれ、「ズガッ!」と踵落としが炸裂し、「でべぇっ!」と悲鳴を挙げた男が卒倒するや、今度は「へぎゃっ!」という氣合いとともに敵方の拳が繰り出され、「ズショショショッ!」と主人公が激しく地上を蹴り上げるような緊迫感溢れる格闘シーンを描いていただければ最高でした。
で、主人公たちがバタバタしている間、大統領は敵のワルと對峙しながら脅迫されたりしているんですけど、落ち着きながらも毅然としていた大統領がここでは妙に無口になってしまうのも不思議。ここでの會話の展開はまずワルが一言いう。すると大統領の無言が「…………」と傍點で繰り返され、ニヤリと笑った惡玉がまた何か言う。するとまた大統領が「…………」と押し默るばかりでまったく盛り上がらないんですよ。
最後は主人公が大統領に出會って終わり、……ってこれで終わりですかッ。エピローグ「ソウルの夏」で、主人公は韓国に渡っていて、大統領は今回の騒動となった事柄をカミングアウト。韓国内は騷然。で、ジ・エンドです。
もうちょっとハジけた物語かと思っていたのですが、あまりに普通の小説だったので肩すかしを食らってしまったというか。大統領の眞相といい、明仁天皇への言及といい、ヒロインの反日発言で飛ばしまくる前半と相違して、後半のどうも日本人に配慮したと思われる展開が痛々しい。韓国での同時リリースということであればもっともっとハゲしい内容がテンコモリでも良かったのではないでしょうか。それとも反日ヒロインが妄言を吐き散らすばかりでは流石にマズい、と作者の中の良心がブレーキをかけてしまったのか、そこのあたりは非常に殘念です。
韓国の国定教科書からの引用文が最初に添えられているものですから、作者は生粹の左卷きの方なのかなあ、と思いながら讀み進めていったんですけど、この前半の反日ッぷりと後半の妙に腰碎けの内容から感じるに、作者に思想的なものなどはじめから何もなかったのではないでしょうか。ただ單に最近の「未曾有の韓流ブーム」に便乗して、韓国もので新本格ミステリを書いてみました、というような氣がします。
そうでもないと、「ハングルに翻訳」なんて書かないですよねえ。或いはこれに關しては自分が深讀みに過ぎて、作者としては韓国事情を知らない登場人物を茶化す為にこんなフウに書いてみただけなのか。それにしては地の文で作者の説明も入らないし、今ひとつ作者の思惑が何処にあるのか分からないところがもどかしいですよ。
まあ、実をいえばそういう思想云々というところはどうでも良くて、氣になるのは作者が宣言していた「プロローグの一行」からはじまっているトリックというのが何だったのか、それであります。結局自分は何処で驚かなければいけなかったんでしょうか。
フーダニットやハウダニットがプロットのメインに据えられている譯でもなく、「プロローグの一行から」はじまるトリックということからも、本作にはアレ系の仕掛けが使われているのではないのか、と思っているんですけど、そうじゃないんでしょうかねえ。「殺戮にいたる病」「イニシエーションラブ」「螢」「弥勒の掌」と作者の仕掛けたアレ系のトリックには大いに驚くことが出來た自分ですけど、本作は何度讀んでも分かりませんでした。それともこのいかにも何かありそうなプロローグは單なる虚假威しに過ぎないということなのか。だとすると、ジャケ帯にあった言葉とは矛盾するし。やはり分かりませんよ。
とりあえず他のミステリ好きの方が本作の謎解きの解説をしてくれるのを待つしかないですかねえ。
という譯で、思いのほか難解な作品でありました。まあ、自分が莫迦で、作者の仕掛けた壯大なトリックを理解出來ていないだけなのかもしれませんが。あらすじからトンデモミステリかと思って期待すると肩すかしを食らいます。取扱注意、ということでしょう。
(オマケ。あまりに話の展開が理解出來ないものですから、再讀する時には後戻りをしつつポストイットで印をつけていったんですけど、もうグチャグチャ。で、この寫眞は自分が讀了したあとの本作の姿であります。話の展開が頭にイメージ出來ないという點ではもしかしたら自分にとっては「黒死館」以上の難物だったかもしれません。今回の讀書は自分にとってはかなりの苦行でありました。以上)
はじめまして。自分も注意して読んでいたのですが、最初の一行から始まるトリックは最後までわかりませんでした。まぁ強烈な反日ヒロインの電波に侵されて判断力が鈍っていたからかもしれません。
本書の文章は引用したくなるところが多いですよね(笑)「ブオーーーー!」は爆笑してしまいました。
architectさん、はじめまして、というか毎日そちらのサイトの更新を愉しみにしておりまして、実をいうと、今朝方既にそちらのレビューも拝見しておりました(^^;)。
いやあ、「社会性」と「娯楽性」の雙方から論じられている内容は的確で、當にその通りですよッ!と激しく頷いてしまったのですが、やはり讀み通すのにはかなり苦勞されたようですね(苦笑)。
場面展開のせわしなさと、蔡、蔡(チェ)、チェには頭がグルグルしてしまったんですが、やはり作者のいう、プロローグから始まっているトリックっていうのはインチキだったんですかねえ。分かっていないのが自分だけだったら悔しいなあ、と思っていたのでちょっと安心しました。
それと「ブォーーーーー!」と「でべぇ!」が自分的には大ヒットでしたね!他の方も本作を讀まれてどのような感想を持たれるのか非常に興味があるんですけど、architectさんと自分の二人でこんなレビューを書いてしまったら、皆さん讀んでくれないですかねえ……。それがちょっと心配ではあります。
taipeimonochromeさん、三部作の力作エントリーお疲れさまです。architectさんのレビューとあわせて読んだら、もう本編を読んだような気になってしまいました(^^;)
「1行目のトリック」自分も気になったので書店でそこだけ読んでみたのですが、どうにもトリックが仕掛けられてそうな文章ではないですよねえ。
それから「ブォーーーーー!」と「でべぇ!」ってスゴイですね。グラップラー刃牙か北斗の拳か…とにかく興味深い作品であることは間違いなさそうですね(苦笑)
読んで頂けていたとは光栄です!
しかし今の所「黙過の代償」の記事はほとんど無くて、割と長く紹介しているのがtaipeimonochromeさんと俺ぐらいだという・・・でも本来の面白さとは別の意味で興味を持ってくれる人がいるかもしれない!ということを期待したいですね(笑)
たけ14さん、architectさん、おはようございます。
はい、このレビュー書く時、刃牙はシッカリ頭の中にありました。冒頭の「出たッッッッッ!」書いた時は完全に板垣モードでしたよ(^^;)。
この作品も、もっと反日テイストでハジけていたらそっちの方で愉めるかなと思ったんですけど、今ひとつこのあたりでも物足りなくておすすめするのに困ってしまいます。もし次作を出すとしたら、ハードボイルドとか謀略小説の路線とかはバッサリ諦めて、「ブォーーーー、ブォーーーー!」とか「でべえ!」の方向で突き進んだ方がいいと思います。だって、今時こんな陳腐な擬音を驅使した小説なんて讀めないですからね。
イライラして読後に羽田空港のごみ箱に投げ入れました。時間とお金を浪費してしまった。
鴇さん、こんにちは。
本書を讀む時にはポストイットも一緒に携帯しないとダメだと思います。人物表もない不親切設計ですので、話の展開が分からなくなって苛々してしまうかもしれませんねえ。