せっかく文庫落ちしたというのにあまり話題になっていないというのは、やはり連城氏も既に過去の人、ということなんでしょうかねえ。
氏の作品では、捻りをきかせた誘拐ものという點で當に異色作といえる本作、プロローグは、隣の家の子供が誘拐されたという電話が警察にかかってくるところから始まります。
この事件の異樣さは、誘拐された被害者の自宅に犯人が豫め盗聴器を仕掛けており、その家の同行を逐一探っているというところにありまして、こうなると警察もその家に入って被害者の家族の話を聞くことさえ出來ない譯です。そこで警察は隣の家に忍び込んで、犯人と同じく電話の盗聴を行い乍ら、事件の真相を突き止める打開策を探るのだが、……という話。
この作品では「誘拐」という言葉の意味に、いかにも氏らしい捻りが凝らされています。「誘拐」事件に關連した被害者、犯人、そしてそれを探る警察といった役どころが完全に解体されているところがキモでありまして、物語も中盤を過ぎたあたりでこの誘拐事件における本當の被害者が明らかにされ、事件の全容が少しづ姿を現してくるのですが、容赦のないドンデン返しで讀者を眩惑させる氏のことですから、それくらいのことで事件が終わる筈もありません。さらにそこから事件を追う側であった警察の關係者をも卷き込んだ事件の裏面が明かされていくという趣向が光っています。
ミステリにおける誘拐事件というと、身代金の受け渡しをいかに行うかといったところにに工夫を凝らして、物語をサスペンスフルに盛り上げていくのが定石な譯ですが、その點でも本作はかなりの變わり種でありましょう。まず身代金の受け渡しのシーンは中盤を過ぎたあたりにならないと現れません。
プロローグのやりとりからも感じられるように、警察関係者の會話も妙に間が抜けていて、被害者の隣の家に張り込んでいる彼等の間にピリピリした緊張感もなく、……っていったら登場人物たちに失礼でしょうかねえ。さらには隣の家の住人というのが、これまた猫がいなくなった犬が誘拐されたと騷ぎ立てるようなハタ迷惑なオバさんで、彼女と警察陣とのやりとりがこれまたどうにも間が抜けていて苦笑してしまう。
身代金の受け渡しが突然行われることになり、警察と被害者たちがバタバタするところなど、登場人物たちは大眞面目乍ら、こちらから見ていると完全にコント。ようやっと届けられた一億圓がアレだったということで大騒ぎになるところなど、これが映畫だったら大爆笑するところでしょう。
しかし被害者が犯人の要求通りに車を出して、この盗聴されている家から飛び出してから物語はようやく動き始めます。被害者の意外な告白に始まり、盡く讀者の予想を裏切るような事実が明らかになっていくのです。ここでようやく作者の最近の作風である畳みかけるようなドンデン返しが展開される譯ですが、この中で一番驚かされるのは、本当に誘拐されていた人間が実はアレだったという事実が明らかにされるところでしょう。
これを讀んでいて思い出したのが作者の傑作のひとつ「終章からの女」でして、この作品では「罪」と「罰」という言葉の意味付けが完全に解体転換され、そこに事件の異樣さが際だっていた譯ですが、本作の誘拐事件の被害者にも同じ発想を感じ取ることが出來ると思うのですが如何でしょう。
このような発想の面白さのみならず、插話として描かれた犯人側のシーンに、アレ系の仕掛けも凝らされており、讀者が眞相に辿りつくのも一筋繩ではいきません。中盤までのもたついた展開が惜しい氣はするものの、それでも中程を過ぎたあたりからの畳みかけるような盛り上がりを考えると、やはり作者のファンのみならず、多くのミステリマニアに讀んでもらいたいなあ、と思わせる佳作であります。
自分が持っているのは單行本なんですけど、ジャケはこの事件を象徴する蝙蝠が描かれたちょっと不氣味な繪柄です。更にジャケ帶には、
自宅が「檻」になる。
ふりしきる雪、誘拐、盗聴——
恐怖は想像の中で一番大きくなることがよくわかった
なんて書いてあって、何だかこれだけ見てしまうとえらく怖そうな物語なのかなあなんて感じてしまいますがさにあらず。寧ろ肩の力を抜いて、犯人に翻弄される警察の姿を笑いながら中盤までのもっさりした展開をやり過ごし、後半の畳みかけるようなどんでん返しに驚いてみる、……そんな讀み方がいいのでは。