島田荘司の最新作といえる本作、やはり車に關するエッセイが大部分を占めているせいか、収録されている小説「人魚兵器」があまり話題になっていないようなので、車エッセイが大部分を占めているものの、ミステリの一作品として取り上げてみたいと思います。
「人魚兵器」は百頁にも滿たない短篇でして、内容の方はというと後書きで御大が述べている通り、「ヘルター・スケルター」や「ハリウッド・サーティフィケイト」といった二十一世紀本格のジャンルに属するものであります。
冒頭、ハインリッヒがポルシェマニアであることを告白するところから始まる本作は、前半は友人からポルシェ356を拝借した彼が、ストックホルムからコペンハーゲンまでをドライブしながらポルシェに關する蘊蓄や蕩々と語ってくれます。
彼は人魚像を前にして御手洗との会話を回想します。カドリヘンというタンパク質の話から「ベルリン地下協会」へと話が及び、ヒトラーの時代に、ベルリンにはいくつもの秘密の地下施設があったことが読者に明かされます。自分は知らなかったんですけど、これって本當の話なんですかねえ。
そのなかのひとつで「最もミステリアスなもの」であるテンペルホフ空港の地下施設では何か不可解な実驗が行われていたらしく、一人の若いロシア人が御手洗たちに語った奇妙な話をここに絡めて、この地下施設で行われた実験の内容が何だったのかということを御手洗が推理していきます。
後半は御手洗たちがこの地下施設跡地に赴き、以前施設で助手として働いていた人物から話を聞き乍ら、御手洗が地下施設の謎に關して驚くべき眞相を語る、……という内容なんですけど、正直同じ短篇でも「ヘルター・スケルター」のような仕掛けはないし、その點ではミステリというよりは香山滋などが書いていた怪奇譚として讀むべき物語なのかもしれません。
實際ここに使われているアイテムは現代的なのですが、このあまりにトンデモな眞相やそこから釀し出される怪奇趣味は、當に香山滋のそれなんですよねえ。
自分はこういうお話は全然嫌いじゃないんですけど、ミステリを期待している人はこれまた肩すかしを食らうかもしれませんねえ。
という譯でこの「人魚兵器」、「名車交遊録」という一册の本に収録された内容としては浮きまくっています。ただ冒頭で提示されるフェルディナンドが構想したノー・クラッチ・タンクが、この眞相におけるアイディアと共振しているあたり、短編小説としてうまい、と思いました。やはりこういう小説作法でさらっと一編の短編を仕上げてしまう御大の腕は流石だなと感じた次第。
本編の車に關するエッセイも同樣で、モーガンはいかにも普通の車エッセイというかんじなのですが、續くMG-Aなどはいかにも自身がこの車を所有したときの体驗を私小説風に綴ってみたり、ミニや2CV3では文化論的な趣もあったりと、同じ車を主題にした掌編ながら御大の多彩な文章を堪能することが出來るという素晴らしい作品です。
そして何よりも田中希美男の手になる一枚一枚の寫眞が拔群に美しい。多分勝沼あたりだと思うんですけど、夕闇に沈んでいく薄紫の空を背景に、葡萄畑におかれた2CV3と御大が佇む姿を俯瞰して撮影したり、ランチャテーマのエンブレムが反射して寫し込まれた328GTSの眞紅のボディの鮮烈さなどなど、とにかくすべてがうっとりとするような美しさなんですよ。もう車好きには堪りません。
その中でも一番インパクトがあったのが、やはりフォード・サンダーバードの寫眞でしょうか。どデカい、というかデカ過ぎる赤のボディのサンダーバード。そのボンネットに軽く尻を添えて向こうを見つめる御大。そしてその傍らに座っているのはこれまたどデカ過ぎる白のグレートピレニーズ!もう素晴らしすぎます。御大も完全に俳優モードに入っちゃっていますし、田中氏、いい仕事してます。
唯一殘念なのは、最後の「スコットランド紀行」の寫眞のクオリティがいただけないことで、これは以前自分が取り上げこともあるムック本からおこしたものなんでしょうかねえ。
何だか大學時代に教授に買わされた刑法民法憲法の教科書みたいな素っ氣ない装丁といい、お値段の方も若干高めなんですが、本棚に保存しておん価値は十分にあると思います。カーマニアは勿論のこと、御大の熱のこもった美しい文体を堪能したい方にもおすすめです。