前回取り上げた「あなたが名探偵」に収録されている芦辺拓氏の作品、「読者よ欺かれておくれ」のなかで、作者(これって作家芦辺氏ってことで良いんですよね?)が「わが人生の運命の書」と述べていたのが本作です。
思いもかけずこの懷かしい傑作の名前を見つけてしまったので、今日はこれを再讀したのですが、やはり傑作は何度讀んでも新鮮な驚きがあるものですよ。
「読者よ……」でも本作の名前を「リラ荘殺人事件」といいつつ、括弧で「りら荘事件」とも書いているのは、講談社文庫版が平假名で「りら荘」としているからでしょう。
もともと本作は、中編であった「呪縛再現」のプロットを長編の體裁に引き延ばして再構成したものだそうです。自分は「呪縛再現」の方は未讀なので、中編からどのような展開が付け加えられて本作に至ったのかは少しばかり興味があるものの、「呪縛再現」が収録されている「赤い密室―名探偵・星影龍三全集」(出版芸術社)はまだゲットしていません。
どうにも後回し後回しになってしまって結局まだ手に入れていないのですが、リリースされたのが九十六年、そろそろ買っておかないとまたぞろ絶版の憂き目にあってしまいそうな予感がします。
さて本作ですが、物語は純粋に犯人當て小説の體裁をとっておりまして、事件となる舞台は埼玉縣は秩父長瀞の、さらに山奧にある學生寮「リラ荘」で、暑中休暇も終わりに近い八月下旬に、芸術大學の學生七名がやってきます。
そして、立て續けに彼らとこの學生寮の關係者が殺されていくというもので、死体となるのは合計七名。なかなかの數です。
更に犯人の殺し方も多彩で、刺殺、毒殺、絞殺、吹き矢による殺人と何でもありなのですが、これだけ人が死ぬというのに物語全体に悲壯感は薄く、サスペンスで煽ることもありません。このあたりの作風は、以前紹介した坂口安吾の「不連続殺人事件」にも似ています。あちらも純粋な犯人當て小説でしたが、本作も同樣、極力無駄な舞台装飾は配して讀者が推理に注力できるような氣配りがなされています。
まず最初に死体となって見つかるのは炭燒きの老人なのですが、崖下で発見されたかの死体の傍らにはトランプのスペードAが置かれていて、これ以後、死体の側に必ず犯人はトランプのカードを順番に置いていくのですが、このネタって最近何処かで讀んだことがあるような。
そうそう、二階堂氏の某作で、むちゃくちゃ浮いていた仕掛けがこれだったじゃないですか、……って何もかもソックリですよ。それともこれって海外の作品にも同じようなネタがあるのでしょうか。二階堂氏ともあろうひとがこうもあからさまに鮎川御大の着想を自分の作品で使ってみせるとも思えないので。
さて鮎川哲也の探偵といえば、處女作の「ペトロフ事件」や代表作「黒いトランク」をはじめとしたアリバイ崩しの鬼貫警部が有名でありますが、本作で探偵を務めるのはベンツを乗りまわし、コールマン髭を生やした氣障な紳士、星影竜三です。七名の死体が転がったあと、ほとほと困った警察が星影探偵を召喚するという展開なので、金田一耕助のように事件を防ぐことが出來なかったッ、なんていって探偵が地團駄を踐むような場面もありません。
バタバタと起こる連続殺人事件の展開に相反して、星影の推理は淡々としています。またこれが見事というか、作中で提示されていた謎の全てが過不足なく解かれていくのですよ。もう古典といってもいい作品ではありますが、やはり何度讀んでもこの謎解きは素晴らしいと思います。
死体の傍らに置かれるトランプの謎は勿論のこと、被害者の一人が「ブルー・サンセット」という言葉を聞いて怒り出したのは何故か、何故被害者の一人は川縁で死体が見つかったにも關わらず溺殺ではなく、延髓を刺されて殺されたのか、などなどこれらの謎は全ての事件に繋がっていることが探偵の推理で明らかにされます。推理も驅け足にならず、頭の悪い自分のような讀者でもすっと頭に入ってくるほど巧みなんですよねえ。このへんの筆は本當にうまい。
自分が持っているのは角川文庫版で、奧付を見ると昭和五十五年の七版発行になっています。自分がこれを讀んだのは多分中學生か遅くても高校一二年だったと思うのですが、今回再讀してみて驚いたのは、事件の當事者たちが大學生だったということでして。自分の記憶のなかでは、登場人物たちは皆大人だったと思っていたんですけどねえ。
もっとも中學生から見たら大學生なんて皆大人に見えるだろうし、と考えたみたものの、今の中學生が「十角館」を讀んだら、かの登場人物たちはどういうふうに見えるんだろう、なんて考えたりもします。
本作では學生たちの妙チキリンな會話が「不連続殺人事件」の雰囲気に凄く似ているのですが、これは本作の登場人物たちが學生といえども芸術學部の學生だからなのか、それともこれがこの時代の空気というものなのかは判然としません。いずれにしろ「十角館」の登場人物たちとは大違いですよ。
怪奇趣味や妙な幻想趣味をいっさい排した純粋な犯人當て小説。それゆえに奇拔なトリックがなくとも謎の積み重ねと見事な推理と謎解きで獨特の風格を持ち得た古典的名作といえるでしょう。
「黒いトランク」をはじめとして鮎川哲也の傑作名作は續々と創元推理や光文社から復刻されているので、本作が容易に手に入るようになるのも時間の問題でしょう、というか何故この傑作が未だに創元推理文庫から出ていないのか本當に不思議です。
こんばんはです。
いやー、これは懐かしいです!自分が持っているのは講談社文庫の「りら荘事件」ですが。内容の記憶は結構あいまいかも…。再読してみよう!
自分も犯行方法などはボンヤリと頭の中に殘っていたものの、犯人は誰だったのかすっかり忘れておりまして。再讀してまた見事に騙されてしまいました。
ヘンなミステリばかり讀んでいると自分の中の評價軸がブレてくるので、偶にはこうして正統派の本格ミステリに目を通していかないといけませんよねえ。
りら荘事件/鮎川哲也
(講談社文庫)
秩父の山荘に7人の芸術大学生が滞在した日から、次々発生する恐怖の殺人劇。最初の被害者は地元民で、死体の傍にトランプの”スペードのA”が意味ありげに置かれる。第2の犠牲者は学生の1人だった。当然の如くスペードの2が…。奇怪な連続殺人を、名探偵星?..