泡坂妻夫の作品では一番の問題作といえるのではないでしょうか。その一方で、以前取り上げた「湖底のまつり」とその主題において強い關連性を想起させる作品となっています。
まず物語の結構が普通ではないんですよ。
本作は一貫して主人公である五月の視点から描かれています。五月の部屋にはここ二三ヶ月の間、四〇五号室に住む小川弓子宛の郵便物が誤配されるようになっており、この日屆いた速達便を五月が彼女の部屋に届けるところから物語は始まるのですが、このときの小川弓子の出會いが思わぬ伏線となっていて、その後の展開に繋がっていきます。
五月は劇團「孔雀座」に所属しており、小川弓子に會った翌日、劇團の主催者真吹の妻を彼の知り合いの前で演じる、という試験を受けることになっています。この試験に合格すれば、五月は今度の芝居の主役に抜擢されるということがほのめかされます。
そして次の日、着付けと化粧を濟ませて駅へと向かうとき、五月は若い女性と抱擁している弓子を見かけます。弓子はグレイのスーツに男もののような革靴といういでたちで、一方、相手の女性の方は白いブラウスに花柄のプリントという女的な服裝で、さながら戀人のような樣子だった。
五月はそのときの二人の奇妙な會話を盗み聞きするのですが、この會話の内容と、弓子が捨てていった暗合文などが大きな謎となって以降の物語を牽引していきます。
ここで弓子の話は置き去りにされたまま、物語は五月のテストへと移ります。この展開が些か唐突なのですが、本作の場合、物語の展開がさながら神の意志に操られているがごとく劇的に転調していくのが特徴でしょうか。
いうなればこの劇的な転調は人間の物語から神話へと轉じていくためのプロセスである譯ですが、ここではひとまず讀者は五月の試験のようすを見守るしかありません。
劇團主催者真吹の父が建てたという山荘へ、真吹の縁者を招いて、五月へとテストが行われます。この中盤ではっとするような事実が明らかにされるのですが、これは完全にアレ系の仕掛けですよねえ。勿論この仕掛けも本作の主題と密接に關連しているのです。
やがて弓子が五月たちの前に姿を現し、彼女は五月が駅で見かけたという女性と心中を図ろうとしていたことが分かります。それから色々とあるのですが、弓子は理由を告げずに五月の前から姿を消してしまいます。
心中相手の死体が見つかり、これを殺人事件として警察が捜査を始める一方、五月は弓子が殘していった暗合を解讀し、手掛かりを求めて真吹とも縁のある島を訪れます。
弓子と真吹の父親との關係が徐々に明らかにされていき、最後に弓子の失踪の意図が判明する、……という展開なのですが、この不可思議な因習の残る島に舞台を移して以降、物語はミステリから幻想小説へと大きく傾斜していきます。
「湖底のまつり」はその結構も明確で、眞相が明らかにされたあとの幕引きもまた幻想的でありながら、小説内の現実にはしっかり留まっていたのに反して、本作の場合、その結末は完全に幻想小説のそれで、それがまた本作に通底するテーマを見事に体現しているところがいい。
「湖底のまつり」と主題を共有しながらもその着地點はお互いにまったく異なるところも興味深く、是非、本作と讀み比べていただくことをおすすめします、……っていうかまたこの本も絶版ですか!
單行本がリリースされた當事はこの幻想的な作風が結構話題にのぼったと記憶しているんですけど、そのときに話題になるだけじゃミステリ史に名前を殘すことは出來ないってことでしょうか。文庫の方は双葉文庫からリリースされているようなので、「湖底のまつり」と同樣、創元推理文庫から複刻されることを期待していますよ。というか出さなきゃダメでしょ。
「湖底のまつり」、「妖女のねむり」などと同樣、愛と幻想のミステリとしての風格が光る傑作です。おすすめ。