「太陽と戦慄」、……いかにもプログレ好きを擽るタイトルなんですけど、肝心の内容の方はといえばミステリとしては極普通、プログレ絡みということでいえば、看板に偽りあり、というところでしょうか。
リトルこと越智啓示の、「俺はことばを失っていた」という一文から、彼らが敬愛する導師が密室で殺されたことが提示され、この物語は始まります。
語り手をリトルに据えたPART 1「危機」では、十年前の導師とのコミューン生活が語られています。ここでバンドのメンバーが導師と巡り會うまでの經緯などが明らかにされているのですが、この導師っていうのが何だか凄い山師でして。生まれは1947年、って……団塊の世代ですか。
「私の父は戦争という巨大な化け物の生き血を吸うヒルのような男だった」と「戦争を引き起こした」上の世代に對する憎惡もあからさまで、「ヴェトナムでは數え切れないほどの死と慘劇、血と涙、闇と恐怖に直面した。それは私の人生觀を搖るがし、骨抜きにし、大声で嘲笑った」などとヴエトコンの兵士と行動をともにしたこともあるらしく、まあ、要するに「アレな人」な譯です。
だからこの導師、自分がこの社會を變えることが出來るんだ、なんていう妄想に取り憑かれておりまして、そういうチンケな思想を町中でかき集めてきた不良少年たちに吹き込んでいく譯ですよ。
で、その中の一人がPART Iで語り手となっているリトルなのですが、彼の家庭は母親が新興宗教の教祖で、父親が守錢奴。彼はそんな親がイヤで家を飛び出してきたのですが、今度はベトナム歸りのアレな山師に引っかかってしまったという何とも可愛そうな少年です。
そんな山師を導師とあがめてコミューン生活は續けられるのですが、色々と事件が起こります。ここで提示されたエピソードが推理に結びついていくのですが、このあたりはなかなかうまいと思いました。
色々ありながらも導師の指導のもとにバンドを結成するのですが、皆が皆、テクも何もあったもんじゃありませんから、當然やれるものといったらパンク。リトルは「あのセックス・ピストルズだって、デビュー当初はろくに樂器が彈けなかったんだ」なんて開き直っていますけど、師匠も師匠なら弟子も弟子というかんじでしょうか。まったく見ていられません。
本作の場合、物語の設定全体に漂っている何ともいえないチープ感が光っていて、全編こんなかんじなんですよ。正直、作者が狙っているのか、それともこういうふうになってしまったのか今ひとつ判断に苦しむのですが、實際のところどうなんでしょう。
そんなこんなで練習を續ける面々ですが、ある時、導師から渡された新曲の歌詞とおりに石油コンビナートの爆破事故が発生します。
リトルは氣になって仕方がないのですが、導師は「愚かな人間どもに天罰が下ったようだ」などと嘯くばかりでとりつく島もありません。
果たしてこの爆破事件を演出しているのは導師なのかと訝りながらも色々あって、いよいよライブデビューの當日、導師はライブ演奏のさ中、密室状態の部屋の中で死体となって発見される。
果たしてこの導師を殺したのか誰なのかという謎を孕んだまま、間奏曲を挾んでPART IIに進みます。
導師の死から十年後、列車爆破事件、そしてデパートの爆破事件と不可思議な事件が續いて世間を騷然とさせるのですが、現場からはかつてのバンドのメンバーだった人間の死体から発見されるに至り、リトルは何者かが導師の意志を受け繼いで、今回の爆破事件を引き起こしているのではないか、同時にかつてのバンドのメンバーを抹殺していっているのではないかと疑うのだが、……という展開。
密室事件はさながらこの導師のヤスい思想を体現しているかのごときチープさで、これはこれで妙に笑えます。
そして爆破事件の現場に残されていた犯人からのメッセージの眞相もこのなかで明らかにされるのですが、このメッセージが第三者にどのように作用したのかという點なども含めて、他人の発する言葉とそれを受け取る側の意識、みたいなものが物語の全体の主題なのかな、などと考えてみたりもしたのですが、どうなんでしょう。作者はそこまで考えていないですかそうですか。
このリトルの造型が、現代の若者のある種の典型を示しているようで興味深かったです。それでもこのリトル、導師から影響されているとはいえ、ものを知らなすぎです。例えば、彼が「伝搬力のあるロックは強力な布教のメディアとして機能する」といって、六十年代からのロック史について講釈を垂れる個所なんですけど、
……歴史がそれを証明している。六〇年代前半にはリヴァプールサウンドが一躍ポップスの世界を独占した。七〇年代の初頭にはグラムがヒットチャートを席卷した。七〇年代の半ばにはパンクが一夜にしてロックの歴史を塗り替えた。八〇年代にはテクノが全世帶のダンスミュージックを制圧した。そして九〇年代に入ってグランジが世界の若者たちを熱狂させている。俺たちはこれに続かなければならなかった。……
あの、……グラムとパンクの間にプログレが入るんですけどねえ。導師から教わらなかったの? 自分のバンドの名前をクリムゾンからとっておきながら、「宮殿」とフロイドの「狂気」について言及していないってあんた、もしかして確信犯? ……なんて小説の登場人物に喧嘩賣っても仕方ないですかそうですか。
本作のタイトルになっているキング・クリムゾンの「太陽と戦慄」は以前「眩暈を愛して夢を見よ」のところでも少しばかり触れたとおり、後期クリムゾンの傑作アルバムのひとつであります。
ひとつ、というのは、この後に続く「暗黒の世界」、そして後期クリムゾンのラストを飾った「レッド」のいずれもが大傑作アルバムであるからでして。
この當事のフィリップはユダヤ神秘主義にかぶれていたらしく、このアルバムのジャケもカバラ思想を示しているというのですが、まあ、そんな難しいことを讀み解こうとしなくてもこのアルバムは十分に愉しめます。
冒頭、ジェイミー・ミューアの綺羅とした萬華鏡のようなパーカッション、そして不穩に切り込んでくるフリップのギター、クロスの狂気のヴァイオリン。そのすべてが完璧です。
初期クリムゾンに見られた耽美的・夢幻的な雰圍氣は大きく後退して、全體的に不穩な雰圍氣が立ちこめています。それ故に「土曜日の本」という法月ファンにはお馴染みの(?)この曲の美しさが際だっています。とにかくアルバム全体を聽いてみても隙のない、まさに傑作といえるアルバムでしょう。
で、タイトルは同じながらも、本作にはこの傑作「太陽と戦慄」を想起させるものはありません。本作に登場する導師も所詮は団塊世代のアレな人で、フィリップとはほど遠い輩ですし、リトルたちのバンドが演奏する曲もグランジとパンクをごった煮にしたような代物という始末。
もっとも本作はこういうチープなところを愉しむべき小説でしょう。これは作者の狙い通りなのか、それとも推理の後半に大眞面目で登場する五行説などの衒學ぶりこそが作者のもくろみだったのか、今ひとつ判然としないので評價は保留というところでしょうか。
もっとも上にも書いたように、ツッコミどころは満載の小説なので、アレな導師や莫迦なリトルなどをなま暖かく見守りながら物語の展開を追っていくというのが、本作の一番の愉しみかたなのかもしれません、というか自分はそういうふうに讀んでいったので、実は結構愉しめましたよ。タイトルに騙されて重厚な物語を期待すると肩すかしを食らいます。
ミステリとしての結構は、登場人物たちのアレぶりに反して非常に素直なものなので、本格ミステリの部分だけを拔き出して愉しむというのもまたひとつの讀み方でしょう。