さて昨日に續いて、というか、「續く」と書いてしまった以上、今日も本作の話題で引っ張らないといけませんよねえ。
実は昨晩から酷い夏風邪をこじらせてしまいまして、……正直熱、鼻、喉の三重苦を背負った状態で長い文章を書くのはアレなんですけど、まあ、とりあえずいってみます。
尚、ここで触れている内容はミステリの本旨とはまったく關係ありません。本作を純粹に一册のミステリ本として愉しみたいという方は、昨日自分が書いた内容だけにざっと目を通していただければそれで充分です。
さて、突然ですが、皆さん本宮ひろし氏の「国が燃える」って漫畫、知っています?昨年、ネットの世界でもかなり話題になって、色々な騒動が卷き起こったのですけど、よく知らないという方はここのあたりをざっと讀んでいたければと思います。
要するに作中で南京事件を取り上げ、その中で百人斬りを含めた捏造歪曲を行ったのではないかということが持ち上がり、結局集英社は謝罪したというものです。百人斬りって何?いう方にはここのあたりに目を通してみてください。
で、何故本作のレビューで南京事件?と思う方がいて當然でしょう。実は昨日も言及したのですが、本作で展開される連続殺人事件は、戰友慰霊會會員が次々と殺されていくというものなのですが、この犯人の動機というのが、日中戦争、特に南京事件に関連しているものなのですよ。で、犯人は最後の手記のところで、當事の南京事件の樣子を描いておりまして、これがこんなかんじ。以下引用。
慘事は城内だけに留まりません。南京城外の揚子江付近では、対岸へ逃れようとする中国軍兵士たちが、片端から銃で撃たれ、……逃がすわけにはいかない、しかし捕虜にしたら手がかかる、金がかかる、だからひたすら皆殺しです。それが一番安上がりなのです。
南京市が陷落する少し前、土地の人からは紫金と呼ばれる近くの山の麓で、二人の日本軍少尉がこんな競走をしたそうです。それはどちらが早く中国人を百五十人殺すか、という賭けで、結局一人の少尉は百五人を、もう一人は百六十人の中国人を殺し、これは「百人斬り? 超記録」などという見出しで、日本の新聞に記事として掲載されたそうです。
ちょっと長かったんですけど、後半の記述が、かの百人斬り論争で問題となっているものであることは明らかですよねえ。
で、問題なのは、この百人斬り、現在も係争中であるということです。
本作の中では、ある人物が有力な容疑者であると県警の人間に目をつけられて連行されそうになるところを、中村は冤罪事件になるといって暴走する県警の人間をいさめる場面があります。そんなふうに冤罪というものに敏感な御大が、大戰中の事件に関しては、係争中であるにも關わらず、しれっとこんなシビアな内容を作中に取り込んでしまうというのは一體全体どういうことなのか。
まあ、大戰中のことに関しては多分にイデオロギー的なものもあるのでしょうし、ここでは多くは語りませんよ(本當は語りたいけど、こうなると完全にミステリの話題から外れていきますよねえ)。
しかしこれだけはいっておきたいのです。
上に上げた「国が燃える」騒動の一件もあって、こういう大戰中の話題を取り上げるにあたっては、作家も出版社も自分の作品に對して愼重でなければいけないということです。
考えても見てください。もしこの作品が「国が燃える」と同樣の騒動に卷き込まれてしまったら。小島正樹は気鋭の新人なのでしょう?だったら作品の評價とは離れたところでこの作品がそのような事態に卷き込まれてしまうようなことは極力避けなければならないでしょうに。
出版社、編集者としてはそのようなにして新人の小島氏に配慮してあげなければいけないと思うのですが如何。これが島田莊司御大の作品だったら良いですよ。森村誠一氏だってかつては「悪魔の飽食」でやらかしてくれた譯ですけど、森村氏の場合は筋金入りのアレですし、本人の思想戰略的なところもあるから良しとしましょう。確信犯ですから。
しかし小島氏は違うでしょう?もう一度いいます。何故この時期に(昨今の日中關係、そして百人斬の裁判の係争中というときに)、こういう話題を作中で取り上げたのか、激しく疑問です。だって、本作のこの動機って、いくらでも置換可能ですよ。島田御大の「透明人間の納屋」の場合、あのような歴史的背景は作品の成立に分かちがたく結びついていた譯ですけど、本作の場合、この動機が南京事件に結びつかなければいけない必然性というのを自分はどうしても感じられないのです。
それなのに敢えてこういう話を作中に取り込もうとしたのは誰ですか。島田御大?もしそうだったら編集者は小島氏のことを考えて配慮するべきでしたよ。まさか同じ出版業界に身をおくものとして、昨年の「国が燃える」騒動を知らなかったなんてことはないですよねえ?
次に小島氏だった場合。もしそうだったら何もいいませんよ、こちらとしては。自己責任ということで。
次に編集者だった場合。これはちょっと考えられないのですけど、もしそうだったらその狙いは何なのですか?単なる話題づくり?まさかねえ。
……などとちょっと熱くなってしまったのですけど、よくよく考えてみたら、本作と「国が燃える」を比較すること自体、ナンセンスかもしれません。
だってあちらは大手集英社のヤングジャンプという漫畫に連載されていたもので、こちらは南雲堂という小さな出版社の、一ミステリ作品に過ぎない譯ですから。讀者の目にとまる確率とて雲泥の差があるのは必然な譯で。
ざっと廻ってみた限り、まだ本作をレビューしている人も少ないし、ましてや「国が燃える」を取り上げて本作のこんな部分を論じる人なんていうのもミステリ好きの中にはいないでしょうし。
とりあえず放っておいていいのでしょうかねえ。ちょっと考えすぎでしょうか自分。それでも小島氏の将来を考えると、ちょっと、というか非常に氣になってしまったので、敢えて思うところを書きつづってみた次第。
追記:
何かアマゾンのリストマニアは最近検索した本の内容に從って表示されることを知りましたよ。このコメントを書く時にアマゾンで色々と百人斬りのことを調べたからでしょう。アマゾンの仕組みを詳しく知らずに書いてしまった自分に鬱。
何か色々と思うところを書き綴ってみたのだけども、結局のところ本作に言及する人も少なく、更にその中でも本作の中で述べられている南京事件について氣を留める人なんてほんのわずかの筈で、その意味では放っておくというのが一番良いのかもしれません。
逆に自分がここで本作で言及されている南京事件のことを書いたことで、本作の話題が百人斬りの方に進んでしまうということはあるまいか、などと考えてもみたのだけども、大手のブログならまだしも、自分のところのようなプチが書いても話題になる筈もないし、まあ、いいか。