『檻の中の少女』というと、自分はどうしても大石センセの方をイメージしてしまうのですが、こちらは第三回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞受賞作の方。先日読んだ『鬼畜の家』は、強度の誤導に読者の思考を先読みし、最後に壮絶な構図を見せつけてくれるという逸品であったわけですが、世評をざっと見渡してみると古風な『鬼畜』に今風の『檻』という印象ながら、実をいえばこの二作はかなり似ています。
家族の異様な様態を前面に押し出した物語世界を本格ミステリへと昇華させた『鬼畜』に対して、本作はサイバーセキュリティ・コンサルタントという今フウの探偵が主人公で、舞台もネット。自殺志願者にこれまたイマドキ娘っ子もまじえ、はたまた探偵が昔フウのダンディズムを見せつけてくれるわけでもない抜け感ゆえに、謎や推理といった本格ミステリの骨格についてはあまり深く考えずにさらさらと読み進めてしまえるものの、事件が「解決」したあとに明かされる真相は『鬼畜の家』と並ぶほどの壮絶なもの。まずこの現代風の外観と事件の構図のギャップが素晴らしい。
自殺志願者たちとそれを助ける人間の出会いの場であるという、何とも怪しげなシステムを舞台に、ダンディな探偵が高度なハッキング技術を用いて敵陣へ突入するのが大きな見せ場と勘違いしてしまうのですが、本作の探偵はその緩さがキモで、おおよそハードボイルド小説にイメージできるような探偵像にはほど遠い。
それゆえシステムの仕組みを暴くといっても一般人が理解不能なジャーゴンをズラズラッと並べて読者を翻弄することもなく、そこからも本作のキモは現代の闇だの高度なネット社会の内幕を活写するものではないことは推察されるわけですが、本格ミステリらしくない探偵の活躍によってついに黒幕が暴かれ、犯人の姿が明かれされてからが実は本作の大きな見せ場でもあり、この破天荒な展開にはかなり吃驚させられます。
自殺支援サイトに息子を殺されたという老夫婦の訴えから、探偵がサイトの闇を暴こうする、――という物語の中心にはタイトルにもある「少女」が不在で、いったいどういうことなのかと思っていると、最後の最後に、なるほど、と思われるところで今回の事件に少女が絡んでいたことが明かされるわけですが、ここまでの展開は読者にも案外容易に想像できるところではないでしょうか。
本作の凄みは、この事件の構図が明かれされた後から語られる本当の『少女』の物語で、ネットに自殺といった「現代」的な表の装いを完全に転倒させたこの『少女』の逸話はある意味、『鬼畜の家』にも通じます。またこうした転倒は、犯人の動機と事件の構図にも巧みに織り込まれているところが素晴らしい。
犯人の行動原理や登場人物たちを操る手管に至るまでが『少女』という言葉に象徴される転倒へと収斂される結構は、これまた謎を精緻な論理によって解明するという本格ミステリの骨法から離れた本作の展開に相反して、世界の反転という本格ミステリ的な外連を見せつけてくれます。
ジャケ帯の裏にもある通り、探偵が「真相」を解き明かしたときに「これまで隠されたきたほんとうの真実(エピローグ)が見え始める」という構造はかなり異色ながら、この「真実」が明らかにする世界の反転が、ネットという現代社会の犯罪を舞台にした外観を転倒させた結果立ち現れる犯人の異様な行動原理や、タイトルに象徴される『少女』と真犯人の実像にまで仕掛けられているところなど、読み口はおおよそ本格ミステリらしくないながら、読後感はまさに本格ミステリ、――という、個人的にはかなり不思議な一冊でありました。
犯人の動機やその成り立ちに、社会批判的な要素を盛り込んで語ることも可能ながら、個人的にはそうしたところを離れても、上に述べたような世界の反転による酩酊感をもたらす物語は、本格ミステリらしくないからこそその強度が増しているようにさえ感じられ、現代フウの外観から『鬼畜の家』との「違い」を色々と語られるでは、と推察されるものの、個人的にはこの二つの物語が語ろうとしているものは非常に似ている、と感じた次第です。
個人的には仕掛けそのものの外連が光る『鬼畜の家』を推しますが、本作の方がより広範な本読みに訴求できる魅力を持っているといえるかもしれません。『鬼畜』と『檻』、個人的には両者を読んでいただき、二つの物語がいま語ろうとしているものの「時代性」を読み解くのも面白いのではないでしょうか。オススメでしょう。