主人公が山小屋で働く元警官というところからハードな山岳小説みたいのをイメージしてしまうのですが、それほど山のシーンに多くのページがさかれているわけではなく、実際は山岳小説の物語を背景に抱いたハードボイルドと本格ミステリのハイブリットという印象を受けました。
物語は、過去の事件で傷を負い、警官を辞めた男が主人公。歯の治療のため下山という日に彼は、数日前電話をかけて山小屋の予約を入れてきた男のことが気にかかって仕方がない。そして件の人物は登山道で大けがを負って倒れているところを発見されるものの、数ヶ月後、彼は恋人を殺して犯人として世間を賑わすことに。本当に男が犯人なのか不審に思った彼は独自の調査を開始するが、――という話。
心に傷を抱えた男で元警官、さらには彼が周囲の意見を無視して独自に事件の真相を探り始めるという展開はハードボイルドの王道を行く結構ながら、そこに現代本格ならではのアレの仕掛けを凝らしてフーダニットに意想外な真相を用意してある結構が素晴らしい。
前半部から、主人公が心に傷を負うことになったある事件がほのめかされ、その警官当時の事件とそれに関係する人物、さらにはそうした主人公の過去そのものが、探偵たる主人公が真犯人へとたどり着くのを阻止する誤導となっていて、これを操るある人物の動きはそのカモフラージュとなっている仕掛けもいい。
事件を調べていくうち、彼は被害者の父親や関係者などから少しづつ事件の構図を知るための手がかりをモノにしていくのですが、実をいうとこのあたりのできすぎた展開は少々やりすぎかな、という気がしないでもないものの、王道をいくハードボイルド的展開と、彼ら関係者のキャラの巧みさによって、それが妙味となっているところにも注目、でしょうか。
やがてコイツが絶対犯人、というところへと話は流れていき、事件全体の構図もこれで詰みかと思っていると、被害者の父親の死にまつわる逸話などが連関を見せ、ハードボイルド的展開からはあまりに意想外な真犯人が明かされます。正直、意想外というセンを狙いすぎでは、と思うほどにやや強引な人物がすべての黒幕であったという結末には完全に口アングリながら、そこに強引さを感じさせない仕掛けが、上にも述べたような絶妙な誤導の効用でありまして、ある人物の奇妙な行動は、探偵を真相から遠ざけるためであると同時に、主人公の視点からその人物の動きを「見せる」ことで、真犯人の存在を事件の構図から隠蔽することにも繋がっています。
また、探偵の過去の逸話がしっかりと描かれることで、そうした誤導の仕掛けから醸し出されるであろう違和感を払拭させているところも見事で、ガチな本格ミステリというよりはハードボイルド風の展開であるからこそ、この誤導とカモフラージュが素晴らしい効果を上げているような気がするのですが、いかがでしょう。
また、できすぎと思うくらいに主人公が調査の過程で出会う人々のキャラが、味のあるいい人ばかりで、この事件の苦い真相へとたどり着くことで、過去を克服するという定番の幕引きは期待通り。山岳シーンでの外連は希薄ながら、捜査時間にタイムリミットを設けることで緊張感を演出し、さらには元警官という過去の逸話によって、誤導に暗躍する人物の動きから違和感を見事に取り払ってみせる趣向など、派手はないものの非常に手堅くまとめた一冊といえるのではないでしょうか。