完璧な小説というものがあるとすれば、まさに本作に収録されている「デュオ」がそれではないかと思ったりする譯です。
本作は「グラン・ヴァカンス」で復活した飛浩隆の中短篇集ということですから、當然SFの分野で語られるべき作品なのでしょうけども、「デュオ」はミステリとして見ても素晴らしい出来榮えなんですよ。
「双子」の天才ピアニストと、このピアニストに専属となった調律師の男の物語なのですが、「私がかれをころしました」という告白から始まる本作は「誰」が「誰」をころしたのかを巡るミステリでもあります。自分が激しく讀み間違えてしまっただけかもしれないのですけど、最後の眞相が明らかにされた時には、えっ、これってアレ系の話だったの、と仰天してしまいましたよ。おそらくこんな讀み方をしてしまったのは自分だけだと思うのですけど、とりあえずネタバレしそうなんで御約束の文字反転をしながら解説しますと、この最初の独白は「そうです、私がかれをころしました。もう何年まえのことになるでしょうか」という語りから始まり、その後に続く物語が昔の話であることを暗示しています。それに續いて「私が殺したのは世界でもっとも優れたピアニストでした」という告白があるので、殺されたのは「双子」のピアニストであることが分かります。問題は、この告白を行っているのは誰なのか、ということなんですけど、「では、なぜかれを殺したのか。……その話をしましょう」という言葉に続く、次の第一節からの話は語り手が「ぼく」となるのですが、自分は、この「ぼく」というのが、「わたし」の數年前と同一人物のことだと思ってしまったのです。でもこんな勘違いをしてしまうのって、自分だけなんでしょうけど。
物語はこのぼくがピアニストを殺害するためにある仕掛けを行ったことが語られ、いよいよ彼を殺す場となるコンサートが開催されます。コンサートが進むにつれ、ぼくが仕掛けた奸計があきらかとなるのですが、この緊張感が尋常ではないのです。まったく無駄のない硬質な文体から紡ぎ出される物語の何と美しいことか。硬質な、というのは巧みな形容と、華美な言葉を極力排した文章がそう感じさせる譯で、このような理知的な文体を操る作家って最近はいないんじゃないでしょうか。強いていえば、畑がまったく違うものの、久生十蘭に近いというか。素晴らしいカッティングの施された宝石から放たれる輝きとでもいうか。
恐ろしく統制された文章から紡ぎ出される物語はその構成も完璧のひとことで、冒頭の「わたし」の告白から始まり、コンサートの場面での緊張感、そして明らかにされる謎、おそるべき眞相、その流れにまったくよどみがないのです。これほどまでに統制された物語を書くのって相当な集中力がいる筈で、こりゃあ作者も筆が遲い譯だなあ、と妙に納得してしまいましたよ。
「デュオ」の紹介だけでかなり長い文章になってしまったんですけど、表題作となる「象られた力」も素晴らしい作品です。謎の消失を遂げた惑星、象徴學、言語体系に祕められた見えない圖形の正体とは、……などなど魅力的なアイテムも満載で、この世界觀は神林長平ほど難解ではないし、自分のようなSF素人には本當にわかりやすく、また愉しめる物語です。最後のサイキックめいた鬪いの場面が恰好いい。
他二作「夜と泥の」と「呪界のほとり」は世界觀を開陳するだけで終わってしまった感があり、ちょっと物足りないですかねえ。「呪界」の方は主人公の男と飄々とした老人のやりとりが愉しく、このキャラクターで長編が讀んでみたいなあ、と思いました。
ミステリ好きだけどSFは苦手という方、「デュオ」だけでも讀んでみてください。こんなに素晴らしい作品、SFマニアだけに一人占めさせておくのは本當に勿體ないですよ。
うちにコメントありがとうございました。
>「デュオ」だけでも読んでみてください。
わたしもそう書きました。本当に、これはSFファンだけで読むにはもったいない!名作ですよね。では!
ゆうきさん、コメントありがとうございます。
やはりあの人稱の語りは仕掛けでしたか。自分が莫迦なだけかなと思っていたので安心しましたよ(^^;)。