アンマリ世間で話題沸騰、みたいな作品を手に取ることはないのですが、あらすじをざっと耳にした限りだと幻想小説っぽくもあったりしたので、とりあえず読んでみました。アマゾンをはじめ大方のレビューでは、ゴミクズみたいな物語で、出来レースじゃなければ絶対に出版は不可能だったんじゃないノ等等……と色々と言われているようですが、個人的にはそれほどヒドいとは思えないし、なかなか愉しめました。特にミステリにも通じる最後のオチに絡めた伏線の技巧など見るべき所もある佳作、という印象でしょうか。
物語は駄洒落好きな中年野郎が飛び降り自殺を試みるも、謎の黒服に呼び止められる。どうせ死ぬならその体、売って頂戴と男に言われるまま主人公は臓器提供を決断。しかし薄幸の美少女との出会いがやがて、……という話。
冒頭の鄕愁を誘うシーンから前評判通りの駄洒落が飛び出すシーンには脱力してしまうのですが、世にも奇妙な物語というか、かなり手垢のついた謎の男の登場も含めて、前半の展開は多分に既視感を伴うものでやや冗長ながら、美少女と出会ったあたりからかなり雰囲気が良くなってきます。
前半は専門用語なども交えて臓器移植のことが色々と語られるのですが、この中途半端にリアリズムを持たせたところがマイナスに作用しているのでは、というのは自分のようなボンクラにも感じられるところでありまして、正直、前半のもたついた展開はかなり退屈。しかし上にも述べた美少女の登場によって、ヘンにリアリズムを持たせることは放棄、物語は大きくファンタジーへと傾いていきます。
とはいえ、臓器移植というのは最後のオチにも繋がるキモでもあり、この中途半端なリアリズムの中でさらりと語られるある会話が重要な意味を持っていることは指摘しておくべきで、逆にいうとこれがあるからこそ、伏線を愛でるミステリ読みとしてはどうしても本作の評価をあげてしまいたくなるというのもまた事実。
以下はネタバレなので、文字反転します。
主人公は色々あった後、ドナーとなって肉体的な死を迎えるのですが、もうひとりの主要登場人物の病によって、主人公の脳はこの人物の肉体へと移植され、その結果、彼は蘇るわけですが、それは同時に「KAGEROU」というタイトルにもある蜉蝣の変態と見事な重なりを見せています。そこで注目されるべきは、上にも述べた臓器移植云々が専門用語も交えて冗長に語られる前半部のある会話でありまして、主人公が自らの肉体を査定してもらうのですが、そこのシーンを引用すると、
「どんなに立派で素晴らしい脳であってもポイントにはならないんです」
……
「正解かよっ! ってことはあれだ、俺の心や魂はゴミ箱行ってことだ!」
……
もし自分の脳が他人に移植された場合、移植された人は結果として「自分」ということになるのだろうか。でもそれは脳にだけ「魂」や「心」があるという前提だ。心臟にだって記憶が蓄積されている例があるという。案外移植してみれば、元は自分の脳だったとしても徐々に移植先の肉体となじみ「その人」になっていく可能性だってなくはないのではないか。それに脳死した患者の家族なら、もしかすると「以前の人格でなくたってかまわないから、もういちど生き返ってほしい」と願う人たちだっているかもしれない。ヤスオはとりとめのない考えを広げながら、それがいまの自分にとって無駄な思索だと気づき、気持ちを切り替えてキョウヤに尋ねた。
「脳はポイントにならない」、――つまりこの会社にとっては価値のないものであるというのがキモで、仮に脳が他の人間に移植されようともそれは「どうでもいいこと」であるということを鑑みれば、物語の最後に「Report」として添えられているリストに、主人公であるヤスオの脳が移植されたデータが残されていないことも納得がいきます。そしてこの事実が「Report」の中で隠されてい、それを読者の想像に委ねるという趣向は秀逸です。
さらにタイトルである「KAGEROU」(蜉蝣)が持つ「変態」と「儚さ」というところは、上の「案外移植してみれば、元は自分の脳だったとしても徐々に移植先の肉体となじみ「その人」になっていく可能性」というものを考えると、脳髄が移植されることで、その「魂」と「心」はキョウヤの肉体へと変態を遂げたものの、その「心」や「魂」は消えてしまい、いつか「元の体」、――すなわちキョウヤへと戻ってしまうのではないか……つまり、変態によって再生を果たしたヤスオの「魂」と「心」は、蜉蝣のように儚いものなのかもしれない……というフウに含みを持たせた幕引きも素晴らしい。
また肉体としては大東泰雄という名前を持ちながら、作中では「ヤスオ」とカタカナ表記になっているのも、「肉体」と「心や魂」とを区別し、脳移植によって「心と魂」が入れ替わったラストの趣向を際立たせるための仕掛けと見ることもできるし……というわけで、脳移植に絡めた趣向と仕掛けをミステリとして読み取ることができれば、「ゴミ箱行き」というほどひどい作品ではありません。むしろ最後の「Report」に、脳移植という事実を記載しないことで、作中では語られていない「この後の物語」の想像を読者に委ね、それがまた言いしれぬ余韻を生み出している効果など、結構もなかなか考えられているといえるのではないでしょうか。
ということで、出来レースだ何だと色々と言われていますが、そうした背景を抜きにして読んでみれば、それほど悪くない、いや、なかなかイケてるんじゃないノ、と仕掛けを読み取るクセがついているミステリ読みとしては存外に愉しめてしまう一冊で、個人的には最後の「Report」の趣向に傑作「遠海事件」を想起してしまった自分としては、本格ミステリ読みにもさりげなーくオススメしておきたいと思います。