傑作『奴隷契約』に続いてリリースされた大石氏の最新作。タイトルと今までの氏の作風からイメージするに、女が殺人鬼の野郎を匿った挙げ句、あんなことやこんなエロいことをして……みたいな展開かナ、と考えてしまうのですが、まったく違いました。殺人親というのは、ヒロインが脳内に有しているもうひとつの人格であり、簡単にまとめてしまえば多重人格もの。ミステリ読みからすると、もう手垢のついた、といってしまってもいいようなネタではありますが、ここに大石小説ならではの技巧を盛り込んだ結果、素晴らしい逸品へと大変身。今回もまたまた堪能しました。
ヒロインはフランス修業時代に知り合ったボーイとおしゃれなレストランを営むギャルソンで、彼女には何やら秘められた過去がある様子。さらに彼女は複数の人格を頭ン中に持っている多重人格者で、過去にはその中の一つの人格が人を殺しているらしい。そんな中、彼女は足繁く通う常連客の男を好きになってしまい、……という話。
大石ワールドならではの現在と過去を交錯させた結構で、幼少期の義父によるエロい逸話や、母親の虐待など、彼女が多重人格者になるに至った経緯が語られるとともに、フランス時代の恋人とのこれまた艶っぽいエピソードなど、お馴染みの口淫プレイや「いやーっ!」という台詞も交えて、ファンが眼をギラギラさせて期待してしまうエロ・シーンがしっかりと盛り込まれているのも期待通り。
エロに関していえば、本作の新機軸は何といっても多重人格という設定を活かした自慰行為が秀逸で、ヒロインの元々の性格をネコに、そしてもう一つの人格をタチにしたプレイが濃密に描かれているところが素晴らしい。ただ、正直前半はこうした過去の逸話とエロがシッカリと盛り込まれつつも、多重人格という設定がどうにもチープに感じられてしまったのですが、その理由は多重人格という設定を強調するために、もう一つの人格のシーンが一人称で盛り込まれているところにあったのではないかナ、という気がします。しかし、実はこの前半にさりげなく添えられた別人格の一人称のシーンが後半の展開に至って非常に重要な意味を持ってきます。
視点の切り替えによって劇的な効果を与えるというのは、大石小説ではお馴染みの技法でもあり、例えば大石版ロリータとでもいうべき『檻の中の少女』における一つのシーンを主人公の男と幼ヒロインの視点から交互に描いてみせたり、あるいは近作『奴隷契約』の最後の最後で、今までは主人公の視点で語られていた物語が、突如、M役のアバズレ女の視点に切り替わることで、クライマックスとなる絶望的なハッピーエンドへと悲哀の度合いを高めていく結構等等、――があるわけですが、本作でも前半でボリューム的にはそれほど多くない別人格での一人称語りが、「書かれることのない」絶望的なハッピーエンドを予感させる幕引きに独特の余韻を与えているところに注目でしょう。
本作で主要登場人物といえるのは、ヒロインに、彼女を好きになる常連客、さらには彼女の母親ぐらいで、特に前半などはほとんどが過去の逸話語りへと費やされているわけですが、中盤あたりからある事件をきっかけにヒロインと常連客が急接近。今までの大石ワールドであれば、この常連客は物語の中で奈落行きはほぼ確定ながら、本作が新趣向なのは、この常連客が彼女にある種の救いを与えるであろう存在となることでしょう。
実際のところ、このラストでは物語のすべては語られていません。むしろこの後に続くであろう物語の方が読者としては俄然気になってしまうわけですが、本作の場合、絶望的なハッピーエンドといっても、「絶望的」よりはむしろ「ハッピーエンド」の方に比重が置かれているように思えます。
『アンダー・ユア・ベッド』では主人公はいつかヒロインに捨てられてしまうんだろうなという諦観があり、それがまた悲哀を際立たせていたし、『オールド・ボーイ』にいたっては「業」を抱えた二人の悲劇が絶望的な未来を予感させるラストだったのに比較すると、本作ではヒロインと彼女が愛した男性の二人はきっとうまくやっていけるんじゃないかナ、と……という大石小説らしくないともいえる明るさがあるところが新機軸。
そしてこの明るさを読者に予感させるのに効果をあげているのが、上にも述べた別人格による一人称のパートであり、後半、ある事件のシーンにこれが添えられていることで、ヒロインを支えていくであろう男性の輪郭がより明確になっています。
この瞬間に、多重人格というヒロインの造詣は、様々な味と香りを孕んだワインと見事に重なり、彼女と出会う前にはまったくワインのことも知らなかった男が、彼女と知り合ったことでワインに精通していくという逸話が、そのままこの二人の「絶望的」でありながら、きっと「ハッピーエンド」になるであろうという未来を伏線へと転じる結構が素晴らしい。
『奴隷契約』とはまた違った作風で、「絶望的なハッピーエンド」でありながら、従来とはやや異なる「ハッピーエンド」に比重の置かれた本作は、大石小説の中ではやや軽めともいえる仕上がりながら、ワインの蘊蓄が最後に多重人格のヒロインと重ねられる小説的技巧など、ファンであれば豊穣な大石ワールドを存分に味わうことの出来る逸品といえるのではないでしょうか。オススメです。