角川じゃない、講談社からのリリースでジャケの雰囲気もいつもと違う、……何となくパステル調の「癒し」系ジャケから、今回は理不尽な暴力や人間の暗黒面といった、ここ最近の風格に顕著な「黒恒川」は封印かと思いきやさにあらず。人生の活写する影はより濃厚に、そして光はより煌びやかにと、まさに恒川式魔術的筆致が冴え渡った秀作傑作揃いで、堪能しました。
収録作は、ヒョンなことから知り合ったイマドキの女が物語る幻想がピリリと効いた「風を放つ」、大石ワールドの住人が恒川小説に迷い込んだとしか思えない展開に詩情溢れる幻想が重ねられた異色作「迷走のオルネラ」、「夜市」など初期の作風を活かしながら、人間の酷薄を描き出す筆致にも鋭さが増した「夜行の冬」、幻視力を遺憾なく発揮して綴られる幻想小説の傑作「鸚鵡幻想曲」、本作のタイトルの意味があきらかにされる美しくき「ゴロンド」の全五編。
いずれも個性的な逸品ながら、個人的なお気に入りをまず挙げるとすれば「迷走のオルネラ」で、語り手を襲う不条理な暴力がネチっこく、――それでいて恒川小説らしい淡々としながらも美しい文体で描かれる前半がまずハンパない。母親が妻子もちのDV男と浮気している、という主人公は現代風ながら、それでいて妙に昭和っぽいというかレトロな郷愁が感じられる不思議風味が、これまた恒川ワールドなわけですが、ゲージュツ家を気取った最低のボンクラで人間のクズ、というDV野郎の造詣もかなりツボ。
やがて語り手にも恋人が出来るのですが、この恋人というのが、不幸というものを知らない世間知らず、――といっても、大方の人間は語り手のような不遇を身を以て体験することもなくフツーに過ごしているわけで、むしろこのフツーの恋人と対比させることで、主人公の慟哭と心の奥底に抱えた闇をよりいっそう際立たせた結構も素晴らしい。
そして、まったくの理不尽としかいいようのないことがきっかけで、奈落へと突き落とされてしまう恋人と、それとともに主人公がついに復讐の刃をDV野郎へと向けていく後半の、前半部との対比もまた鮮烈。この復讐方法が何とも歪んでいて、これがまたラストの詩情へと昇華されるという美しい展開もいうことなし。
恒川小説の中では、復讐の方法が下手をすると中二病の一言で済まされてしまうあやうさを孕んでいるところなど、異色作ともいえる一編ながら、自分のような大石小説の愛読者であれば、このあたりもスンナリと受け入れてしまえるのではないでしょうか。
異色作といえば、冒頭を飾る「風を放つ」もある意味異色。バイト先にこれまたバカ野郎がいて、そいつのネチっこいイジメのこともまじえて、主人公の日常生活が淡々と語られる前半が、ヒョンなことで知り合ったイマドキの娘っ子の語った妄想によって転調を迎える結構で、恬淡とも飄々とも違う、主人公のイマドキ女に対する対応に、最近の恒川小説らしい黒さがさりげなく仕込まれているところに注目でしょうか。
娘っ子の語る怪異というか妄想も、都市伝説の小さいおっさんのバリエーションじゃねーの、と苦笑してしまうようなお話ながら、これが恒川氏の手にかかると詩情さえ感じられる幻想譚へと化けてしまうのがこれまた不思議。
「夜行の冬」にも、どこか頼りない、ふわふわとした現実を生きている主人公が、怪異に導かれるようにして、人生の流転を体験する、――と簡単にまとめてしまえばそんなお話ながら、ここは灰色ダウンの男など、点描される脇役が不思議と印象に残ります。怪異の中である決断を迫られる主人公の黒さが現れるラストの展開など、ここ最近の恒川小説らしさを感じさせる一方、怪異も含めた世界観には「夜市」などの初期作の風格を濃厚に感じさせます。「風を放つ」、「迷走のオルネラ」がやや異色、という印象だったのですが、以降は、従来の恒川ワールドのファンであれば安心してページを繰ることができる傑作が続きます。
「鸚鵡幻想曲」は、「迷走のオルネラ」と並ぶお気に入りで、「主人公」と、ある能力を持った人物、そして女の三人が描かれているのですが、先に「主人公」と括弧書きした通りの「あるもの」が現れるまでの前半が、ある能力を持った人物の、その力によって一転してしままう中盤の展開には口アングリ。普通の幻想小説の短編であればここで終わり、となるところが、この先、もう一人の主要登場人物となる女を絡めて美しい展開を見せていくところが素晴らしい。マジック・レアリズムとされる恒川ワールドの特色が、収録作中もっとも色濃く出ているのがこの作品。
最後の「ゴロンド」は、あるものの誕生から成長までを一息に描いた童話を彷彿させる一編で、ここでようやくこの本のタイトルの意味が明らかにされるという小技の効いた一編で、美しい幕を飾ります。
前半二編の、ちょっといつもと違う風格に戸惑ってしまう方もいるかと推察されるものの、全編を通して読めばこれやはり恒川ワールドでしかありえないという傑作で、氏のファンであればマストの一冊といえるのではないでしょうか。可愛いジャケから、角川から継続して追いかけているファンのみならず、氏の小説をまだ読んだことのないというビギナーにも入門編としてオススメできる逸品です。