「ダメミスとしてはなかなかイケてるから読んでみ?」とツイッターでオススメされた一冊で、結論からいうと、確かに多視点でグダグダの展開や、「リアリティなどという言葉は私のトリック事典にはナッシングッ!」と開き直ってみせた豪腕トリック、さらには最後の一文で衝撃の卓袱台返しを披露して読者を脱力の奈落へと突き落としてみせる幕引きなど、乱歩賞受賞作として読めば微妙も微妙、非難囂々という仕上がりながら、そのダメさを加点とするダメミス的評価からすれば、逸品ッ!とかいいようのない傑作で、堪能しました。
物語は、厳しい規律で縛られた交通刑務所で発生した密室殺人の裏にはさらに裏があり、……と簡単に説明してしまえば、そういうお話。冒頭から刑務所ならではの厳格な規則に従って毎日を送る囚人たちの日常がかなり緻密に書かれているゆえ、そこで密室が発生とあれば、必然的に外部から犯人が侵入することはまず不可能、仮に内部の人間の所行と仮定しても脱出は絶対に、絶対に、絶対に、……とクドいくらいに繰り返しておきますが、まず不可能、という不可能尽くしの状況で発生した密室殺人に、いったいどのような空前絶後の大トリックが最後の最後に開陳されるのか、……と本格マニアでならずとも期待はいやが上にも膨らみます。
さらにはかの東野圭吾が大絶賛、とあれば、これはもう福山雅治ファンの女性でなくとも、本屋で平積みになっているのが気になる筈ながら、本作はそうした読者の期待をイヤーな方向で裏切りまくってくれるという展開がダメミスとしては評価大。
前半部の、殺人を決行しようとする犯人の視点をぎこちないながらも、緊張感も交えた筆致で描き出しているところは秀逸で、いよいよ事件が発生し、被害者と犯人の姿が二転三転を見せていく外連も素晴らしい。正直、捜査する側からムショの関係者、犯人被害者とされる関係者と、さらにはそうした関係者の関係者までも交えた多視点の展開は、誰が誰で、今誰が何をしているのかをキッチリと把握するのはやや辛い、……といえばその通りながら、実をいえば誰が誰で、何をしていようと、そうした細かいところにこだわる必要はナシ。
一人二人は事件の中心にいて犯人を探っていく人物もいたりするわけですが、読者が識別可能で感情移入もまアできそう、というヤツに限って、中盤でこれまた意味不明の密室でご臨終、というような奈落行の展開が待ち構えているゆえ、物語を素直に追いかけたい、という読者であればこそ、下手な感情移入は行わず、小蠅のようにあっちにいたと思ったら今度はコッチといった迷走する多視点に導かれるまま、物語の展開だけに集中した方が吉、でしょう。
交通刑務所ということで、中盤には被害者と加害者家族の苦悩などがジックリと描かれるという風格ゆえ、そうした社会派の主張を前面に押し出した動機が、件の連続殺人事件の中心にあるかと読者を巧みに誤導させておきながら、実はトマトが絡んでいた(意味不明。でも読めば判ります)という意想外な真相が明かされる後半の破格ぶりには注目で、すわ連続密室殺人事件かと読者をムンムンにもり立てておきながら、名探偵不在の状態のまま後半部に突入するも、作者の細やかな誤導の技巧の暴れ馬ぶりはさらにエスカレート。
これってもしかして……叙述トリック? と読者が戸惑いを見せてしまうような殺人シーンを描写しつつ、多視点なんだから時間軸のブレなんてこまけーことはどうでもいいんだよッ、という作者の胴間声が耳の奧で執拗に繰り返されるなか、件の殺人シーンにさりげなく描かれていたアレが実はアレ、という脱力な真相も交えて、犯人の告白が語られてジ・エンド、――かと思いきや、本作の暴走はまだやむことなく、犯人の告白の手紙で終わりと見せかけて、その裏にはさらに、……とラスト一行で動機も何もッ、結局何が何だかよくわかんねーッ!と口ポカンになってしまう幕引きはパンキッシュ。
交通事故被害者と加害者の葛藤という正調な社会派の風格をひっくり返した挙げ句、どうにも生臭い動機でオトしていたところをさらに豪快な卓袱台返しで、個人の狂気にも近い「心の闇」へと還元してしまうラストが、本作では議論を呼ぶところかと推察されるものの、これだったら下手に社会派など気取らず、この「真犯人」の異常性を際立たせた展開にしておいた方が説得力が増したんじゃないかナ、とその衝撃のラストには頭を抱えてしまいます。
またこうした強引に過ぎる卓袱台返しは、冒頭から細密に描かれていた刑務所の状況、――すなわち侵入も脱出も不可能――というところを完全に裏切ってみせるそのトリックにも活かされてい、こうした意味では前半と真相開示の後半とのあまりの落差「そのもの」が本作の妙味と見ることも出来るかもしれません。これを破綻ととらえるか、あるいはダメミスとしての味として受け入れるかで、評価は分かれるような気がします。
個人的にはこの破綻を乱歩賞でやらかしたという剛気には強く惹かれるものがあり、こうした破綻を何の衒いもなく披露してみせる作者の異常性と、最後の一文で明らかにされる真犯人の異様な振る舞いとを重ねてみたりするのも一興でしょう。
確かに読みにくくはありますが、上にも述べた通り、下手な感情移入などせずに字面を追っていくだけという読み方であれば、意味不明な箇所は少ないし、『彼は残業だったので』やダメミスの魔道書『不確定性原理殺人事件』のように、要所要所に登場する脱力の駄洒落や意味不明の寅さんトリビアなどに煩わされるような趣向もナシ、という読みやすさゆえ、まだダメミスには慣れていないビギナーでも十分に読破することは可能だと思います。
「『彼残』とか『不確定性原理殺人事件』とか、ダメミスって読むと脳が溶けるんでしょ? 何か怖い……」と、こちら側に一歩を踏み出すのを躊躇っている初心者にこそ手にとっていただきたいダメミスの逸品、といえるのではないでしょうか。繰り返しになりますが、あくまで好事家への転身を希望される方のみ、ということで。