傑作、と言い切っていいものか躊躇いはあるものの、非常に愉しむことができました。簡単にまとめてしまうと、高度な科学技術によって凍眠状態にされた少女が三十年後に目を覚まして、……とSFっぽいお話になってしまうのですが、そう単純な物語ではありません。乾氏ならではの大膽不敵な仕掛けあり、そして何より主人公を取り巻く変態、ヘンタイ、キ印野郎どもの大活躍が凄まじいという点で「Jの神話」の風格を継承するキワモノミステリの逸品ともいえるでしょう。
ヒロインが美人で抜群に頭の良い中学生というだけで「ある筋」のミステリマニアは「うほほい! まいんちゃーんッッ」なんてかんじで脳内変換しながらグフグフと忍び笑いを漏らしつつ読み進めていくかと思うのですが、そうした「その筋」の人に魅力的なのはヒロインだけではありません。その後の物語を牽引していく主要人物のひとりとなる巨乳で百合っぺという彼女の活躍にも注目で、さらにそうした美少女たちを引き立てる男性陣も、妹萌えでコッソリと下着を盜みだしてはクンクンしている疑惑アリという秀才兄貴に、ヒロインの「すべて」を見たい知りたいモノにしたいッというロリコンのキ印博士など、異様に過ぎるキャラ配置は「Jの神話」を軽く超えています。
で、キ印博士にトンデモないことをされて、――という何だかエロ漫画みたいなノリを、これまた乾ミステリらしくない、拙い文体で綴っていく展開が意外で、登場人物たちの主観描写もぎこちなく、口うるさいミステリマニアであれば「まず小説としての基本がなっとらん」なんてかんじで額に青筋をたてて怒り出すのではないかと推察されるものの、そこは様々な仕掛けと趣向で読者を翻弄してみせる乾氏ですから、こうしたところに何かがない筈がありません。最後の最後にこうした小説としてのぎこちなさも含めて、この物語の結構全体の仕掛けが明らかにされます。
三十年後にヒロインが目を覚ますというSF的趣向から、本作をSFマニアが手に取ることも予想されるわけですが、SFといえばストーリーよりはまず物語の基盤となる難解な科学技術を専門用語でガッチリネッチリとシツコイくらいに細かく細かく記述して、まずは作品全体の世界観をシッカリさせていないとすべてはゴミ! と主張してみせるコワモテのSFマニアもおそらくは満足できるであろうほどに、本作においては件の凍眠技術も含めた設定の説明にかなりのページ数がさかれています。これがまたヒロインを襲う受難から、最後に明らかにされる仕掛けも含めた大胆な伏線と誤導になっているところが素晴らしい。
なので、最近のSFっていうはのはチと難しいし……なんてかんじでそうした難解な専門知識の部分は軽くスルーしてしまうミステリファンも、今回ばかりはSFマニアのように専門知識の間違い探しをするような気持ちで挑む必要はないとはいえ、このあたりは一応シッカリと目を通しておいた方が吉、でしょう。
ぎこちない小説技巧によって展開される物語は、後半、「もしあのとき……だったら」みたいなSF的趣向を明らかにして、これまた乾氏らしいイヤーな流れとなっていくので、今まで中学生のヒロインに萌え萌えだったキモオタ氏が眉を顰めてしまうのではと推察されるものの、この「もし」を軸にして物語が大きな反転を見せるという、――ある種の定番的な物語に落ち着くのかと不安になっていると、最後の最後にこの小説全体の枠組みに隠されていたある事実とともに悲哀を交えたドラマが明らかにされます。
この哀しきドラマによって、ヒロイン萌え萌えで読んでいたマニアも「えっ、ちょっとちょっと……」と口アングリになってしまう驚きの真相が本作の本格ミステリとしてのキモであることは勿論なのですが、個人的にはこのぎこちなさ拙さが物語の枠組みを明らかにするとともに、この悲哀のドラマを牽引していたすべての登場人物たちが後景に退き、ある人物が一気に前景に現れるという趣向に打たれました。この作品や、この作品など、近年、人間ドラマを際立たせる技法として本格ミステリではいくつかの傑作も見られるものですが、本作もまたそうしたテクニックを見事に活かした逸品といえるのではないでしょうか。
そうした感動の結末をシッカリと用意しておきながら、感動に涙しながら再び読み返すと、……ページをめくっていくうちに何だか先ほどまでの興奮も次第に醒めてきて、そうすると登場人物たちの変態ぶりばかりがいたずらに目につくようになって、「もしかしてこの作品に感動してしまうのって、ヤバいんじゃないの?」と気恥ずかしさが感じられるというあたり、人を感動させるなんてのは実をいうと簡単なんだよ、とほくそ笑む乾氏の顔が目に見えるよう。
登場人物のほとんどがこれすべてヤバい人、というキャラ設定は「Jの神話」を彷彿とさせるものの、「Jの神話」に見られたエロい名シーンはナッシング。そうしたところはすべて読者の妄想に委ねていると考えることもできるわけですが、本作の場合、上にも述べた通り、(一読すると)感動物語という仕掛けもあるゆえ、そうそう濃密なエロ・シーンを入れてしまってはマトモな読者にはオススメしかねるものになってしまうという危惧もあり、ジャケ帯に「涙がとまらない」「今年最高の感動作」なんて惹句が踊っている本が平積みになっているだけで手に取ってみてはフラフラとレジに持って行ってしまうという、涙腺緩みっぱなしの感動ジャンキーな一般読者を騙すのであれば、そうしたところは当然考慮すべき事柄でもあるわけで、これはこれでアリかな、という気もします。
キワモノマニア、エロミスマニアの読者諸氏は自身の妄想力を遺憾なく発揮して、乾氏が行間に鏤めてくれた変態の種子より脳内にとりどりの妄想花を開花させ、最後の最後にその仕掛けに驚愕してみせるのが吉、という逸品で、「イニラブ」のような大胆な仕掛けを所望の乾ミステリファンはもちろんのこと、本屋のPOPやジャケ帯次第では悲哀の人間ドラマに感動しまくりたいという一般読者にも十二分にアピールすることができる逸品といえるのではないでしょうか。オススメ、でしょう。