「遠い旋律、草原の光」が誰にでもオススメできる傑作だとしたら、こちらはなかなか人を選ぶカモ、という物語ながら個人的にはまさに偏愛したくなる一冊で、堪能しました。で、どんな人だったらハマれるのか、という点については後述します。
物語は、薔薇屋敷に住んでいる伯父さんが出題する様々な暗号を示したのが前半で、中盤からはこの伯父さんの死をきっかけにあの仕掛けによって世界が変容していく様が描かれていきます。前半に提示される凝った暗号も素晴らしく、暗号によって隠された真相がひとつの絵によって明らかにされるという趣向は、「三崎黒鳥館白鳥館連続密室殺人」で見せた偏執ぶりを彷彿とさせます。
しかし本作において暗号には、隠蔽されたメッセージ以上の真意が隠されているところが秀逸です。――いうなれば語られる言葉そのものが主人公の意識によって形成された王国を構築しているという試みが最後のカタストロフへと流れていく展開が素晴らしい。
暗号ものにおいては、暗号を解いていくプロセスとそこに隠されたメッセージがもたらす驚愕というふうに大きく分けると二つの愉しみどころがあるかと思うのですが、「遠い旋律、草原の光」が巧緻な暗号解読のプロセスに注力してみせることで、そこに隠されていたメッセージのシンプルさを際立たせるという構成であったのに比較すると、本作では解かれる過程をじっくりと見せるというよりは、暗号が誰に向けられたものなのか、そしてそれを解き明かす行為そのものがどのような結末を引き出していくのかというところに力点が置かれているところが興味深い。
暗号の大盤振る舞いによって堅牢な薔薇王国が構築されていく前半部とうってかわって、伯父さんの死をきっかけにある人物の視点から見えていた物語世界、――そこに隠されていた真実が、ひとつ、またひとつとむき出しにされていく後半は、皆川博子の萌芽に始まり、綾辻京極へと引き継がれていった幻想ミステリの香りを強烈に感じさせるもので、これを現代本格においては既視感をともなうありふれたものとするか、それとも怒濤の暗号によって王国が構築されていく前半部と真相開示によってカタストロフが展開される後半部の構成の妙を堪能するかによって、本作の評価は分かれるような気がします。
クラニーがこだわり抜いた本作の暗号については、これまたご苦労様というしかないハジけたものながら、個人的には暗号の解読がもたらす感動という点では「遠い旋律、草原の光」の方が好みで、むしろ本作では、隠されていた真実が明らかにされていくつれ、この薔薇王国が崩壊していく後半の情景に打たれました。
本格ミステリであることを強烈に意識した幻想ミステリという点で、本作は、綾辻氏が偏愛する皆川博子の某長編や、綾辻氏の某舘シリーズの一冊がもたらす香気と同質のものが感じられるところが個人的にもツボで、ある人物から見た母親の姿はこれまたモロ竹本綾辻ワールド的な装飾をほどこしたものであるし、さらにこの薔薇屋敷に棲むものと暗号に隠された都市伝説的事件などはマンマ、ダリオ・アルジェントだし、さらにいえば、幕引きの喪失感というか失楽感も美しく、……というわけで、個人的には綾辻ファンに手にとっていただきたいナーという一冊です。
皆川博子にダリオ・アルジェントと、あとひとつ、この王国が言語によって構築されていく過程と逸話はこれまた楳図漫画の傑作のアレ。ホラー映画リスペクトという点でも、アルジェントはもとより、作中に登場する絵画には「地獄のモーテル」あり、「バーニング」のバンボロありと、往年のB級ホラーを愉しめた世代だとそのディテールも堪能するのも吉、でしょう。
クラニーファンはもちろんのこと、上にも書きましたが、本作は特に綾辻ファンに是非とも手にとっていただきたいな、と感じた次第です。完全に人を選ぶ一冊ではありますが、好きな人にはタマらないのではないでしょうか。オススメ、でしょう。