傑作。だけど圖拔けて重い作品。軽い気持では讀めません。讀み切るのに三日もかかってしまいましたよ。
この光文社文庫版は講談社文庫「密室殺人大百科」に収録されていた「五匹の猫」も收めた完全版。買うならノベルズではなくこっちでしょう。
「五匹の猫」を除けば、本作は連作短篇の形式を踏襲していて、「仮設の街の幽靈」で提示されたいくつかの不可解な謎が、最後の「仮設の街の犯罪」ですべて回収される構成になっています。つまりこれらの物語はすべて震災後、被災者たちが仮設住宅で暮らしていたころのお話なのです。
まず「五匹の猫」ですが、足跡のない、開かれた密室という謎に「毒入りチョコレート」を髣髴とさせる假説が繰り出されては否定され、最後に眞相が明らかになるという仕掛け。それぞれの假説もなかなか愉しめるもので、否定されるのはちょっと惜しいくらいでした。しかしこのくらいはまだ序の口で、次の「仮設の街の幽靈」ではのっぺらぼうの幽靈、人魂、樹にぶら下がっていた幽靈、女の啜り泣きなど、島田莊司ばりの不可解な謎がいくつも提示され、それらは何も解かれないまま、次の「紙の家」へと續きます。これもまた密室で、驚きはあったものの、寧ろ被害者、そして犯人の関係や動機に何ともやるせない気持になってしまいます。
「四本脚の魔物」は中井英夫の某作のような、曰く付きの椅子が登場します。密室なのですが、単純な仕掛けながらこれもた犯人が殺害を決意するに至った動機が何とも重いもので、……このように収録されている作品はすべて、震災、そして被災後のあの時、あの状況でないと起こりえないものばかりなのです。
「ヒエロニスムの罠」も同樣で、トンデモな機械を使って自分が人を呪殺してしまったと思い惱む女性など、震災によって心に傷を持った人たちの關係のなかでしか起こり得ない事件なのです。被災者という点では、本作のホームズ役である有希もそして探偵である雪御所圭子も同じです。不安定なゆえに、ホームズも探偵もまた事件に関わっていくなかでトンでもない行動に出てしまったりする譯で、ここでは探偵とホームズは作者に割り振られた役割を逸脱してしまいそうになったりします。それがまた物語という世界を超えて、生々しくこちらに語りかけてくるものですから、……すべての作品で讀後感はずっしりと重い譯です。
本作のタイトルにもなっている「恋霊館事件」は一番の出來で、消失した館という謎に雪御所圭子と有希が挑むのですが、この謎は素晴らしい。館の焼失といえば、すぐにクイーンのアレとか、泡坂妻夫のアレとか、……最近では二階堂黎人のアレも傑作だったよなあ、などと考えてしまう自分ですけども、このトリックは感心しましたよ。なるほど、「さかしまの消失」なんですよねえ、これは。そして謎が解かれたあと明かされる事件の關係者たちの悲痛な思いにこれまた鬱……。
「仮設の街の犯罪」ですべての謎が明らかにされ、物語は終わります。しかし事件が終わり、仮設住宅が取り壊された跡地に有希が佇み、事件に關係した人たちを回想していくのですが、ここがいい。あらためて關係者のその後が語られるのですが、すべての登場人物がリアルで、こうして本を閉じたあとでもはっきりと印象に残っているんですよねえ。彼らは誰もが何かしらの心の傷を抱えてい、物語のなかでも決して「生き生き」と描かれている譯でもないんですけど、ぐっと胸に迫ってくるものがあるんですよ。こういう小説を傑作というのでしょう。
ミステリとしても、また小説としても一級の風格を持った本作、震災を扱ったということできっと批判も多いのでしょうけど、自分は斷固支持したいと思います。讀むべし。