懐かしさを感じさせる日本の風土を舞台にして精緻な怪談・幻想怪奇小説をものにしていた恒川氏が、南国を舞台に繰り広げる魔術的幻想譚。どこか郷愁を感じさせる日本から南国へと舞台を移したことで、本作を作者の「新境地」とすることに吝かではないのですが、個人的にはこうした舞台の変化よりも、怪談のキーとなる現実世界と異界との「境界」へのアプローチに見られる変わったものと変わらぬものに惹かれました。このあたりは後述します。
収録作は、絶望の逃避行が謎めいた巫女の導きによって幻想への旅立ちへと変幻する表題作「南の子供が夜いくところ」、精霊の統べる未開地と外界からやってきた文明とのせめぎあいを魔術的筆致によってダイナミックな神話へと昇華させた傑作「紫焔樹の島」、街角にポツンとあった不思議な廟にまつわるお話を伝聞の形式も交えてユーモラスな「ふしぎ小説」へと仕上げみせた「十字路のピンクの廟」。
過去と現在、神話とリアルを交雑させた美しい幻想譚「雲の眠る海」、息子の死の謎をめぐって夢と幻想の交錯が酷薄なリアルをあきらかにする「蛸漁師」、メタモルフォーゼのモチーフに作者ならでは優しい眼差しを添えたふしぎ小説「まどろみのティエルさん」、人間と精霊、夢とリアルの境界を取り払った異世界をさまよう男の独白が最終話にふさわしい幕引きを見せる傑作「夜の果樹園」の全七編。
冒頭を飾る「南の子供が夜いくところ」は、この後にもちらりチラリと出てくる登場人物たちのお披露目といった感じの軽い一編ながら、決して歳を取らない巫女めいた存在の女性など、リアルから異世界へと読者を遊離させるための仕込みは万全。ここで離ればなれとなった家族の物語が最後の「夜の果樹園」で再び語られるという結構も素晴らしい。
「紫焔樹の島」は、未開の地に流れ着いた文明国の異人さんが現地の娘っ子といいカンジになって、――という、既視感溢れる物語の展開に魔術的筆致をふんだんに凝らした傑作で、物語の舞台としては、この土地の娘の視点にして現実世界と異界との境界が取り払うことによって、幻想譚としての硬度がより高められているところに注目でしょうか。
また、異人さんの漂着からワルどもの狼藉など、土地のものたちに降りかかる様々な受難など、もっと重厚に描けば長編に仕上げることもできたのでは、というエピソードを圧縮して、これだけの短編に仕上げたことで後半の盛り上がりと幕引きを引き立てている結構もいい。ベースとなる物語はありふれたものなのに、精霊や島の幻想を静謐な筆致によって見事に描き出し、上質なおとぎ話へと仕上げてみせた恒川氏の力量にはもう脱帽。
ダイナミックな展開と描写がキモだった「紫焔樹の島」とは対照的に、続く「十字路のピンクの廟」は、どこかとぼけた味の「ふしぎ小説」で、町でフと見つけたピンクの廟の曰くをある人物が尋ね歩くという構成です。
タイトルにある廟から、やがてその廟の中におさめられたあるモノへと関心が遷移していき、そこからとあるボーイの受難がユーモラスに語られていくのですが、悪霊退散めいた「儀式」のおとぼけぶりが微笑ましい。このままフツーに終わるかと思っていたら、儀式の最後にあっと声をあげてしまうような意外な真相が開陳されるところが面白い。
「蛸漁師」は、息子の不審死の謎を探っていくうちに、奇縁によって蛸漁を引き継ぐことになるという、これまた奇妙な展開を見せていきます。父親の推理を裏打ちするように、これまた不可解な夢見をし、――という展開で、異世界を透かすことで、人間の酷薄さを活写してみせるところなど、恒川氏らしい風格が際立った一編でしょう。
収録作中、もっと印象に残ったのは「夜の果樹園」で、冒頭の「南の子供が……」で語られた家族のその後を、今度は父親の視点から語っていくという構成です。久方ぶりに息子に会おうと島を訪れた私はあることをきっかけにトンデモなメタモルフォーゼを体験して、――という悪夢のような流れの中に、アッサリとコロシを肯定するような残酷でグロテスクな逸話を盛り込んで見せたところが魔術的。
本作の収録作はいずれも、南国を舞台とした作者の「新境地」ながら、この一編は現実世界と異世界との「境界」とその「移行」を明快に描き出しているという点で、今までの恒川ワールドの雰囲気を濃厚に残した一編といえるかもしれません。
バスの描写から異界へと流れていく冒頭の描写によって、巫女的存在であるユナや、異世界にスッカリ馴染んでしまったタカシの視点から語られる「まどろみのティエルさん」などとは違い、シッカリと現実世界と異界との間にある「境界」の存在を見せているところが興味深い。
どうしてこの作品だけは、そのような構造になっているのかにも、語り手の立ち位置なども含めて設定上の理由が凝らされているわけですが、従来路線ともいえる「境界」に関するアプローチを持たせた本編を最後にもってきた作者の戦略は、日本の風土を舞台にした従来の作風とは異なる「新境地」を見せながらも、恒川ワールドを支えている根本には揺るぎなし、ということが確認出来たのも収穫でした。
「南洋諸島の魔術的な時空間を自由自在に操るマジックリアリズムの傑作!」なんてかんじで煽られ、作者もインタビューで「同じようなものを書き続けてもつまらないし、読者の期待をいい意味で裏切るような“未開拓”の部分に挑戦したかった」なんて口にしているのを耳にすると、「あの懐かしいかんじのする和モノの物語世界が良かったのにー」なんてかんじで、本作を手に取るのを躊躇ってしまう読者もいるのでは、なんてことを危惧してしまうのですがご心配なく。
「マジックリアリズム」「南洋諸島の魔術的な時空間」といっても、異世界を描き出す手さばきはグロテスクといえるほどより鮮やかに極まった本作、恒川ワールドのファンも愉しめるし、和モノの怪奇幻想譚よりも「マジックリアリズム」とか、洋モノっぽい響きに惹かれるワン、という読者も虜にする作者の「新境地」といえるのではないでしょうか。オススメ、でしょう。