解説によれば本作は「「夜のジンファンデル」をのぞいた五編はどれもホラー」という一冊ながら、いずれもホラーというよりは奇妙な味っぽいフレーバーを効かせた幻想小説で、個人的には「ふしぎ文学館」系とでもいうか、そんな印象を受けました。
収録作は、エリート意識ばかりが強すぎるゴマスリ野郎が、上役の失墜をきっかけに僻地へと飛ばされた挙げ句、奈落へと落ちていくブラックなオチにニヤニヤしてしまう「永久保存」、商業主義に魂を売ったゲージュツ男の郷愁を白痴美の女の影に託して描き出した幻想小説「ポケットの中の晩餐」。
エリート男と不倫していた女の末路に怪異を添えて黒過ぎるオチを開陳する「絆」、解説で吉田女史も絶賛しているおとなの恋愛小説の至宝「夜のジンファンデル」、二代にわたる老女の末路を内なる幻想と外の視点を重ねて幻想的筆致で描き出した「恨み祓い師」、筒井的半村的とでもいうようなあの時代の小説めく風格が素晴らしい恐怖小説「コミュニティ」の全六編。
「夜のジンファンデル」を除けば、クダらないエリート意識や負け組人間のリアルを活写させれば超一流という篠田氏の筆致がここでも冴え渡り、冒頭を飾る「永久保存」では、人を見る目はあるとかホザきながらも、結局ゴマ擦ってへこへこしていた上役の失墜によって主人公が閑職に飛ばされてしまうという展開がまず痛快。ところどころにエリート意識と「俺様はスゴイんだイ」と鼻高々な内心を地の文で語らせながら、それが僻地へと飛ばされたリアルと対比を描いているところも素晴らしい。
エリートだったころは職場の女もよりどりみどりだったという事実が語られ、女からの暗号めいたラブレターが奈落を引き寄せるというネタぶりも痛快なら、役所の底辺で働く同僚たちへ向けていた冷たい目線が見事に反転して、最後には地獄を見るというブラックなオチもいい。
「ポケットの中の晩餐」もまた、ゲージュツ家として、また商業主義に魂を売ったデザイナーとしても一世を風靡した男が主人公。時代に捨てられていくというリアルを描きながらも、「永久保存」と違って、男を見つめる視線にはどこか憐憫さえ感じられる描き方が印象的で、そこに郷愁と無垢の象徴として描かれる白痴女の造詣がいい。決してイケてる美人ではないのに男の本能ゆえ惹かれてしまうという、これまた男の欲望と生理に知悉した篠田氏ならではの視点が冴えています。
「絆」では一轉して、奈落へと落ちるのはドマーニ女で、エリート女ながら男と不倫という暗い秘密を持っている。やがて手付け金として逢い引きに使っていた別荘を譲り受け、女はそこに暮らすことになるのだが、引っ越してくる前から置かれていた冷蔵庫がどうにも怖い。その理由は……という話。女の幻視に現実的解が与えられたようでいて、結局それがタイトルの「絆」にも繋がる恐ろしいものを引き寄せているところや、不審死の子供といった怪談フウの逸話を添えている結構もいい。最後にゾーッとなるという点では一級品の怪談でしょう。
「恨み祓い師」は、母と娘、――とはいえすでに老境を迎えた女二人がボロアパートに引きこもっている。こいつらにどうにかして立ち退いてもらいたい女は拝み屋さんに妖怪退治をお願いするのだが、……という話。ボケ始めた老婆の独白に、どこからどこまでが真実で妄想なのかという揺らぎを添え、そこへ立ち退きに奔走する女という外からの視点を重ねて物語を展開させた結構が、拝み屋という幻想的存在も交えて物語をもの悲しさ溢れるファンタジーへと昇華させているところがいい。
表題作でもある「コミュニティ」はこれまた団地という物語の舞台とも相まって、筒井半村のあの時代の奇妙な小説を想起させる風格で、リストラで都落ちした夫婦が団地の仲良し主婦連の背後に隠された秘密に取り込まれて、……という話。妻の態度の激変や、団地の住人たちの奇妙な振る舞いを、戸惑いも交えて夫の視点から描いているところが秀逸で、ここでも格別美人なわけでもないのに妙にエロい、というオンナの描写が極上の風味を添えています。オチについてはどちらに転ぶのかと思っていると、そっちの方でシメましたか、という仕上がりで、何ともいえない複雑な余韻を残します。
で、解説で吉田女史が激賞しているおとなの恋愛小説「夜のジンファンデル」なんですけど、確かに短編だからこそ光る大人の男女二人の恋愛が、これまた篠田氏の小説ならではの悲劇的な結末も交えて描かれた極上の逸品で、吉田女史がもう暑苦しいほどに大絶賛しているのも納得なわけですが、それにしても女史の語りがアツすぎでアツすぎてタマりません。
で、彼女の手になる解説には大人の恋愛小説の条件というのが掲げられておりまして、これをざっと引用すると、
一 双方に家庭があること(どちらか一方でもかまわないが、双方がベスト)
二 男女ともに、人間的に成熟していること
三 互いの想いを判っていながら、最後まで一線を越えないこと
四 お互いの配偶者を巻き込まないこと
五 当事者以外、誰にも知られないものであること
で、女史がもっとも重要視しているのが三の「最後まで一線を越えない」というところでありまして、確かに「ジンファンデル」でも、フツーだったら絶対にエッチしているだろ、というような状況にありながら、物語の二人は「最後まで一線を越え」ません。それだからこそ、悲痛なラストと「千の風になって」の余韻が素晴らしい効果をあげているけですが、……それでも敢えて女史の言葉にツッコミを入れるとすれば、確かにこの物語の男女二人はエッチこそしていないものの、ちゃっかり接吻はしているんですよ。それもかなりエロいかんじの。
そうなると、女史的には「不倫するにしてもキスならOK」ということなのか、どうか。キスは一線を越えたとは見なされない、というおおらかさは確かに「不倫は文化」とホザいても最後の最後には父娘みたいに歳の離れた女をゲットできてしまうという日本人であれば許されるものの、これを例えば台湾人妻に「ねーねー、キスまでは不倫にならないっていう意見もあるんだけど……」なんて話そうものなら、台湾人妻は眦をつりあげ、口を阿修羅のごとく一文字に引き結んだ形相で「他の女とキスしたら殺す。後ろから刺す」とドスの効いた声で脅しつけられること確実で、このあたりに文化的相違なども交えて女史の「大人の恋愛小説の条件」について色々と考えを巡らせてみることも一興でしょう。
いずれも外れなしの逸品ながら、「ふしぎ文学館」系の奇妙な味、という点で、個人的な好みは「ジンファンデル」とともに、表題作の「コミュニティ」と幻想的筆致の際立つ「ポケットの中の晩餐」が好みでしょうか。極上の短編集を所望の方に広くオススメしたいと思います。