メフィストの選考座談會とか読むと、ホラーともミステリともつかない「怖い話」であるという本作、ひとまず敢えて謎解きには注力せずにホラー的な要素を拾いつつ讀み進めていったのですけど、結論からいうとこれは「読むひばり」(爆)。個人的には懐かし風味さえ感じられるキワモノホラーとしてなかなか堪能しました。
物語は、妻子持ちである作家志望のダメ男がヒョンなことから炉男に連れ去られそうになっていた少女を助けようとしたのをきっかけに、「虫とりのうた」という奇妙な都市伝説へ興味を持つにいたり、彼の周囲では不可解な人死にが続発。そこへ呪術家の家系である妻の実家の秘密も添えて、件の都市伝説に隠された謎が明らかにされていき、――という話。
要所要所にホラー・ジャパネスクな要素を感じ取ることができ、都市伝説の伝搬が後半の展開に関わっているところや、語り手が見る奇妙な夢の情景など「リング」を彷彿とせさるシーンもあったりします。しかし、物語の冒頭に描かれる炉男が少女を追いかける場面の唐突ぶりや、前半にぎこちないかたちで唐突に語られる主人公のエピソードなど、物語の枝葉となるパーツの組み方がかなりアバウトで、それが何ともいえない「緩さ」を醸し出しているところが本作の個性、といえるカモしれません。
このあたりが本作をホラー・ジャパネスクの系譜というよりは、七十年代の「ひばり」テイストを感じさせてしまう所以ではないかと推察されるものの、そうした細部のぎこちなさを除いて全体の流れを俯瞰すると、例えば井上氏の「メドゥサ、鏡をごらん」や、近作では黒史郎の「夜は一緒に散歩しよ」などにも通じるイヤ感も盛り込まれているところは好印象。
しかし、いかんせん細部のシーンの緩さがあまりにステキで、それがまた日野日出志画伯の絵で描いたらこれ、ムチャクチャ面白いんでないノ、なんていうほどのニヤニヤ笑いが止まらないシーンも盛りだくさんという風格は、自分のようなロートルにはたまらないものがあります。
主人公が見る夢の不気味さの中にそこはかとなく漂うひばり風味や、後半、編集者が「怖い」と絶賛しているシーンの中でも、やや唐突にある人物が「舌をでろりと出し」て、「ばあ」というところや、それに驚いた語り手が「いました。……いましたよぉ」と腑抜けた声で叫んだり、「火に触ったら、大火事だぁ」という台詞等々、どうしても日野画伯の絵でそうした場面をイメージしてしまいます。
ディテールのハジけぶりから主人公や妻や子供の姿を日野画伯の絵に脳内変換してしまう誘惑はいかんともしがたく、どうにかして頭ンの中の情景を実写に戻そうと試みると、今度は、妻子持ちなのに会社辞めて小説家志望という主人公のマヌケぶりが化粧を落としたスッピンの小梅太夫へと姿を変えてしまうというテイタラク(苦笑)。
そんななか、ちょっとおッ、と思ったのが、妻の実家の名字「黒沼」の由来をさらりと語るくだりでありまして、
江戸時代、庄屋だった黒沼家の近くに沼があったそうだ。ある年に疫病が蔓延して、多くの死体が沼に投げ込まれた。沼には死体の髪があふれ、元は緑色だった水が黒く染まったように見えたという。
「死体が投げ込まれた」のに、そこでは「死体の髪」のことだけが語られ、他の部位についてはまったく触れられていないという文章が何とも不気味で、こうした引き算の描き方から、ひばりっぽい雰囲気の逸話ばかりを並べながらも案外、作者には怪談のセンスがあるんじゃないかナ、と感じた次第です。ちとみにここで語られた「髪」というのは、その後すぐに出てくるある場所の名前にも繋がっていくのですけど、こうしたところから、「虫とりのうた」の「都市伝説」な要素や、さりげなく描かれる引き算的な細部の技巧を引用するなりして、「ホラー」というよりは「怪談」的な要素をもっとモットアピールしていった方が今の読者、――というか、ハッキリいってしまえば本を買ってくれる読者の手にとってもらえるのではないかナ、などと感じた次第です。
「メフィスト」でもようやく「怪談」を取り上げてくれたことだし、こうなったら宇佐美まことや岡部えつといったミステリ的なセンスも十分に兼ね備えた現代怪談の書き手もジャンジャン参入させて、「メフィスト」には最先端の本格ミステリと怪談を融合させたハイブリットな文学を生み出していただきたい、と期待してしまうのでありました。