何だか非常に不思議な讀後感を殘す一作でした。「孤島」でコロシとあれば、当然「そして誰もいなくなった」系の作品で、――という先入觀を持ってしまう譯ですけども、もちろんそうした趣向はチャンとあって次々とコロシが発生するものの、作者の視点はそうした人間世界の殺人事件より、寧ろその間にも靜かに進行しつつある、あるものの滅びに置かれています。
物語は、とある孤島で植物が枯れてきているのでそいつを調べてもらいたい、というウマい話に乗せられてやってきた連中が件の連続殺人事件に卷きこまれる、という話で、事件については樣々なトリックが推理によって開陳され、犯人の所行や動機についてもその口から語られるものの、「そんなことしている場合じゃないッ!」というような滅びの予感が時に登場人物たちの独白によって語られる阪神大震災のイメージと重ねられ、事件が収束を見せていくのとは対照的にその不穩な空氣が次第に高められていくという結構が秀逸です。
登場人物たちが持っている大震災のトラウマや、件の殺人の動機にもつながっていく藥物ネタなど、このバース・レーベルの世代が抱いているリアルが事件の樣態にも密接に関わっていて、このあたりをもっと細かく書き出して事件との連關を見せる結構へと纏めてみせるのが從來の小説の形式とすれば、本作ではそのあたりに強力な壓縮をかけて編集しているところが個性でもあって、それを物足りなく感じるか、それともそうした壓縮によって「矮小化」された人間世界の事件の構図を、最後の最後に明らかにされる島の祕密を際だたせるための趣向と見るか、――このあたりは案外、評價が分かれそうな気がします。
實をいうと、この事件の樣態を描き出す作者の筆致から感じられるある種の「冷たさ」の正体をはかりかねておりまして、もちろんミステリ的な趣向として描かれる「そして誰もいなくなった」の「なくなる」屬性へ「ずらし」を用いた島の祕密の眞相の大袈裟ぶりはある意味、御大的ともいえるし、あるいは恩田的バカミス風ともいえるのですけども、それがもともとの原題ともなっていた「エトリッヒ・タウベ」や登場人物の口から語られる震災の記憶や逸話と重なってひんやりとした終末感を浮かび上がらせているところは、「孤島」風味のミステリというよりは、寧ろ幻想ミステリに近いような気もします。
事件が収束した後日談として添えられた幕引きのシーンや、本格ミステリ的にはもっとも盛り上がるべき人間世界の事件の解決が、島の祕密の眞相開示によってイッキに後景へと退いてしまう構成など、何となくなんですけど、作者が本格ミステリによって語りたい事柄はゲーム的なものではなく、もっとシリアスなものではないかなという気もします。個人的には事件を描きながらも妙に冷めている風格はかなり好みで、作者が物語に託して描き出したいものが何なのか、――それを見極めるためにも、是非とも次作を期待したいと思います。