クラニーの作品で時代ものといえど、讀後に感じられる余韻はまさに傑作「下町の迷宮、昭和の幻」のソレ。舞台こそ江戸ですけど、得意とする怪談やミステリの風格をさりげなく添えて見事な人情噺へと仕上げてみせた手際の素晴らしさには感心至極。
物語の主人公はタイトルにもある素浪人の鷲尾で、彼はちょっとしたトラウマを抱えている様子。その暗い過去を忘れるため日がな釣りをしながらボンヤリする毎日を過ごしていたが、ヒョンなことから深川の老舗の菓子屋の男から声をかけられます。何でもその男いわく、鷲尾の顔が亡くなった若旦那の顔にクリソツで、ボケはじめた親父の前で若旦那のフリを演じてもらいたいという。鷲尾はその願いを受けいれて菓子屋に住み込むにことになったのだが、――という話。
前半の何処かユーモアも添えた展開が中盤、ある怪異の現出をきっかけにふしぎな物語へと転じていきます。奇妙な夢に魘される鷲尾の前に現れたのは、若旦那の幽霊なんですけど、いったい何で幽霊が出てくるのか、――何しろトラウマを抱えた鷲尾のことですから、これも一種の幻なんだろう、なんて思っていると、最後の最後でこの怪異の所以がミステリ的な趣向によって繙かれるとこにはチと吃驚。
とはいえ、この前に読んだ輪渡氏の「無縁塚 浪人左門あやかし指南」のように怪異の存在そのものが謎解きによって解体されるわけではなく、怪異はあくまで実際に「ある」ものとしながら、どうして幽霊が出てくるのか、という理由が推理されていく趣向が面白い。
そこに思わぬ犯罪が隠されていたことが明らかにされ、その後にもの哀しいシーンが描かれるのですけど、まさにこのシーンは、「この世」と「あの世」には決して交わることの許されない境界があることを前提としながら、ホンの一瞬、こちら側からその境界の向こうの世界を垣間見てしまう、――という、まさに怪談における幽霊物語の定石を踏まえた本作の見所のひとつでありまして、時代ものならではの外連味も添えて、クラニーならではの落ち着いた筆致で描かれるこのシーンだけでも本作は読む価値アリ、といえるのではないでしょうか。
しかし時代ものにこうした怪異をさりげなく描きつつ、そこから見事な人情噺を見せていくという結構は、光文社時代文庫の読者にどう受け止められるのか、……時代ものというよりは一介のクラニーファンに過ぎない自分などは、そのあたりに興味を持ってしまう譯ですけども、アマゾンで本作を検索すると、「この商品を買った人はこんな商品も買っています」のなかには、佐伯泰英の「「居眠り磐音江戸双紙」読本」や稲葉稔の「兄妹氷雨―研ぎ師人情始末」とともに、角川ホラー文庫の近作「ひだり」がさりげなく並んでいるのにはさすがに苦笑してしまいました。
時代ものながら「影斬り―火盗改香坂主税」よりは、「下町の迷宮、昭和の幻」や「泪坂」に近く、この二作の静かな感動がツボだった人には大いにオススメしたいと思います。