福山ミステリー文学新人賞第1回受賞作。巻末に掲載されている御大の力のこもった選評の通りの力作で、なかなか堪能しました。
物語の舞台はアメリカで、とあるボーイが殺人現場を目撃し、犯人の顏もシッカリと見てはいるものの、この子は「相貌失認」なる症状を抱えているがゆえに、犯人の顏が認識出來ないらしい、しかし探偵はボーイとのヒアリングをたよりに犯人の正体に迫っていく、……というのがまず大きな縱軸としてあって、そこに件のコロシがあった大富豪の廃屋の曰くなども絡めて、過去の不可解な事件と現代の事件との連關が次第に明らかにされていく、というお話です。
「相貌失認」なる一般には馴染みの薄い症状がミステリとしての結構に大きく關わっている物語ゆえ、ここではやはり御大の二十一世紀本格的な風格をイメージしてしまうのですけど、御大の作品のなかでは、奇矯に過ぎる幻想が超絶論理によって解体される結構が美しい長編「ネジ式ザゼツキー」や、讀者の意識のなかにある時間軸を巧みに操作した仕掛けが秀逸な「ヘルター・スケルター」などに比較すると、本作ではそうした外連味よりも、実直さとリアリズムを前面に押し出した風格で、そのあたりは御大的な二十一世紀本格の雰囲気とはやや趣を異にします。
実際、探偵トーマも地味、……というか、おしとやかに過ぎるゆえ、ハメを外して冒險しまくる御手洗のような探偵像をイメージすると二十一世紀本格といってもちょっと違うジャン、ということになってしまうのですけど、ボーイの証言のみを頼りに真相へと近づいていくという堅実な捜査の流れには非常にマッチしているのもまた事実で、個人的には次第に探偵に心を開いていくボーイと探偵との関係や、その症状ゆえに不幸な境遇にあるボーイの側からその苦悩に光をあてた、人物造詣にふくらみを持たせた描写も巧みだと思います。
しかしやはり一番のキモは、探偵が真相を見拔いたあと、とある舞台を用意して、このボーイに犯人を指摘させる最後のシーンでありまして、この奇想と、ボーイの一瞬の「失意」から一氣に探偵の企みが明かされる仕掛けには大いに驚かされました。
個人的にはこの現代の事件の謎解きを、「相貌失認」なる症状のボーイと探偵が追いかけていく大きな縱軸だけでもう十分に滿足できる仕上がりだとは思うのですけども、本作では件の廃屋に住んでいたという大富豪の発狂と過去の事件、さらには奇怪な魔女裁判などを取り込んで、過去と現代を連關されることによって大きな事件の構図を描き出すという氣合の入った結構にも注目で、原理主義的な視点からの読みでは寧ろ、「相貌失認」なんてコ難しいものより、過去の事件に添えらたアリバイ・トリックや、双子のトリックなど、古典的な香りさえ感じさせる仕掛けの方が愉しめるという意見もあるカモしれません。
個人的にはこうした事件に添えられたトリックは、容易に先行作が想起できてしまうゆえにアレで(爆)、やはり本作では「相貌失認」に絡めた樣々な趣向が素晴らしく感じられ、前半に仄めかされていた能が事件を繙く重要な鍵となって、後半、探偵とボーイが能面を見に行くところでは、とある演目に絡めて事件の構図が暗示されるのですけども、真相が明らかにされたあとここを読み返したときには鳥肌がたってしまいました。
そして「相貌失認」から人間の顔を認識する上でその道筋を二つに仕分けて、独特のアプローチを見いだしたのち、最後の見せ場へと繋げていく展開の巧みさなど、やはり能と「相貌失認」を連關してみせる着想が本作の一番の見せ場でしょう。
事件の構図が明らかにされたあとに登場人物たちの苦悩と悲哀を描き出してみせるところなど、やはり本格ミステリならではの、謎解きや仕掛けによる人間描写など、まさに御大や柄刀氏などにも通じる現代本格の風格がイッパイに感じられる本作、ときにやや平板に感じられる文体や過去の事件の詰め込みぶりなど、いくつかの弱さも感じられるとはいえ、最後のシーンで見事に開陳される驚きの趣向を味わうだけでも「買い」でしょう。また外連味は薄いながらも、実直堅実さに注力した本格ミステリがご所望の方にオススメしたいと思います。