宇佐美氏の最新長編。今回は幽系列からではなく、祥伝社からのリリースで、そのあたりが作風にどのような變化をもたらしているのかというあたりにも興味があったりする譯ですけども、結論からいうと怪談というよりは、モダン・ホラーの骨法を相当に意識しながらも、宇佐美氏ならではの人間の暗黒面と深淵を巧みな筆致で描き切った逸品でありました。
物語は四国のとある田舍町で、合併によって廃校となる学校の教師、都会からやってきた金髪のツッパリ女、さらには都会の弱肉強食社会から逃れたいばかりにIターンで有機農法へと勤しむダメ男、それに癡呆老人となった母親を介護する女などなど、多視點を驅使してそれぞれの登場人物の輪郭を明確にしながら後半の大爆発へと繋げていくというモダン・ホラーでは定番の結構を見せていきます。
物語は中盤まで怪異の姿をはっきりとは描かずにはいるものの、冒頭の登場シーンからしてだいたいの姿はイメージ出来てしまいます。実際、このブツに関してはネタバレにならない範囲で書き記せば、「動物だったり植物だったりするアメーバみたいなやつってなーんだ? ヒント、南方熊楠」ってやつでありまして、そいつがこの田舍町の森のなかで息を潜めて人間が来るのを待っている、……と書けば、そいつが枯葉の下や草叢ンなかからブワーッと現れて人間をガブリ、なんていうスプラッターなシーンをイメージしてしまうのですけど、本作は怪談畑出身の宇佐美氏の手になる一作でありますから、件のブツもそうした派手派手しさとはおおよそ無縁。氣持ち惡いオノマトペを鏤めて例のブツが現れるさまの描写には背筋がゾクゾクしてしまいます。
廃校になるからその記念にと教師のフとした思いつきから校歌の所以を調べてみようということに。一方、都会からやってきた金髪娘はどうにも田舍の学校の雰囲気には馴染めない樣子ながら、そうやってツッパってみせているのにも個人的な悩みというやつがチャンとあって、この教師が提案した調べ物が思いも寄らない村の過去を明らかにしていき、……という話。
山に入ると、件のブツが「じゅるり……」「じゅるじゅる ぎゅるる……」「にゅりにゅり じゅる……」という気持ワルーい擬音を振りまきながらヌボーッと現れるシーンは生理的なイヤ感溢れるものながら、本作では中盤にアッサリとこの怪物がハッキリと姿を見せ、そこからは人間の暗黒面を前面に押し出した展開へと傾斜していきます。
そしてこの「じゅるじゅる」の怪物とともに、金髪娘に絡めてもうひとつの怪異が提示されていて、これがまた非常に唐突なかたちで物語に登場するゆえ、いったい件の「にゅりにゅり」とどういう関係があるのかと訝っていると、後半、イッキにこの二つの怪異があることをきっかけに見事な連關を見せるという伏線の技巧は秀逸です。
またこうした伏線に目を凝らすと、過去に村であった猟奇殺人事件に關して、射殺された犯人の異樣な樣子や、狂人を射殺した山人のその後の運命などを平家伝説に絡めながらその奇妙な行動の背景にしっかりとした意味付けを行ってみせるという結構も盤石で、最後の最後に金髪娘が危機イッパツとなるシーンでも彼女が助かったブツの效能など、とにかく物語の怪異や人間の奇怪な行動にも伏線を鏤めて明快な理由を添えているところなど、その技法はホラーというよりは、寧ろミステリに近い風格さえ感じさせます。
実は前回短篇である「湿原の女神」を讀んだときに、登場人物との距離感やその心理に絶妙な伏線を添えてみせるところなど、何となく篠田節子氏に似ているな、と感じたのですけども、本作を讀むにいたってそうした感覚はますます強くなりました。初期の「絹の変容」から「アクアリウム」、そして「神鳥」など、ホラーの文脈で語ることも可能と思える篠田氏の作品と風格は似ているといいつも、篠田氏が社會派的な視座を添えて物語を遠大なスケールへとドライブしていくのとは対照的に、本作における宇佐美氏の力點はあくまで個々の人間たちがその心の奧底に抱えている暗黒と深淵におかれてい、それを平家の落人伝説と連關させることによって人間の持つ「念」の背後には、現在過去という時間軸をも超えた壯大な神話が隠されていることを暗示させるのみにとどめています。
怪談という軛を解き放った本作はモダン・ホラーの意匠をかりつつも奔放で、最後には感動的な人間の再生も描かれているし、出てくるブツはどう見たってB級ホラーなのに人間ドラマとしての風格やその感動をもたらす読後感はA級というところが摩訶不思議。
またこうしたB級的な味に人間ドラマを重ねていくという物語の構築方法は何となーく恩田氏の幻想小説にも通じるような気がするものの、本作は恩田式投げっぱなしジャーマンの真逆をいき、上にも述べた通り細やかな伏線を凝らして、それを舞台背景から登場人物たちの現在過去を超えた連關を明らかにしていくという結構で、恩田氏の「抒情」を宇佐美氏の場合「情念」という言葉に置き換えてみると、怪異やサスペンス、モダンホラー的な外觀の底に祕められた氏ならではの個性がハッキリと見えてくるような気がするのですが如何でしょう。
本作の怪異のブツはとにかくその粘膜質的な氣持ち惡さがキモで、「にゅるり」「じゅるり」といった擬音のグチョグチョぶりが猛烈な生理的嫌惡感を引き起こすとはいえ、いよいよ発狂フラグの立っていた登場人物の一人がにゅるりじゅるりとやられて真のキ印へと華麗な変貌を遂げた刹那に「ぎゅるぎゅると歓声の声を上げながらにゅるりにゅるりと這い出してきたのだ」と地の文にまで「ぎゅるり」と「にゅるり」を凝らしたところは明らかにやりすぎ(苦笑)。
しかし「にゅるり」に「ぎゅるぎゅる」に「ゲラゲラ」と何だか、この擬音のセンスにコガシン先生を想起してしまうのはいかんともしがたく(右図参照)、「虹色の童話」でジャーナリストがアレでアレするところが楳図チックなところとか、宇佐美氏ってもしかしたら少女時代に結構なホラー漫画を読んでいたんじゃないかなア、と勝手に妄想してしまうのでありました。
モダン・ホラーの外觀を持たせながらも、人間の情念と深淵暗黒を細やかな伏線の技巧をも驅使して描ききった一作で、「るんびにの子供」に見られた登場人物の心理の「ずれ」や「歪み」「捻れ」によって怪異を描き出すという宇佐美氏ならではの怪談的要素は希薄に感じられるものの、あえてモダン・ホラーの骨法に從いながら時間軸を超えた人間の情念を描ききった長編小説としては大きな収穫といえるのではないでしょうか。
思うに宇佐美氏の場合、「怪談」「ホラー」といったジャンルに縛られずに書いた方が伸びるような気がします。そういう意味では篠田氏にも近い資質をもったエンタメ文芸作家としての潜在能力は相当に高く、次作もまた怪談やホラーといった表層にとらわれず、のびのびと人間の暗い情念を活写してもらいたいと願う一方、この巧みな伏線の技法によって幻想ミステリを書いたらいったいどのような傑作が生まれるのかという期待も強く、ミステリファンとしては複雜な気持であったりするのですけども、――宇佐美氏の潜在能力をイッパイに感じることの出来る本作、処女作から氏の作品を追いかけているファンのみならず、モダン・ホラーや恩田的トンデモSFがツボな人、さらには初期の篠田氏の作品が懷かしいという本讀みの方などにも広くオススメしたいと思います。