傑作。上下卷でこのボリュームとあれば、さしずめここでの惹句は「圧倒的なスケールで描かれる」……みたいなものになるのがフツーながら、本作、実をいえば物語の舞台のスケールは案外チンマリしております。しかしこの宗教教団がまさに天国から地獄へと突き落とされる過程をここまで丁寧にネチっこく活写してみせるとともに、宗教を描きつつも決して聖俗のいずれにも転ばず、あくまでフラットな視点を維持しながら主人公たるダメ男の末路を描いていくという篠田氏の筆致はまさに神レベル。
上巻のほとんどを占めていた至福の時間に影がさすかのごとく、インドネシアで暴動が発生し、さらには大教団の生臭坊主にロックオンされてしまった主人公たちの末路やいかに、――というところから始まる下卷なのですけど、もう、このあとは坂道を転げ落ちるかのごとくヒドい展開になっていきます。
「ゴサインタン」の中盤で妻が神懸かりとなったあとのトンデモな奈落を彷彿とさせる鬼畜な展開に、ダメ人間たちの逸話を重層的に語っていくことで、篠田文学の中では一番激しい転落描写ではないかと思わせる壮絶な物語にもう頁を繰る手が止まりません。しかしやや意外だったのは、件のワル教祖が暴力を用いてでも主人公たちの教団を潰しにかかっていくのかと思っていたら、このあたりは前半でアッサリ収束して、「宗教は怖い」というよりは寧ろ「デビルマン」のように「一番怖いのはやはり人間、それも狂人」というふうに流れていく中盤以降の展開が一番怖い。
主人公が次第にメンヘラ女たちの狂気を制御出来なくなるととものに、外からは娘の奪還を名目に犯罪行為も厭わずとばかりにトンデモない行動へ出てくる家族会の集団的狂気の描写など、宗教を経済行為としてやっている主人公よりもアンチ神様を掲げてキ印めいた行動を次々と繰り出してくるフツーの人間の方がよほど過激。さらにはそうした狂気を反宗教のもとに正当化してしまうマスコミと一般人の視点も勿論しっりかと描かれており、そこに主人公である教祖の、元公務員的普通人の見方を加味することで、宗教礼賛とも反宗教にも転ばない絶妙のバランス感覚をシッカリと維持しながら終盤の狂気をドライブしていく筆致も秀逸です。
奈落へと堕ちていくなかで、ときに神仏の幻覚を垣間見る主人公が、ではそこで真の信仰へと転ぶかというと、決してそうした甘い結末へと流れないところが「ゴサインタン」「弥勒」といった大作を通過してきた篠田氏の迫力でもあり、また讀者を選ぶところでもあるような気がします。「ゴサインタン」のようなある種の明快なハッピーエンドを添えた幕引きではなく、後日談のようなかたちで、彼らの今後を暗示したこの結末をどう受け止めるのか、――個人的にはこのエンディングに、「弥勒」の幕引きを裏返すとともにそこからさらに一歩踏み込んでみせたような印象を持ちました。
しかしこの後日談的に纏められた幕引きなのですけど、版元が新潮社であることがステキな効果を上げていて、さらにはここへ元芥川賞作家のゲス野郎が手記を出した版元を対蹠させることでニヤニヤできるという、ちょっとした趣向も痛快です。
新たなる代表作の誕生、というかんじで超弩級の讀後感を体感できる本作、「ゴサインタン」「弥勒」が愉しめたファンであればマストといえるのではないでしょうか。オススメ、でしょう。