讀むものの魂に暗黒耽美の楔を打ち込む超絶短編集。最近の文庫では非常に薄い一冊で、収録作もそれぞれに短いものながら、とにかくその中身の「濃さ」が尋常ではない、――という皆川ワールドの凄まじさにアタって、これまた一冊を讀み終えた後は完全に放心状態。今回は全部で八編とボリュームを抑えていたから良かったものの、あと二編でも加わっていたらアブないところでありました。
収録作は、二階に棲む「幽霊」の存在に大戰の時代を重ねながら、虚無と悲哀極まる幻想世界が壯絶に過ぎる「空の色さえ」、戦中に妻を寢取られた男が、虚飾のリアルに鉄槌を下すラストが凄まじい表題作「蝶」、ダメ詩人との隱微な交流の記憶を辿る「艀」、少女たちの汚らしいプライドと陰湿ぶりが恐ろしい「想い出すなよ」、潤一郎乱歩的エロスを隱微な絵画的構図を用いて活写した傑作「妙に清らの」、幻と現のあわいを取り払ってまどろみシュールな物語が展開される「竜騎兵は近づけり」、奥樣を慕う女中の妖しい一人語り「幻燈」、出歯亀ボーイと凄艶女との心の交流が壯烈な幕引きを迎える「遺し文」の全八編。
解説で齊藤氏が引用している通り、「空の色さえ」の冒頭の文体からしてもう完全にブッ飛んでいるのですけど、果たして何処までが現実なのか妄想なのかを辿ることさえ許さない文体の凄さにまず注目。そして暗さを孕んだ語りに挿入される「時は樂しい五月です」という詩文の明るさがまた秀逸で、これは収録作のいずれにも感じられるところなのですけど、回想される過去からイッキに物語が現代へと引き寄せられた後の急展開とが素晴らしいコントラストとなって、讀後に餘韻を残すという結構も素晴らしい。
「蝶」もまた、戦中に妻を寢取られたという過去をもった男が主人公で、映画のロケにやってきたギョーカイ連中のノーテンキぶりが男の暗い狂氣に火をつけるという展開です。さりげなくアイドルの放尿など極上隱微のエロスを添えながら、男の狂氣が徐々に高まっていくさまがこれまた凄まじく、最後のハードな敍情でしめくくる幕引きも素晴らしい。
一番の好みは、「妙に清らの」で、眼帶をした叔父と、顏に醜い痘痕のある妻とのカップルを暗いまなざしで見つめる語り手の立ち位置がいい。看護婦との不貞行為や、最後の暗黒耽美のシーンなど、是非とも高橋葉介畫伯に漫画化してもらいたいという素晴らしさで潤一郎、乱歩といった暗いエロスのご所望のキワモノマニアは絶対に氣に入るであろう傑作でしょう。
エロさという点では、「幻燈」も鮮やかで、これまた戦中に仕えていた奥樣との隱微な関係が最高で、奥樣とのプレイのエロさが尋常ではない。また後半、イッキに糞ツマらない現実へのボヤきへと流れていくや、その対比に呪詛の言葉を叩きつける語り手の怨念が凄まじく、回想による過去と現在とのコントラストがもたらす超絶な餘韻という点では、最後に収録されている「遺し文」と雙璧をなす逸品です。
「遺し文」はピービンク・トムのボーイの覗き行為というストレートなエロが前面に出ているゆえ、暗さはさほど感じられないものの、こちらはかの大戰ならではの暗い過去が、ボーイの憧れである凄艶女に影をもたらしているという結構です。いつかボーイがトンでもない行為に及ぶのではないかとワクワクしていると、そうした出齒亀的期待を鮮やかに裏切って、凄絶な幕引きへを迎えます。そしてそこから一氣に時間軸を引き延ばし、最後の二行で「その後」のボーイの決意と悲哀の人生を鮮烈に描いてみせるという技法の素晴らしさ。
いずれも流し讀みを決して許さない硬質にして精緻を極めた文体ゆえ、最近の文庫では薄いといえど、ジックリ取りかかると結構時間がかかるもので、凄まじい文章の一字一句にドップリと浸かっていると必ずその甘美な毒にあたることは必定という、將に取り扱い注意の一冊。潤一郎乱歩系の暗いエロスと甘美な毒に酔いたい幻想小説の眷屬の方にこそオススメしたいと想います。