ジャケ帶には乾氏曰く、「どんでん返しの、信じられないほどの連続技。――最後の最後で読者は腰を抜かすことになる。」とあるのですけど、実際は「最後の最後」どころか、事件が発生してから腰を抜かしっぱなしという傑作です。
いかにも怪しげな、何かを隠していそうな登場人物たちの奇妙な振る舞いが織りなす犯罪構図が、彼らのたった一言によって鮮やかにその姿形を變えてしまうという、連城ミステリならではの仕掛けは誘拐事件が發生してから大展開。
親子の関係、犯人と被害者、さらには事件を追いかける警察をも卷きこんで、激しいどんでん返しが繰り出される結構で、短編小説であれば終盤に鮮やかなキレを見せるであろう仕掛けやフックを前半から惜しげもなく炸裂させていくという濃密な展開が、人によっては好みの分かれるところカモしれません。
前半は誘拐事件の被害者となる息子の母親を中心にして事件は描かれていくのですけど、何しろ離婚した後に子供を引き取ったこのママも實をいえば相当の怪しさでありまして、連城ミステリの登場人物の法則として何かを隠しているのはもう明らか。実際にある重大な秘密を警察にも明かさず、いよいよ身代金引き渡しの直前までそれを隱し仰せてしまう譯ですけど、面白いのは、事件が収束した後半、このママが明かしたある事實を中心に事件の真相が解き明かされていくものかと思っていると、後半にはやや意外な人物に焦點が当てられて「犯人」とその操りの背景が語られていきます。
異樣なかたちで始まる誘拐事件から、身代金の引き渡しまでをサスペンスフルに描ききった前半部と、この人物の半生も絡めて落ち着いた筆致で意外な真相が明らかにされていく後半との風格の違いにも注目で、連城ミステリならではの敍情を効かせた筆致によって妖しくもステキな真犯人の姿が活写されていく後半と、そうした耽美敍情の情景を廢してスピード感を交えつつ事件の構図を登場人物の一言によってまったく異なったものへと變えていく手際の素晴らしさが光る前半、――「花葬」シリーズなどを典型として、一般的にイメージされる連城ミステリの風格際だつ後半も味わい深いのですけど、前半の強引ともいえるどんでん返しの人工的な美しさも個人的にはかなりツボでありました。
よくよく讀み返してみると、このどんでん返しには、まず讀者の意識の先讀みがあって、それらを巧みに誤導しつつ、隠しておいたあるひとつの事實によって反轉させてしまうという非常にシンプルな技巧です。しかし相対する登場人物たちの系図にそうした誤導の種を複数交差させることによってトンデモもない一大絵圖へと仕上げてしまう連城氏ならではの強引技がここでは素晴らしい効果をあげています。
連城氏をリスペクトし、同じく登場人物の心理のみならず讀者の心のうちまでを見透かした誤導技を繰り出すことによって超絶な物語を紡ぎ出す道尾ミステリの、――例えば「カラスの親指」などと比較すると、本作には寧ろ乾氏の惹句にあるような「最後の最後」へのこだわりはやや稀薄で、そういう意味ではラストの「最後で最大の事件」という章の内容には賛否両論があるカモしれません。
実際の誘拐事件とそこから現出する仕掛けの全ては「罪な造花」で綺麗に完結しており、「最後で最大の……」で語られる物語はいわば、ボーナストラック的な番外編のようなものではあるのですけど、個人的にはこの「蜜」という言葉に絡めたラストシーンは結構好みで、本編で美しく構築された犯罪絵圖を効かした遊び心が感じられる「最後で最大の事件」の章には、何となくなんですけど、泡坂ミステリ的な風格が感じられるような気がするのですが如何でしょう。
乾氏の惹句が添えられたジャケ帶の裏には「造花の蜜はどんな妖しい香りを放つのだろうか……」という言葉とともに本文からの抜粋が掲載されていて、この部分だけを讀むと「暗色コメディ」的な異樣ささえ感じられるところもなかなかのもので、「蜜」、「蜂」、「造花」という三つの言葉の象徴によって描かれる人工的な物語は、謎解きを基調とした本格風味こそやや薄味とはいえ、事件の様相を一つの事實の開示によって鮮やかに反轉させるどんでん返しの仕掛けに注力した物語はやはり本格ミステリのソレ。
さらにはそこから人間ドラマを現出させる魔術的な手さばきの素晴らさと、前後半でコントラストを凝らした物語の結構も含めて、濃密な騙しの技巧に醉いしれたい逸品といえるのではないでしょうか。連城ミステリのファンは勿論のこと、個人的には作者に「操られる」快感を堪能したい道尾ミステリの若い讀者にも強くオススメしたいと思います。