一昨日「見えない人影」を讀み終えてすっかり萎えてしまった自分だけども、さてこの短編はどんなものでしょうか。
氷川透氏は自分のサイトで「結構自信作ですよ」といっているくらいなので、これは期待して良いでしょう、ということで讀み始めたんですけど、
……うーん、ちょっと、微妙。
いや、つまらないという意味じゃなくて。
新機軸であることは確かなんですけども、氷川透という作家に求めていたものではなかったので、かなり當惑しています。
だって物語の舞台が、今までの氷川透という作家が生み出してきた作品とはまったく異なるんですよ。
まず登場人物の名前からしてみんなカタカナですからねえ。ミリューとかマーシャとか。辛うじて語り手である「ぼく」はシローという日本人っぽい名前なんですけど、讀み進めていくうちにどうやら舞台は日本ではないらしいことが分かります。
そしてこの物語、冒頭の文章が「雪が、降り続いている。みずいろの雪だ。いや、何と表現していいのか、実のところはよく分からない」っていうかんじなんですけども、これ、譬喩じゃなくて、本當にみずいろの雪が降っているような場所が舞台なんですよ。
化石の盗難事件を論理的に推理していくのですが、実は物語のキモはそこにはなくて、語り手である「ぼく」が出会う人間すべてに「あなたはきのう死んだんじゃなかったのか?」といわれるところにあって、「何故、皆は自分のことを昨日死んだと思っているのか? そしていま自分に何が起こっているのか」というところ。
何か井上夢人とか竹本健治が書きそうな設定ですよね? しかしさらに讀み進めていくうちにこの小説の舞台があきらかになり、「えっ?これってもしかして氷川センセ、リスペクト・P.K.ディックですか?」ということが分かります。氷川氏の小説にはおなじみのとぼけたユーモアもなく、ずうっとシリアスなまま物語は進み、最後に謎めいたタイトルの意味があきらかになるという趣向。
個人的には最後になってタイトルの意味をあきらかにする為に、ロジックを使っているところがちょっと面白かった、……ってよく考えてみると、これって田中啓文が最後に駄洒落でオトすのと同じ、……ですよね?
何かいくつかの素材を未消化のまま物語に纏めてしまったような印象があって、ちょっと氷川透の小説らしくない。ただ、自分の好みかといわれれば好みですよ。それでも氷川透ファンの人すべてに受け入れられるかはちょっと、というか激しく微妙です。
ええ、「あす死んだ人」ってそういう話なんですか・・・確かに氷川さんっぽくないですね。各務原氏シリーズといい、最近「らしくない」作品が目立ちますけど、芸風を広げようとしていろいろ試しているんでしょうかね。
ミステリ好きの人は讀まなくても良いようなかんじなんです。
自分が氷川透に求めているものって、「ドジな女の子と探偵のトボけた會話、議論」「執拗な論理」「ユーモアを含んだ軽妙で洒脱な物語」、……ってなものなんですけど、この短編にはそれらがゴッソリ拔けているんです。
氷川透という名前がついていなければ惡くない出來だとは思うんですけど、それでも今回の短編は氷川氏が藝風を拡げていく課程での習作だと感じています。