「赫い月照」の感想をいつかちゃんと書く、と宣言したものの、どうにもうまく書くことことが出來なくてズルズルと數週間も經ってしまいました。この作品、考えれば考えるほど、色々な論點が浮かび上がってくるという厄介な代物でして、……この際自分の考えを語るというよりは、他人がこの作品に対してどんなことをいっているのかを覗いてみて、いわばそれを叩き臺にして自分の意見を纏めてみようと考えた次第です(誰かプロの人で、この作品の詳細な論評をしてくれないものか)。
で、他人の意見というと、一番良いサンプルはやっぱり本格ミステリ大賞の選評だと思うのであります。何でこの本格ミステリ大賞の選評にこうまでこだわっているのかというと、本作は勿論のこと、有栖川氏の「スイス時計の謎」に關して書かれている選評の多くが自分の感想と違うものが多かったから。
「他人と意見が違うのって、そりゃ當たり前じゃないの。別にいいじゃん」という考えも勿論あるでしょうけども、やはり本を購入する際にはその他人の意見を參考にする機会も少なくない譯で、いうなれば「世間の評価」と「自分の価値基準」とのズレを把握しておくことは、地雷を踐まない(要するにハズレ本を引かない)という意味でも重要なことなのではないかなと。
で、本作に対する作家評論家の方々の感想をざっと讀みかえしてみると、否定的な意見のあらかたはやはり現実の事件を取り上げたというところが引っかかっているのようでして、一番辛辣なのが、以下に引用する川出正樹氏の文章で、
これほど思いこみ過剰な眼高手低作品も珍しい。酒鬼薔薇事件を描くのに、なぜ謎解きミステリという形式にこだわったのかを、納得させるだけの論理展開もない上に、陳腐なトリックと来ては。これではかつて蔓延した社会派のエピゴーネンと同じではないか。
うわあ、何か凄いいわれようです。でもこの氏の文章は本作対する否定的意見を的確に纏めてくれているようにも思うのですよ。
曰わく「何故酒鬼薔薇事件をネタして書くのかサッパリ理解出來ない。社会派を気どるな、ゴルァ」、曰わく「トリックが陳腐すぎ。ツマんないトリックも數うちゃ當たるってもんじゃないんだよ。本格ミステリってもんは。バカタレ!」。
確かにその通りなんですよ。特に後者のトリックに対する批判はもう、反論する余地もございまんせんとも、ええ。……しかしですね、前者の批判こそここでようく考えてみなければいけないところだと思うのです。このあたりの、何ともモヤモヤとした気持を的確に文章に纏めてくれたのが斎藤肇氏で、
……以上を踏まえ、本格の可能性ではなく本格の不可能性を示した『赫い月照』に一票を投じる。現実の記号性と虚構の記号性の問題を考えるきっかけになる作品かもしれない。
讀み間違えているかもしれないけど、ここで氏が述べている「本格の不可能性」という言葉。ここに本書を論じる上でのエッセンスがすべて詰まっているのではないでしょうか。つまり、
「本格ミステリで現実の事件を取り上げ、フィクションが現実を超克することが出來るのか否や」
という問いに対してこの作品は挑んでみたものの、「狂った現実の事件に対して向き合えば向き合うほど、小説としての體裁を缺いてしまう。同時に現実世界からの反撃(批判)を受けてしまう」のではないか。
思うに「何で酒鬼薔薇事件を取り上げるんじゃ、ゴルァ」という批判は、「トリックが陳腐」という類の批判とはちょっと種類というか次元が違うように思うのですよ。果たしてこのような批判が「本格ミステリ」としての価値を判定する際に必要なものなのかどうか、ということを考えてみれば何となく自分の感じていることを分かってもらえるかどうか……。現実の事件を取り上げる以上、そのような批判は勿論受けて当然。しかしそのような批判を受けてしまうこと自體、本書を本格ミステリとして讀ませることを拒絶する方向に持っていってしまう。だとすれば果たして現実の事件を題材にして本格ミステリを書くということは可能なのかどうか、……と、この議論は振りだしに戻ってしまうのです。ここまできて自分の思考は頭のなかで限りなく堂々回りを繰り返すばかりでいっこうに結論を導き出すことが出來ないのです。
自分は馬鹿で、ミステリが好きなわりには論理的思考ってやつが苦手なもので、……このあたりを氷川透あたりがうまく纏めて文章にしてくれませんかねえ。
見えない人影については充分自分のところで語ったので(汗)、こちらにコメントさせていただきます。僕は谺健二さんは「未明の悪夢」しか読んでいない悪い読者ですが、そのときに感じた印象があります。
“デビュー作で阪神大震災をネタにしてしまったこの人は、次の作品で「普通の」ミステリを書いてしまったら、「震災のことはもう忘れたのか」といわれてしまうだろう。それを避けるために震災のことを書き続けるしかないのではないか”
今は、また他の事件を取り上げるという形で戦っているんですね。ちょっと気軽には読めそうもありませんが・・・。僕も上手く言葉にできませんが、taipeimonochromeさんが書かれていること、本格ミステリの周辺に生きる人間にとって(書き手にしろ読み手にしろ)避けて通れない問題なのかもしれないですね。
take_14さん、こんにちは。
何でこの小説がここまで氣になるのか、自分でもうまく説明が出來ないんです。勿論、ここでも書いた通り、自分が感じた内容と、世間(本格ミステリ作家クラブというプロの方々)の評価との乖離がその理由のひとつではあるのだけども、何かもっとの根元的な問題を自分に突きつけているような氣がしてならないんですよ。それでこの感覚って、「虚無への供物」を讀んで受けた衝撃と凄く似ているのです、個人的には。
更に厄介なことに、ここでいう根元的な問題というのがいったい何なのか自分でもよく分かっていないところが困ったところでして、問題が分からなければ解答も出來ないですよねえ。という譯で、暫くこの作品は頭を離れそうもありません。まったく本當に惱ましい作品です。