第六回台湾推理作家協會奨受賞作。昨年までの人狼城推理文学奨を引き繼いでの賞ゆえ、第六回ということになる譯ですけども、台湾推理作家協會という名を冠しての賞という點では台湾ミステリ史上でも非常に意味のある第一作、ということになるかもしれません。
物語は、黒焦げのポルシェの中から上半身をコンガリ焼かれた男の死体が發見されるものの、その人物はこの車の持ち主ではなく日本人の樣子。死体の傷口や、車の中から發見された奇妙なブツの眞意を巡って、刑事の地道な聞き込み捜査が行われるうち、心臓病の研究なども交えた事件の背後関係が明らかにされていき、――という話。
感想はというと、……個人的にはかなり微妙でありまして、昨年までの人狼城推理文学奨時代の、古典から日本の新本格までの影響を濃厚に感じさせた風格から一轉して、事件の構図やその動機、さらには推理の過程よりも刑事の視點からの聞き込み捜査を中心に物語を描き出していくその結構など、日本のミステリでいうと新本格以前というか、火サス的な印象が濃厚なところが個人的にはかなり意外。
日本人が絡んでいて、それがまた動機にも非常に強く結びついているあたりも、火サス的な印象を強めているような気がしないでもないのですけど、たとえば昨年の入賞、受賞作に感じられた新本格以降の現代ミステリにおける「過剰」「先鋭」といった風格が本作には稀薄なところがある意味、大變な驚きでありました。
例えば秀霖氏の「第九種結局」は「過剰」「先鋭」の典型ともいえる作品で、推理の過程を物語の骨格に据えることで、二転三転する「眞相」が最後には事件の樣態そのものを宙吊りにしてしまう特異な結構や、さらには寵物先生の「犯罪紅線」における、「語り」を重心においた仕掛けなど、これらは日本の現代ミステリと台湾ミステリが地続きであることを十二分に感じさせた力作でありました。
そうした新本格以降の日本の現代ミステリや、その影響を受けたと公言している人狼城推理文学奨出身の作家の作品に感じられる、本格ミステリという物語の構造とその技法を意識した人工美が本作には稀薄です。
「語り」の技巧によって讀者を誤導する冷言氏や寵物先生、また事件の樣態に精緻な人工性を感じさせる林斯諺の作品など、それら日本の現代本格にも通じる先鋭性とは一線を画し、火サス的な捜査のプロセスそのものによって物語を轉がしていく風格は、人狼城推理文学奨出身の作家の作品を中心に台湾ミステリを追いかけていた自分にとってはかなり吃驚、というか、――そもそもが台湾ミステリを日本の現代ミステリに比較して「遅れている」という認識を持っている台湾ミステリ界では、本作のような作品もごくごくフツーに受け止められるのでしょうけども、そういった認識とはやや異なる自分としては本作の台湾ミステリ史における「意義」というものについて、ここで色々と考えたくなってしまうのでありました。
日本の現代本格に追いつけ追い越せという意識で、日本の新本格以降の作品に濃厚な「過剰」「先鋭」といった風格とは異なる本作の出現を、「過剰」と「先鋭」という一邊倒のベクトルのみに進もうとする台湾ミステリの「平準化」の現れとして評價すべきなのか、或いは、――と、ここで本作に表現されている捜査の描寫や火サス的な動機と眞相開示など、その詳細について色々と分析してみようと思ったのですけど、その一方、そもそも本作は本格ミステリ的な技巧や技法から讀み解くべき物語ではないような気がしてきたのでこれくらいにしておきます。