何だか文春文庫の「イニシエーション・ラブ」を相當に意識しているとおぼしきジャケがちょっとアレな乾氏の最新刊。収録作は、コロシを絡めた人格轉意の定番ネタからトンデモない展開を引き出していく怪作「マリオネット症候群」、巨乳娘にモジモジ君という、これまた漫畫チックな定番の登場人物たちに、暗號小説めいた結構の背後に見え隱れする伏線と操りの技巧が炸裂する「クラリネット症候群」の二編。
「マリオネット症候群」は、目が覚めたら何だか違う體に乘りうつっていて、――という定番の設定を「裏」から描き出している設定がまず秀逸で、乘り移った方ではなく、乘り移られ、體の自由を奪われてしまった娘っ子を語りにして物語が進みます。
この一切の自由を奪われてしまった娘っ子の視點から、いったい自分に何が起こったのか、というよりも、自分に乘り移ってきた人物に何があったのか、というところを推理していく展開で、ほどなくして乘り移ってきた人物が自分の憬れてきた先輩であったことが明らかになるや、どうやら彼は毒入りのチョコを食べて死んでしまったという。
果たしてその犯人は、――という謎を讀者の前に提示してそこから本格ミステリ的な犯人捜しに流れていくのかと思わせつつ、中盤ではこの犯人をアッサリと明かして、乘り移りの設定を使った惡乗りが炸裂、乾氏らしい違和感のある男女の機微や戀愛観を添えつつ描かれる物語は特にその後半、ブラックな味付けを施した展開で見せてくれます。
こういった人格轉意もので、さらに本作の場合、乘り移ってきた人物が憧れの先輩で、何者かに殺されていた、というお話であれば、先輩の意識が最後にどのような落としどころを見つけるのか、というあたりを讀者としては当然期待してしまうのですけど、後半の展開はそうしたある程度は予想される落としどころを、ある意味完全に放擲したようにも見える惡乗りぶりで、ニヤニヤ笑いが止まりません。
これらの後半の伏線ともいえる、娘の家族の、娘も知らなかったある秘密が明かされていくところからして乾氏のたくらみは相當のもので、上に述べた人格轉意ものの落としどころや、本格ミステリ的な犯人搜しを期待させつつ、それらを早い段階で脱臼させてトンデモな展開へと雪崩れ込んでいくところなど、人格轉意ものという定番的な結構だからこそ、讀者の思考を先讀みしての惡乗りめいた展開が生きてくるという戰略もまた見事。
「クラリネット症候群」は、そうした戰略を本格ミステリ的な文脈でも受け入れることの出來る一作で、暗號小説の体裁を備えながらも、物語は本筋はその暗號がつくられるにいたった背景と、その裏で進行しているある事態を操りに託して描き出しているところが見所でしょう。
エッチなことで頭がイッパイのボーイを語り手にして事件の探偵役に据えている設定も、この裏で操りを仕掛けていた「犯人」像を隱蔽するために效果を発揮していて、このあたりの考え拔かれた設定の妙も乾ミステリらしい素晴らしさなら、さらには前半にさりげなく描かれていたさまざまなことが、この「犯人」の開示によって伏線であったことが明かされていく仕掛けなど、派手さこそないものの、ミステリ好きとしては非常に滿足出來る一編でしょう。
で、上に「マリオネット症候群」について述べたところで、「乾氏らしい違和感のある男女の機微や戀愛観」と書いてみたものの、今回讀んでみて、「イニシエーション・ラブ」や「リピート」にも通じるアレっぽい男女感の「違和感」も石持ミステリを通過した後ではそれほどヘンなものとして感じていない自分にチと吃驚、――というか、石持ミステリの場合、戀愛観のみならず、それよりも根の深いところで大きいところでは倫理観や、またディテールではリーマンとしての日常のちょっとした行動など、フツーの讀者であれば相當に違和感を持つであろう人間像やエピソードに、「感動」という甘い毒をまぶして一編の物語に仕立ててしまうという周到さゆえ、本作で描かれている男女の戀愛關係など、石持ミステリの劇藥ぶりに比較すればまだ「こちら」側の出來事として受け入れてしまえる人が殆どではないかと思うのですが如何でしょう。
しかしジャケのデザインといい、あらすじでは「『イニシエーション・ラブ』『リピート』で大ブレイクの著者が贈る」という徳間の惹句はチとやりすぎ。とはいえ、個人的にはこの物語に「恋愛変格ミステリ」というふうに、「変格」という言葉を添えた企図について色々なことを考えてしまうのでありました。