表題作の長編「飛騨の怪談」のほか、名作怪談「木曽の旅人」の戯曲版「影」に怪談実話集として「木曽の怪物」、「お住の霊」、「河童小僧」、「池袋の怪」、「画工と幽霊」を収録した一冊。
「飛騨の怪談」は「怪談」とあるものの、実際は国枝伝奇浪漫を彷彿とさせる破天荒な物語で、個人的にはかなり愉しむことが出來ました。ジャケ帯にある惹句「怪奇ラブロマンスにして仰天のUMA伝奇小説!?」という言葉に偽りはなく、さらにここへ殺人事件、秘境冒険譚的な要素までをゴージャスにブチ込んだ一編とあればもう、面白くない筈がありません。
若主人と戀人、さらには彼女の兄イを普通世界の住人に、そしてその一族と因縁のある、猿とも人間ともつかない異形のものと蛇女のあいだに生まれた純情野人を軸に、物語は展開されていくのですけど、この対立構図に極上のロマンスの風味を添えているのが、東京からド田舎に流れてきた飲み屋の姐さんで、若主人に野人、そしてこの姐さんからなる歪な三角関係が後半、トンデモな事態を引き起こしていく流れも本作の魅力のひとつでしょう。
その店では一番人気の姐さんは、戀人の兄イに連れられてやってきた件の若主人に一目惚れ、なりふり構わずにあからさまなモーションを仕掛けてみるものの、迫れば迫るほど女は件の若主人に嫌われてしまう始末。しかし實はそんな情熱的な彼女をネチっこい眼差しで見つめているマザコン男の影があって、こいつは頭のネジが外れているキ印のママにあの娘が欲しいと駄々をこねる。可愛い息子の願いをかなえてあげようと、ママは女を攫ってきて、――と、こんな具合に前半の展開を纏めてしまうと、何だかこの飲み屋の姐さんが大変な目に遭いそうな雰囲気が出てきてしまうのですけど、実際はこの姐さんも相当にお侠で、マザコン男も純情を絵に描いたようなモジモジ君ですから、彼女を無理矢理手込めにかけるような鬼畜の展開には至りません。
その昔は結構な美人ながら村では蛇女とか陰口をたたかれていたキ印のママには同情してしまうものの、飲み屋の姐さんを拐かし、アンタは私の息子の嫁になるんだ、と迫るシーンが個人的にはツボで、そもそもが突然、こんなマザコンの野人の嫁になれと言われても「誰がこんな奴の嫁になるものか」と考えるのが常識ながら、息子が可愛くて仕方がないキ印ママは、その理由を彼女が若主人に片思いであるからだろうとまくしたて、さらに、
「はは、判った。お前はあの市郎に惚れているのだろう。無効(だめ)だからお止しよ。先方(むこう)じゃアお前を嫌い抜いているのだから……。」
「嫌われていても可(よ)ござんすよ。」と、お葉は屹と顔を上げた。
「嫌われていても思いを通すというかえ。それは道理(もっとも)だ。が、お前が市郎に嫌われても、自分の思いを通そうと云うのと同じ訳で、重太郎も幾らお前に嫌われていても、必然(きっと)自分の思いを通すよ。然(そ)う思ってお存(いで)」
しかし姐さんも負けてはいないもので、ここから逃げ出すためにいったんは嫁になるとか嘘をついてその場をかわした後、連中がいないのを見計らって逃げ出したものの、マザコン野人に追いつかれると、キ印ママに負けじとばかりの超絶論理を披露、
「お葉さん、何故逃げるんだ。お前は俺の女房になるという約束じゃアないか。」
「馬鹿にしてるよ。」とお葉は蒼い顔を瞋(いか)らして、眼を吊上げた。
「だって、昨夕(ゆうべ)約束したじゃアないか。」
「知らないよ。昨夕は昨夕、今日は今日さ。昨夕は雨が降っても、今日はお天気になるじゃアないか。」
「じゃア、俺の女房にはならないのか。」
「知れたことさ。」
お葉は罵るように答えた。
軽妙なユーモアを交えた會話も巧みなら各の人物造詣も見事で、若主人、姐さん、そして純情野人とそれぞれに視点の比重を均等に配しながら、しっかりと彼らの内心を語ってみせるところで、恋愛物語としての深みが増しているところも素晴らしい。
破天荒な伝奇的要素にラブロマンス、冒険譚と様々な要素をブチ込みながらも、全編を落ち着いた筆致で描き出しているところが国枝伝奇浪漫との大きな違いでしょうか。また人物配置に關しても、恐らくこれが国枝ワールドだったら最後まで物語をトンでもない方向に牽引していくであろうキ印ママのお杉婆が途中で退場してしまったりするんですけど、後半に流れるにつれ、お侠な姐さんも野人の純情さに打たれて心を通わせる端緒を・拙んだりとラブロマンスとしての風格が際だってきます。
またこの物語が終わったあとに、件のUMAに關しての真相が明かされるところは予想もしていなかっただけに吃驚で、前半で冒険譚としての側面を牽引していた若主人を後景に退かせ、後半に姐さんと野人との心の交流をシッカリと描き出しているからこそ、破天荒な伝奇物語がこの真相によって地に足の着いた人間たちの物語へと転じるという悲しい余韻を残した幕引きが効果をあげているところも秀逸です。
その他、「木曽の旅人」の戯曲版である「影」では、黒い犬と一緒にやってくる猟師が姐さんに變更されていたりはするものの、物語の展開は「木曽の旅人」の流れを踏襲しています。ただ戯曲という様式ゆえか、巧みな語りによって次第次第に怖くなっていくという雰囲気はやや薄め、それでもタイトル通りに、旅人の「影」の不可解さを生かしつつ、姐さんがその恐ろしさを「なにしろトテモ凄い」と形容してみせるあたりに怪談らしい技巧のうまさが光ります。
「飛騨の怪談」のみでも例えば国枝伝奇浪漫のファンであれば大いに買いの一冊、といえるのではないでしょうか。正直、「飛騨の怪談」の濃密ぶりにもうこれだけでお腹イッパイでありました(爆)。