まずもってこの怪談ブームのご時世に幻想小説として賣りだそうという心意氣が素晴らしい。ホラーが失速しているとはいえ、緩急の激しい展開で讀ませる小説が今フウであることを考えると、本作のような鷹揚な趣向の小説はいったいにどのようにしてその魅力を伝えていくべきなのか自分としても戸惑ってしまうのですけど、個人的にはこの靜的な幻視とユーモアも交えた物語を大いに愉しむことが出來ました。
ノッケから燃えさかる炎の中でヴァイオリンを奏でる少年と人魚の図、という幻想的なシーンから引き込まれてしまうのですけど、幻想小説とはいえそこはホラーを通過してきた作品でありますから、登場人物達が語りの場として集うことになる玩具館の奇矯な主人がゾンビマニアでさりげなくそのテのネタを開陳したりといったお遊びも交えてあるあたりはご愛敬。
基本的には、神隱しにあった女性の過去の記憶と天才少年との關係、さらには人魚に絡めて奇妙な因習を隱し持つ村の存在を大きな謎として物語は進みます。そこにフィールドワークに夢中のパパと狂信的な基督教徒のママや謎めいた人物の存在などを添えて、玩具館の主人とその妹たちの介入によって、次第にそれぞれが一つの線へと繋がっていくのだか、――という話。
何よりも物語の中心軸を敢えて曖昧にしたまま、幼少時の記憶に導かれるように奇妙な出來事へと卷きこまれていく女性や、玩具館の主人と妹たちの視点から物語となるべきさまざまな事柄が語られていくという結構でありますから、物語の中に登場する事柄の連關を思い描きながらの「讀み」を行うという本作の樣式は、ストレートで直情的な現代ホラーの語りに慣れている讀み手にとってはいささか辛いカモ、という気がしないでもありません。
茶目っ氣のある玩具館の主人は、人魚やヴァイオリン、謎めいた村の因習といった幻想小説的な風格の中ではかなり浮いているような印象を持ってしまうものの、その実、物語が進むにつれ、彼が夢中になっているゾンビはやがて人魚の不老不死と連關し、さらにはヴァイオリンの音色はその弦の調べによって人魚の聲帶と対照させられ、――というふうに一見バラバラに見えていた事柄が中盤から次第に結びついていくところは見事ながら、讀みすすめていくうちに何だか妙に初期のクラニーの小説を思い出してしまったのは自分だけでしょうか(爆)。
ジャケ帶のあらすじには「不気味な出来事が降りかかる」とかいうふうに、ややホラーに寄りかかった表現が見られるものの、怖さよりは靜的な雰圍氣と絶妙なユーモアが際だった作風で、何とも表現が難しい作品です。難解さは皆無で、文章も間接的でありながら非常に讀みやすく、また絶妙な風味でユーモアが添えられているところもこれまたクラニー的で、――というかんじなので、個人的にはクラニーファンにオススメ、でしょう。
派手さはないものの、今時怪談にもホラーにも流れずに、不可思議にたいしてこのような距離感で物語を紡ぎ出すことが出來る作家は非常に貴重だと思うので、個人的には次作も期待してしまいます。繰り返しになりますが、ホラーでも怪談でもない小説をこのご時世にいかにしてアピールしていけば良いのか、そのあたりを考えながら、本作の評判を見守っていきたいと思います。