傑作。牧薩次っていっても知らない人はマッタク聞いたこともない新進作家の名前かと勘違いしてしまうかもしれません。ジャケ帯に曰く、「推理作家協会賞受賞の「トリックの名手」T・Mがあえて別名義で書き下ろした究極の恋愛小説+本格ミステリ1000枚」とあって本格ミステリ作家の別名義とはいえ、この名前じたいはこの作家の作品を讀んでいる人にはバレバレだし、あとがきにもシッカリと名前が触れられているので、敢えてここで隠す必要もないかとは思うのですけど、一応ここでは「御大」ということにして話を進めます。
御大といえばメタミス、というイメージがあるゆえ、別名義とはいっても例によって例のトリックが最後に大開陳される結構で、物語の途中にはお爺さんテイストも賑やかにニャロメとかチェシャ猫とか逮捕するー!みたいな漫画ネタの大盤振る舞いが展開されるのかと思いきや、ジャケ帯にもある恋愛小説、――というか、戦後から現代にかけての何十年もの間に起こった三つの不可能犯罪を一人の男の生き様に託して描き出した、大河小説のような風格でありまして、確かに飄々とした軽さは残してはあるものの、物語全体はあくまでシリアスに進みます。
本格ミステリとしてのネタをジャケ帯の惹句から引用すると、
昭和20年……アメリカ兵を刺し殺した凶器は忽然と消失した。
昭和43年……ナイフは2300キロの時空を飛んで少女の胸を貫く。
昭和62年……「彼」は同時に二カ所に出現した。
平成19年……そして、最後に名探偵が登場する。
これらの不可能犯罪に絡んでいるのが洋画界の巨星といわれる一人の男でありまして、前半はこの男の視点から戦後のメリケン殺しが、そして中盤からは彼の弟子の視点から見たこの男の生き様と、運命に翻弄される人物たちが大河小説のような雄大な形式で描かれて行きます。
本格ミステリとしてもっとも強烈な謎が昭和43年の「ナイフは2300キロの時空を飛んで少女の胸を貫く」というものでありまして、実況中継で殺人予告をした人物がその場でダイナマイトを爆発させ、雪崩を起こしてご臨終、雪崩の現場から男の死体は発見されたものの、殺人予告で凶器として使用すると宣言したブツは見つからない。後日、遠く離れた南の島にこしらえたかまくらの中で野郎の予告通りに件のブツによって女が刺殺される、というものです。
野郎の宣言に従えば、犯人は雪崩現場から一歩も出ることは出來ないし、そもそもあの世に逝ってしまっている譯ですからどう考えても南の島に一飛びしてのコロシは不可能。この「地上最大の密室」へさらにかまくらの中、という小さな密室の二段構えに果たして凶行はいかにして行われたのか――。
凶器を絡めたハウダニットが眼目かと思わせつつ、最後に明らかにされる眞相は相当に強烈で、さながら連城ミステリのような狂氣の論理が炸裂する凄まじいもの。トリックもさることながら、個人的には本作の大きなモチーフとなっている愛によって達成された壮絶な「犯行」と、その眞相を受け入れながらあることを成し遂げた人物の思いが最後の推理によって明らかにされるという結構が素晴らしい。
東京から田舎にやってきたボーイや、彼がホの字だった娘っ子が戦後という時代に翻弄されていくさまが、いつもの軽さをそなえた御大らしくない、シッカリと軸足を据えた筆致で描かれていきます。確かに中盤、いつもの漫画ネタをさりげなく披露したりはするものの、基本は大河小説的な重厚さでありまして、そこにジャケ帯にも書かれている、
他者にその存在さえ知られない罪を
完全犯罪と呼ぶ
では
他者にその存在さえ知られない恋は
完全恋愛と呼ばれるべきか?
という言葉にもある通り、本作では「恋愛」がそれぞれの犯罪の重要なモチーフとなっており、そこへ昭和という時代の流れも交えながら登場人物たちの運命が展開されていきます。
敗戦によって非業を受け入れることになる影のあるヒロインの因果を、この娘っ子にひたすら純愛を貫こうとする主人公のボーイの視点から描いた第一の犯罪は存外にアッサリと解かれるものの、この本格ミステリの結構としての「謎――解決」という展開が最後の最後で明らかにされる「完全恋愛」の眞相を覆い隠してしまっているという構成も見事で、「完全恋愛」というモチーフの主体が最終の眞相開示によって見事に入れ替わり、そこから隠された本当の「愛」と、この三つの事件を軸にした大河小説的な物語の外で語られていなかったある人物の姿が表に出てくるという仕掛けの素晴らしさには完全にノックアウト。
第三の事件の犯人は明らかで、その人物のアリバイ崩しがキモとなる譯ですが、ここで昭和の大事件を絡めてトンデモな眞相を開示してみせるというゴージャスさにも注目で、ここで「探偵役」を担う人物と犯人との關係が、「完全恋愛」の主体が反轉した刹那によりいっそうの重みをもって迫ってくるという仕掛けも巧みです。
さらにはここへ名前に絡めた極上の伏線を張りながら、幕引きの直前にある人物が「死力をふりしぼって」その名をつぶやくシーンをクライマックスにもってくることで、「他者にその存在さえ知られない恋」に無常と悲哀をもたせた幕引きを描き出したところなど、まさに「泣ける」恋愛小説としても愉しめるという逸品です。
個人的には「これ、絶対に御大の最高傑作だよね!」と声を大にして叫びたいところなのですけど、御大が別名義で出していること、さらには出版社がおおよそ本格ミステリとは縁の遠そうなマガジンハウスということもあって、本格ミステリ界隈では殆ど話題にものぼらずに終わってしまうのではないか、とただもう、それだけが心配ですよ。
網の目のように交差させた怒濤のミスディレクションという本格ミステリ的な仕掛けによって人間の悲哀と慟哭を描き出した道尾氏の「ラットマン」とはまた違った意味で、本作は「壮絶な愛」を描き出した本格ミステリの傑作といえるのではないでしょうか。オススメ、でしょう。