先日讀んだ曽根圭介の「鼻」の解説で大森望氏が本作を挙げていたところ、内容をスッカリ忘れてしまっていたので、本棚の奧から引っ張り出してきてみました。自分が持っているのは杉本畫伯のジャケ畫が素晴らし過ぎる角川文庫版で、収録作は、平凡で幸福な人生を満喫している男に忍び寄る狂氣が地獄を喚起する「夢の底から来た男」、ヒョンなことから奇妙な超能力に覺醒した男の半生をユーモアと悲哀を込めて描き出した秀作「錯覚屋繁昌記」、乱開発が進むド田舍を訪れた野郎たちが怪奇小説では定番のアレに襲われる「血霊」、ナル男の妄執が彼の死後トンデモな事態を引き起こす「自恋魔」、そしていかにも氏らしい通俗小説的な技法で奇妙な超能力を手に入れた男の青春を回顧する傑作「わが青春のE.S.P」の全五編。
表題作は、最初はごくごくフツーの会社でフツーに働いている男の日常が淡々と描かれていくのですけど、件の人物はどうやら夜毎惡い夢に魘されている樣子。さらには男の身の回りには奇妙なことがチラリチラリと起こり出して、――という話。「鼻」では、二つのパートが平行して描かれいき、その二つが交差した刹那に虚實が反転するという仕掛けが秀逸だった譯ですけど、本作にはこのような仕掛けはありません。
ある種、正當派ともいえる調子で描かれていく男の日常が次第に狂っていくというイヤ感が個人的にはツボで、夢に出てきた男がいよいよリアルで姿を見せるあたりから物語が加速していき、そこから意想外な事實が明かされていくという後半の展開に、ようやく「鼻」との共通項を見つけた次第です。今だとSFというよりはサイコホラーという括りでアピールしたほうが受け入れられそうな風格で、最後の悲壯な結末も含めて見事な一作ながら、現代だとやはり「虚」の側を表に描くという構成に仕掛けを凝らした「鼻」の方に魅力を感じる読者の方が多いような気がします。
「錯覚屋繁昌記」と「わが青春のE.S.P」はともに、市井人がヒョンなことから超能力を得ることになって、という物語で、いずれも長編傑作「産霊山秘録」や「岬一郎の抵抗」などにも通じるテーマが感じられます。
「錯覚屋繁昌記」は、ユーモアも交えて主人公の間拔けぶりとともに、超能力を得たとあればソレを使うならやはりアレだよね、というあたりを押さえたエピソードが描かれていきます。やがて國家の秘密組織が彼の能力に目をつけてという中盤の流れでも何處か惚けた風格はそのままに話が進められていくのですけど、ここでも市井人の友情や愛情を絡めて一級の通俗小説の愉しみを見せてくれるところが半村流。
後半のやや性急に感じられる展開は「妖星伝」のラストにも見られるようなものながら、寧ろディテールを書き込まないことで逆に主人公の悲哀が際だっているところが素晴らしく、無常觀溢れる幕引きもいい。
「わが青春のE.S.P」は、「錯覚屋」よりも物語の時間軸を長くとって、數々の印象的な登場人物と逸話を配して主人公の半生を描いていきます。主人公の人生が狂う時にたびたび出現する奇妙な太陽の存在も、これがSFだと思って讀んでいないと、何かの不幸の象徴だと素通りしてしまうほどのさりげなさに感じられてしまうのは、それだけ主人公の山あり谷ありの人生描写が見事であるからでありまして、このあたりの巧みさは秀逸です。
あらためて讀みかえして気がついたのは、半村小説にとって超能力はあくまで人間を描き出すための要となる素材に過ぎないということで、自分が當時も今も半村小説をこうも再讀してしまう所以はこのあたりにあるのカモ、と感じた次第です。
「自恋魔」はバカバカしさの炸裂した佳作で、イケメンの歌手のポスターを仕上げたものの、その寫眞にチョットばかりついている皺が氣に入らないと件のイケメン野郎はクレームの電話を入れてくるほどの大激怒。そのあと野郎は交通事故に遭ってしまうのですけど、その後に怪異が起こり出して、――という話。
これまた市井人がイケメン野郎の怨念にビクビクしてみせるところや、女が妙な理屈でその不安を払拭みせるあたりの男女の会話のやりとりなど、このあたりをさらりと書いてしまうところが面白い。
「血霊」も、乱開発が行われている田舍の景色に登場人物たちが何やかやと言っているうちに、日常の情景が次第にねじれていく展開がツボで、寫眞ネタでふいに怪異が現出するところから物語は思いもかけない方向へと轉がっていきます。怪奇小説では定番のネタに短編らしいオチを添えて幕とするところなど、やはり文体、構成と小粒なネタも逸品に仕上げてしまうその技法に注目でしょう。
こうして再讀するとほかの作品も無性にイッキ讀みしたくなってしまうところが半村小説の困ったところでありまして、本棚の奧からゴッソリと引っ張り出してきた角川文庫を前にどうしたものかと頭を抱えてしまいますよ(爆)。長編の復刻はボツボツと行われてはいるものの、短編集に關してもハルキ文庫あたりが出してくれないかなア、と期待してしまうのでありました。